「神が喜ぶ心とは」
その中で全てのプロ棋士が最も特別視するのは、「名人」というタイトルです。
かつてこの名人に6回挑んで、6回とも大敗したプロがいました。米長邦雄というかたです。
彼の前に立ちはだかったのは、中原誠というプロです。
名人位以外の闘いでは互角の勝負が繰り広げられるのですが、不思議と、どうしても欲しい名人戦になると、負けてしまうんです。
40代、米長さんはなんとしても勝ちたいがために、ひとつの決心をします。それは、今まで積み上げてきた自分の将棋セオリーをいったんゼロにして、一から将棋を学びなおすことです。
そしてそのために、インターネットで、新しい戦法に取り組んでいる若手棋士たちに頭を下げて、教えを請うたというのです。
これは、40階建ての高層ビルをダイナマイトで爆破して、その地に50階建ての高層ビルを建てようとするようなものです。
ふつうは、恐ろしくてとてもできないことです。しかし、米長さんはそれを選びました。そしてとうとう、名人を獲るのです。
大きな目的のためには、自分の小さなプライドを捨てて、はるかに年下の人たちに教えを請う、これは謙遜でないとできないことです。しかし、この謙遜こそは、栄誉に至る道なのです。
ちなみに、このときの若手棋士の代表が、羽生名人です。そして羽生名人は、次々とプロ棋士が敗北する人工知能のコンピューターに対しても、それを拒否するのではなく、そこから従来の人間の発想にはない戦法を学び取るための教材として受け入れていこうとしているのです。
強くなる人は、謙遜な人です。謙遜であるということが、タフで、成長し続け、変わり続けていくための秘訣であるようです。
自分の過ちを認める心
さて、聖書の中に次のようなことばがあります。
神へのいけにえは、砕かれた、悔いた心。神よ、あなたはそれをさげすまれません。
神が何よりも喜ばれるのは、自分の過ちや限界を認めて、謙遜になり、正直に神の前に打ち明けていく心だ、というのです。私がまだ中学生で、友人の家に遊びに行ったときのことです。
彼にはお気に入りのペットがいました。雑種の犬なんですが、彼のことが大好きなんです。そして友人は学校から帰ると、鎖を離して庭の中を走り回らせてやるのです。
ところが、ひとつ問題があったのです。彼の妹が、ウサギをつがいで飼っていたのです。そしてそのウサギのほうも、ゲージから出して飼うことが多かったんですね。
この犬には猟犬の血が混じっていました。それで、ウサギを見るとまるで獲物のように飛び掛ろうとするのです。それで、ウサギがゲージから出ているときには鎖を外さないようにするということになっていたのです。
ところがその日、彼はうっかりしていました。私と話し込んでいたとき、異様に犬が興奮するので、急いで見に行ってみると、ウサギをくわえて振り回していたんです。
彼は焦りながら飛んで行き、ウサギを取り戻しましたが、すでに死んでいたのです。そのとき、彼は私に、偽装工作の協力を求めたのです。
まず、土だらけになったウサギを、乾いた布で拭いてきれいにしてやりました。そしてゲージの中にそっと置いて、ウサギが突然死したように見せかけようとしたのです。
私は気が進みませんでしたが、手伝いました。そうこうしているうちに、彼のお母さんと妹が帰ってきたのです。
私たちは部屋に隠れました。しばらくすると、妹が「キャー」と悲鳴を上げたのです。私たちは何食わぬ顔で、どうしたの、何かあったの、とでも言うような顔つきで出て行きました。すると彼女が言ったのです。
「土に埋めたはずのウサギが、きれいになってゲージにいる!」なんと、ウサギは別の理由で死んでいたので、前の晩に庭の土に埋めていたのです。
犬はそれを掘り返して口にくわえていたんですね。そんなこととは知らない私たちは、アリバイ工作のためにゲージに戻したのです。
それは、ルールを破ったことをとがめられることを恐れたからです。こういう心は、砕かれた心とはいえないのです。
あくまでも私には責任はない、私は悪くない、と強情を張る心です。そして、強情を張る理由は、ありのままに正直なことを言うと責められるのではないか、という恐れからきているのです。
砕かれた悔いた心は、どのようにして得られるのでしょう。赦しと回復の約束がある世界においてのみ起きる変化なのです。
つまり、砕かれた悔いた心は、自分の過ちと限界を認めた上で、そうであるがゆえに、神に信頼する態度から出てくる心なのです。
キリストを本心から信頼していたレーガン大統領
今から13年前、レーガン元アメリカ大統領がなくなりました。戦後、最も人気のあった大統領です。
その葬儀で、彼の息子、マイケル・レーガンが、父からもらった最高の贈り物についてスピーチしたのです。
「私はレーガン家の一員であることを誇りとしています。父は、息子である私に多くのプレゼントをくれました。その中で、全ての父親が子どもに贈るべきだと私が考えるプレゼントがあるのです。先週の日曜日、父は久しぶりに目を開いたのですが、そのとき、私は父から受けたプレゼントを思い出したのです。1988年、大統領職を去る一年前、私は父と一緒に飛行機に乗り、ワシントンD.C.からカリフォルニアに向かっていたのです。その機上、自分がどのようにしてイエス・キリストを愛するようになったかということを、息子の私に、父は説明し始めたのです。そのとき、それがどういう意味なのかよくわかりませんでしたが、今、父をなくして、それがどんなに父にとって大きな意味あることであったかを、今、味わいました。」
アメリカの大統領といったら、世界最高の権力者といっていいでしょう。しかし、レーガン大統領は神の前では一人の罪人に過ぎず、イエス・キリストによって罪赦された罪人であることを何よりも喜んでいた、というのです。
彼の大統領時代は、まだ冷戦の最中でした。まだ大統領就任して間もないとき、暗殺未遂事件が起きました。3秒間に6発もピストルで撃たれ、ボディガードが3人倒れ、彼自身も吐血したのです。
しかし、その後、アメリカを鼓舞し冷戦を終らせ、アメリカに空前の景気回復をもたらしたのです。
死と隣り合わせの毎日の中で、本気になって彼はキリストに信頼したというのです。そして、神は、正直にありのままで、砕かれた悔いた心でキリストに信頼するものを喜ばれる、ということを、彼は喜んでいたというのです。
神はあなたを歓迎してくださる
ところで、漫画家の水木しげるさんは、原稿を取りに来る担当者に選り好みがあったといわれています。
あるタイプの編集者、担当者が来ると、それはそれは上機嫌になり、ジョークを飛ばし、サービス満点で応対したというのです。
では、そのタイプとは一体なんだったんでしょう。ずばり、変な顔の人が大好きなんです。
その顔が特徴的であればあるほど興奮し、大はしゃぎをしたというのです。そしてその担当者が帰った後で、家族に一言、言うそうです。「今日は妖怪が来た」。
なんと失礼な、とも思うのですが、それは水木さんにとって最高のほめ言葉なのです。
彼は妖怪に似た人が大好きでした。それは、妖怪が何よりも好きだったからです。なぜ妖怪が好きなのか、それは好きだから仕方がないじゃないか、というのが彼の口癖でした。
ところで、神は何をお喜びになるのでしょう。どんな心をお喜びになるのでしょう。砕かれた、悔いた心なのです。
神のみ前に、罪を悔い改めてキリストに行く人を、神は歓迎せずにおれない方なのです。
どうぞあなたもイエス・キリストを信じ、受け入れ、神様の前に立ち返ってください。心からお勧めしたいと思います。