新約聖書
『 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。 』
(ヨハネ1:14)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.899 2017年6月18日

「私たちの間に住まわれた神」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
くまモンの作者である小山薫堂さんが、ホテルの料理屋さんに入ったときの事です。隣に外国人のおじいちゃんが寿司をつまんでいたそうです。
目が合ったとき、彼は会釈してくれたそうです。その後、このおじいちゃんは食事中、何度も小山さんのほうをチラチラ見るので、もしかしたら、くまモンの作者としての自分を知ってるんじゃないのか、と思ったそうです。
思い切って話しかけてみようとしたとき、待ち合わせの友人がやってきたので、とうとう話すことはしなかったのでした。
ところが、次の日テレビを見ていると、昨日のおじいちゃんが何かをしゃべっているではありませんか。字幕を見て驚きました。なんと、彼はクリント・イーストウッドだったのです。ハリウッドの俳優にして、映画監督ですね。彼は映画のプロモートのために日本に来ていたのでした。
それを知った小山さんは、たいへん悔しかったそうです。もしあの時話しかけていたら、話が盛り上がって、もしかしたらくまモンがハリウッドデビューしたかもしれない、というわけです。
偉大な人とつながるチャンスがあったのに、ちょっとした勇気がなかったために、すごい展開の可能性を逃してしまったのは、惜しいことですね。しかし、もっともっと大きな損失があるのです。それは、イエス・キリストとのコンタクトを取りそこなう、という事です。
ある方にとっては、キリストと聞いても、外国人のおじさんくらいにしか思っていないかもしれませんね。しかし、この方こそは、あなたの永遠を贖ってくださった救い主なのです。
聖書に、次のように書いてあります。

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

ここから、キリストが来られた3つの理由を考えてみましょう。

神は人となって真実を表された

第一に、キリストは、神がどのような方であるかを見えるかたちで示すために、神である方が人となってこの世に来てくださったというのです。
なぜ、神が人にまでなって、神の真実を現そうとなさったのでしょう。それは、罪によって心がひね曲がってしまった人間は、神に対してもひね曲がったイメージを持っているからです。
私は先日、ギャンブル依存から立ち直った方の手記を読みました。
ギャンブルの虜になってしまった人は、ひとりではとても立ち直ることが難しいそうです。
そもそもどうしてギャンブルに行くかといいますと、それをしているときだけが、心が落ち着くからです。そして、その場所以外に自分の場所がないと思い込んでいるので、ギャンブルに入れ込んでしまうんですね。
借金などで周りの人に迷惑をかけると、ますます人に会いたくなくなります。孤立した気持ちが高じると、ホッとできる唯一の場所である、ギャンブル・賭博場に行ってしまうんです。しかし、この方は本格的な治療を受けて、少しずつ立ち直っていかれたのです。
さて、その治療の中に、むかし借金や使い込みで多大な迷惑をかけた人のところに会いに行く、というものがありました。
彼は治りたい一心で勇気を振り絞り、以前勤めていた会社の上司に会いに行くのです。
彼はその会社のお金を横領して、パチンコ代に使い込んでしまった過去がありました。
きっと怒鳴られるのでは、と思いながら思い切って会いに行くと、開口一番「おお、元気だったか、よく来た!」と迎えてくれたのです。
こちらの近況を話し、返済が滞っていることをわびると、その上司は笑顔を見せて、「小額でいいんだよ、続けることが大事なことだよ、手紙も添えてよ」と温かく励ましてくれたというのです。
実は、彼がギャンブルにのめりこんでいったのは、周囲が自分の事を認めてくれない、わかってくれない、と軋轢を起こし、逃げ場所として入れ込んでいったのが理由です。
しかし、その上司の言葉を聞いて、何もわかっていなかったのは自分のほうだ、と悟ったのでした。
実は人は、自分が苦手意識を持っているとき、相手も自分の事をヤなやつだと思っているに違いない、と思いやすいのです。また、自分が誰かに罪悪感を抱いているときは、その相手は自分を憎んでいるに違いない、と間違った確信を抱きやすいのです。
この世の中でさまざまに傷つき、疲れ果て、自分に自信をなくしているときは、きっと神もまた自分の事を軽蔑し、いらだち、憎んでいるに違いない、と思いやすいのです。だからこそ、そうではない、ということをはっきりと表わすために、神は人となって、イエス・キリストとしてこの世に来てくださったのです。

神は人の間に住まわれた

第二に、キリストは私たちの間に住まわれた、とあります。
これは、神から離れた人間への愛を、身をもって表わす行動でした。今から6年前の3月11日、東日本大震災があったとき、日本にいた多くの外国人の方々はいっせいに帰国したのです。
しかし、その中で自分の国籍を捨てて日本に移り住むという、思い切ったことをしたアメリカ人がいました。それは、日本文学研究者のドナルド・キーンという方です。
彼は18歳のとき日本文学を読んで以来、日本の事を考えなかった日は一日もない、と言います。
彼は、一年の半分は日本にいて、東京に持っている自宅で生活していました。しかし、それまで日本でビジネスをし、収益をあげるためにきていた海外の人々が我先に日本を見棄てて出発するのを見たときに、今こそ日本を励ましたいと考え、アメリカ国籍を捨てて日本に帰化申請なさったのです。
私たちは、誰かを愛して、はげましを与えたいと思ったとき、お金を送ったり、手紙を送ったりします。しかし、彼は自分自身を贈り物にしたのです。
彼は、日本人の間に住むことにしたのです。そして、図らずも今日、6月18日は、彼の誕生日なんですね。彼は日本に降り立ち、同じ空気を吸い、運命共同体の一員となることで、愛を表わしたのです。
しかし、神は天からこの世に降りてこられました。そして、人として誕生し、罪人たちの間に、私たちの間に住まわれたのです。
イエス・キリストがそのようになさったのは、神があなたを愛しておられるということを、行動で表わすためであったのです。

あなたを支える方、キリスト

第三に、キリストは恵みとまことに満ちている方でした。
ところで、恵みとはなんでしょう。それは、受ける資格のないものに対する、神様の一方的な愛を表わす言葉なのです。
私たちが自分を恥じ入らせる全ての罪、私たちが自分を憎んでしまう全ての失敗、私たちが心配している将来と死の問題を、キリストは全てご自身の身に背負って、あの十字架の上で死んで下さったのです。
あなたを苦しめてきたいっさいの理由を永遠の彼方に持ち去るために、キリストは十字架の上で死んで下さったのです。
そして死後、三日目に復活し、もう、あなたを悩ませていたものはすべて、キリストが足の下に置いたんだ、と宣言して下さったのです。
何があってもあなたを見棄てず、全知全能の手であなたをがっちりと支える神、それが、イエス・キリストなのです。
あなたにお勧めしたいのは、まずあなたの救い主として、イエス・キリストを信じることです。全てのプロセスは、ここから始まるからです。
キリストは、あなただけでは決して完成しないあなたの人生を、輝くものへと導いて下さる方です。
どうぞこのイエス・キリストを、ご自分の救い主として受け入れて下さい。心からお勧めしたいと思います。

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