「神の愛の証し-クリスマス」
彼はトレイラーハウスに住んで、教師と洗濯屋のアルバイトをしながら、小説を書いていました。ところが、どれもこれもさっぱり売れないんです。
ある時、超能力を使う少女を主人公にした小説を三ページほど書きますが、つまらん、と思って原稿をクシャクシャに丸めて、ごみ箱に捨ててしまうのです。さて、彼がバイトから戻ると、笑顔の奥さんがこう言ったんです。「あなた、この話には何かがあるわよ。きっと売れるわよ。」なんと奥さんはごみ箱から、捨てられた原稿を拾い上げて、しわを伸ばして読んでいたというのです。「少なくとも私はこの話のファンよ。」と励ますことで、スティーヴン・キングのやる気に火を点けます。
やがてこの小説は「キャリー」というタイトルで映画化されるほどの大ヒットになるんです。作家スティーヴン・キングの誕生ですよね。
人はどんなに才能があっても、それだけではなかなか大成しません。人は励まされること、勇気づけられることを必要としています。つまり、愛されることを必要としているのです。
神は愛です
さて今日は今年最後のメッセージです。クリスマスにちなんで、神さまの愛についてお話いたしましょう。聖書にこのように書いてあります。
愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
今読んだ聖書のことばには、神は愛を持っている、とは書いてありません。神は愛だ、というのです。神さまのご本質、ご人格、ご本性は愛なんだというんですね。神さまはあなたを愛しているのだ、と語っているのです。なぜそのように言うことができるでしょう。あなたの存在が神の愛の証明
第一に、創造主である神さまは、あなたをお造りになったからです。
実は私の家には、全国のうまいコーヒー屋さんから取り寄せた、最高級のコーヒー豆がいつもストックされています。
旅先で評判のコーヒー屋さんがあると聞くと、私はその豆を買うようにしてるんですね。それで我が家には、何種類ものうまいコーヒー豆が常時保存されているのです。
どうしてそんなにいろんな種類のコーヒーがあるんでしょう。私がコーヒー好きだからです。好きだからこそ、部屋に置いてあるのです。
また私が毎年一回訪問するあるご家庭には、非常に精密なミニカーが所せましと置いてあるんですね。それは子供向けのものではなく、ボンネットも開くし、シートもリクライニングできるような本格的なミニカーなのです。一台一台、実にうまくできています。決して安い物ではないと思います。
どうしてこんなにたくさんのミニカーがこの家の中に存在しているんでしょう。その家のご主人が大のミニカー好きだからです。
彼は、自分が好きな物に囲まれていたいと願っているのです。好きで好きで仕方がないからこそ、家の中に置いてあるんですね。
これは神さまについても言えることです。神さまはなぜ、あなたをお造りになったか、わかりますか。神さまはあなたを愛しておられるからです。
もしあなたを嫌っているなら、初めからあなたという人間を造りませんでした。あなたがこの世に存在している理由は、神さまがあなたを愛しておられるからです。
あなたは神さまに愛されるために、造られたのです。あなたの存在が、神さまの愛を証明しているのです。神さまはあなたに、生まれてきてほしいと願って、あなたを母の胎の中で造り、この世界に誕生させてくださったんですね。
神はいつくしんで人を造られた
第二に、この世で私たちが生かされているという事実が、神さまの愛を証明しています。
この自然界を見ると、心を慰めてくれるものがたくさんありますね。先日、ジャズボーカリストの鈴木重子さんの番組を観ました。
彼女は東大法学部を出た才媛ですが、何度チャレンジしても司法試験に受からず、挫折したという経験があるのです。
そんな彼女を慰めるものの一つは、自然でした。今でも嫌なことがあると、散歩しながら、葉の生い茂った大木のところに行って、幹に手をあてて「今日、こんなことがあったの。」とつぶやくそうです。
自然は話の腰を折ったり、お説教したりしません。人に話すより、美しい自然に囲まれてつぶやいてると、心が落ち着くとおっしゃるのです。
たしかに自然は、色とりどり、実にバラエティーに富んでいて、美しいですね。しかし、美しいと思えるのは、自然が色とりどりに造られているだけではなく、その色の識別能力が人間にあるからです。
実は人間以外の生き物は白黒の世界でしか見えていないんです。濃淡だけの世界で、世界の景色を見ているんです。色をフルカラーで識別するためには、目の細胞の中に、赤と青と緑の光のそれぞれをキャッチする三種類の識別細胞がそろっていなければなりません。多くの動物は二種類の識別細胞しかないので、どんなに色鮮やか自然界に身を置いていても、まるで墨絵の世界にいるようにしか感じないのです。
例えば、盲導犬は、信号が青に切り替わるとスタートしますが、あれは信号の色を見て判断しているのではありません。他の横断者の動きを見て決めているのです。というのは、犬にも識別細胞は二種類しかないからです。
つまり、ただ生きていくだけならば、何もフルカラーで見えなくても、十分やっていけるということなのです。現に野生の動物はそうやって生きているんですね。
しかし、神さまは、世界を色とりどりに造り、そして人に色をフルカラーで見る能力を与えてくださったのです。なぜでしょう。純粋に人生を楽しませたいと願っておられるからです。神さまが人間に与えた能力の一つひとつをみると、どんなに人をいつくしんで造ってくださったか、ということがよくわかります。
神さまは愛なのです。愛そのものなのです。
キリストによる罪の赦し
しかし、人間の側に、神の愛がわからなくなってしまう理由が生まれました。
神などいらない、神とは関係を持ちたくない、神なんかどうでもよい、という人間の態度です。この神さまから離れ去る態度のことを、聖書は罪と呼んでいます。
神は私たち一人ひとりをこよなく愛しておられます。たとい罪人となり果てても無条件の愛で、一方的に愛しておられます。
しかし、無条件に愛するということと、何でも許すということは同じではありません。
もしあなたに愛する人がいたら、その人が危険な薬物に手を出すことを許可しないでしょう。またもしあなたにお子さんがいたら、その子供が犯罪行為に走ることを許可しないでしょう。なんとしてもそれを止めるのではありませんか。
神さまは、神さまを捨てた人間のために、イエス・キリストを遣わしてくださいました。これこそは、神さまの愛の真骨頂です。
この方は死に向かってる私たちに永遠のいのちを吹き込むために、イエス・キリストをこの世界に送ってくださったのです。キリストはご自分のいのちを私たちに分け与えるために、十字架の上で罪を担って、死んでくださいました。そして三日目に、復活してくださった救い主なのです。
この救いのみわざを成し遂げるために、この方は生まれてくださったのです。そのことを記念するのが、クリスマスなのです。
どうぞこのキリストをご自分の心の中に受け入れ、罪の赦しと永遠のいのちをいただいてください。心からお勧めしたいと思います。