新約聖書
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠の命です。」
(ローマ6:23)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.876 2017年1月8日

「罪人に差し向けられる神の愛」

おはようございます、高原剛一郎です!

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先日私は、断り方について書いてある本を読みました。その中に、怒りを爆発させずに、しかも、相手にそれとなく考えを改めるように促す便利な言葉について、紹介してありました。なんと言ったらいいんでしょう。「なんだかなあ」だそうです。
なんだかなあ、だと、相手を目の前にしても、強い非難の響きを持ちません。でも、決していいとは思ってないぞ、ということは伝えることができるっていうんです。ただし、緊急事態のときには使ってはいけない、と書いてありました。今すぐ逃げないと助からないような火事の家にいる人に、今すぐ出ろ、ということを言うべきなのです。なんだかなあ、では手遅れになる恐れがあるからです。
ところで、聖書は、人間に対して実にストレートなメッセージを語ります。それは、いのちがかかった問題について語っているかからです。今日は、その代表的なみことばをお読みいたしましょう。

ローマ人への手紙6章23節

罪から来る報酬は、死です。しかし、神の下さる賜物は、私達の主キリストイエスにある永遠の命です。

この箇所は、ふたつのメッセージでできています。それは、悪いニュースと良いニュースです。

創造主はあなたを生かしている

前半は悪いニュースですね。なぜなら、罪から来る報酬は死だ、という宣告であるからです。
ところで、罪とはなんでしょう。自分の造り主を無視し、神から離れて生きることです。
あるヨーロッパの画家のエッセイに、こんなことが書いてありました。彼は公園の噴水を何日もかけてキャンバスに描いていたのです。いよいよ仕上げの日になって、彼は懸命に絵筆を振るっていました。すると、どうも人の気配を感じるのです。ふと後ろを見ると、少し離れたところに、作業服を着たおじさんがジーっと見ているんですね。まあ、時々そういうことがあるので、彼は無視してそのまま描きつづけていました。通りすがりの人の事なんか、放っておいたらいいんですね。
ところがこのおじさんはジーっとその場を離れないのです。30分たっても一時間たっても、そこに立ってこちらを見続けているのです。なんだかうっとうしいなあ、気になるなあ、他にすることないんだろうか、自分の仕事やったらいいのに、と、彼の存在が邪魔に感じ出したんですね。
しかし、どうにか絵を完成させることができました。するとおじさんが近づいてきて、「描きあげることができたんですね、」と話しかけてきたのです。彼は、「ええ、できました。」と答えます。すると彼は、噴水の近くにあった小屋の中に入っていったんです。すぐに噴水の水が止まりました。しばらくすると、私服に着替えたおじさんはそのまま去っていった、というのです。
実はこの作業服のおじさんは、噴水を管理する作業員だったというのです。本当はとっくの昔に噴水を止める時間になっていたのですが、熱心に絵を描いている彼のために、噴水を止めるのを待っていてくれたのです。
それがわかったとき、この画家は自らを恥じた、というのです。実は自分のために特別な計らいをしていてくれた人の事を、邪魔者扱い、暇人扱いして見下していたからです。
自分が、うっとうしいなあと思い込んでいたその人こそ、自分の創作活動に協力していてくれた人だったのです。
ある人にとって、神と聞くと、ああ、宗教の話は結構です、うっとうしいです、そんなのは暇人がやればいい、私には関係ない、と仰る方がおられるのです。それは、神様に世話になっている、とはつゆだに思っておられないからだと思うのです。
しかし、聖書が語る創造主というかたは、あなたを作り、あなたを生かし、あなたに水や空気や太陽を与えて、あなたの人生が実りある物になるように協力してくださるお方なのです。この、よきサポーター、よき応援者、よき主権者なるかたを見失っているということが、人生を息苦しくしているのではないでしょうか。
自分ので力で生きているのではなく、大きな神の力で生かされている、とわかると、随分楽になるのではないでしょうか。

人が神から離れていった

今から数年前、インターネットで私の動画を見た、という人から、住所のない手紙をもらったことがありました。封を開けて手紙を読んでみると、それは学生時代の友人だったのです。
彼はその手紙の中で、何回も私の事をほめてくれていました。活躍してるんだなあ、生き生きしているなあ、そして、君はいつの間にか遠くに行ってしまったなあ、と書くのです。
私は、これにはとても違和感を覚えました。実は彼は、私達友人からお金を借りたまま、ある日突然、姿を消した人だったからです。私達はもうお金の事はいいから、戻って来い、と連絡しようとしたのですが、全く音信不通状態になっていたのです。
彼は私に向かって、随分遠くに行ってしまった、手が届かない人になった、というのですが、それは逆です。私が彼から遠ざかったのではなく、彼が私から遠ざかって、逃げ出したからです。
時に、神に祈っても、はるか彼方にしか感じない、神様なんか身近に感じることができない、もし神がおられたとしても、神は私を見捨てているに違いない、神様の祝福なんか私にはない、と投げやりに言うかたがいますが、はっきり言って逆です。
神があなたから離れていったのではありません。あなたが、神から離れて行ったのです。そして、神から離れていくその先にあるのは、解決ではなく永遠の未解決、死と死後の裁きなのです。

永遠の命が与えられている

しかし、今日のみことばの後半は、良い知らせです。グッドニュースです。なぜなら、死と滅びに向かっている私達のために、神は最高の贈り物を与えて下さった、という宣言であるからです。
それは、イエス・キリストにある永遠のいのちです。あなたを救うことができるのは、国家でも政府でも会社でもカウンセラーでもなく、医者でも親でも兄弟でもありません。神です。
あなたを造られた神だけが、あなたを救うことがおできになるのです。あなたに対して、神からの疎外感を感じさせている罪という壁を打ち砕くために、イエス・キリストはこの世に来られ、十字架にかかり、あなたの罪の刑罰を、あなたに代わって受けて下さったのです。
あなたが今まで犯してきた全ての罪だけではなく、これから将来死ぬまでの間に犯すであろう罪までも含めて、キリストはその一切合財を背負って下さいました。
そしてキリストは、十字架の死後、三日目に復活し、今、天に昇り、あなたのためにこの瞬間も祈り、とりなしておられるのです。このイエス・キリストをご自分の救い主として信じます、と神に申し上げるのです。
今から数年前、私の息子がアフリカに行くことになりました。そのとき彼は、十種類近い予防注射を受けてから旅立ったんです。アフリカの風土病対策だったのです。これらの予防注射を受けた人は、現地に入っても病が寄り付かないんですね。しかしこれは、予防注射を受けた人にのみ起こる恵みなのです。
あなたは、キリストといういのちを受け取ることができます。受け取る人にのみ、永遠のいのちが与えられるのです。
是非、このイエス・キリストを受け入れて下さい。心からお勧めしたいと思います。

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