新約聖書
「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを与えてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」
(Iヨハネ4:9-10)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.867 2016年11月6日

「God loves you」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
さて私はミレーの晩鐘という作品が好きで、以前はパソコンの壁紙にしていました。
ところがこのミレーは、有名になるまでの間は大変貧しい生活をしていたのです。寒さをしのぐための薪を買うお金すら無かったんですね。家族を養うために本当に彼が描きたいものではない裸婦像を描いて何とか食つなぐという生活でした。
ところがある日のこと、朗報が届きます。パリの万博に出展していた彼の作品、「接ぎ木をする農夫」を4,000フランで買いたいという人物が現れたのです。彼の親友で、同じ画家のテオドール・ルソーが仲介に立って見事、売買契約を結び、ほどなく4,000フランが支払われたのでした。
ところが、なぜか購入者の名前が分からなかったのです。実はこれは貧しさの限界まで来ていたミレーを助けるためにルソーが自分の名前を伏せて購入したのでした。ミレーの画家としての才能を認めていたルソーは彼の生活を支えるために目立たぬようjに支援したのです。
こんな奥ゆかしい謙遜でそして熱烈な友を持ったミレーは幸せな人だと思います。

創造主である神様の助け

ところで、私たちが日々生きていくために目立たないように物静かに私たちを助けておられる方がいます。
それはこの世界の創造主である神です。私たちが呼吸する空気も、渇きをいやす水も、飢えを満たす食物も、命に必要なエネルギーもすべては神の手によるわざです。
今日、あなたを作った神様のことばから、神様の恵みを考えたいと思います。
聖書にこう書いてあります。

愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを与えてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

3つのポイントで考えましょう。

作者を知らない人間は自分に満足できない

第一に、あなたを造られた神の本質は愛です。したがってあなたは神の愛の対象として造られていると言えるのです。
日本でも人気のアメリカのショート漫画にピーナッツがあります。シャイな少年チャーリーブラウンと哲学する犬スヌーピーが織りなす2コマ3コマ4コマの短い漫画です。
実は作者のチャールズ・シュルツさんはクリスチャンです。彼は聖書の価値観をさりげなく登場人物たちに語らせているんですね。
あるときチャーリーが友だちに自分の父親のことを話すのです。彼のお父さんは散髪屋さんです。
「パパは言うんだ。自分以外の人間になろうとして生きることほど人生を悲劇的にするものはないよって」。実はチャーリーのパパは散髪屋になりたくありませんでした。今その仕事をしていることを後悔しています。彼は自分のやることなすこと、いや、自分自身が気に入りません。ところがそれを聞いていたスヌーピーが心の中でつぶやくんですね。「僕は犬以外になりたいと思ったこと、無いなあ」。
犬でも自分が自分であることに満足して、そして幸せなのに、犬より遥かに優れた人間は、自分が自分であることに満足できずに不幸な生き方をしている。その理由は、この私を、この私として愛して慈しんでいる作者の思いを知らないからではありませんか、とシュルツ氏が問うているのです。

神はあなたを愛しておられる

ある方が英語で神様の愛を語っているのを聞いて感動しました。
彼はこう言ったんです。「God loves you because you are you」。
「神はあなたを愛しておられる。なぜならあなたがあなただから」。
神があなたを愛するのは、あなたが世界のどこにも二人といないあなたという存在であるからです。あなたは神の愛の対象として造られました。
たといあなたに大きな問題があったとしても、神はあなたを愛しておられるのです。

いのちのためにキリストを遣わせられた

読売新聞にこんな読者の投稿がありました。
ある女性が念願の赤ちゃんを授かったのですが、脳性麻痺のために一級の重度障害を負い、自分では何もできないだろう、とお医者さんに宣告されてしまうのです。
呻くように泣くことしかできなかったとき、自分のお母さんが赤ちゃんを抱きあげて話しかけたそうです。「あんたのママは弱虫だね。おばあちゃんがあんたのママだったら、たとい医者が100パーセント無理と言っても、あきらめたりしないけどね」。
お母さんの言葉に、めそめそしていた自分の中に、母性の覚悟が降りてきたというのです。親が子どもをあきらめてどうするんですか、とお母さんの言葉にチャレンジされたんですね。
神さまは、私たちが罪人であるという重い重い現実を目の当たりにされたとき、めそめそも、くよくよもなさいません。
この方は、神から離れて間違った生き方をし、死後の滅亡に突き進む人間をあきらめず、イエス・キリストを救い主として送ってくださったのです。
これが第二のポイントです。神は私たちにいのちを得させるためにイエス・キリストを送ってくださったということです。

いのちをいただく

ところで、私たちはこの身体のいのちを保つためにはどうしても取り入れなければならないことがあります。
それは食物です。身体は外からエネルギーを取り入れなければ活動することができません。
何も食べないでいると最後は餓死してしまいますね。しかし、食べるという行為は、食べられるものの命を屠るということでもあるんです。
日本人は1年間に300万トンの牛肉、豚肉、鶏肉を食べています。300万トン分の動物のいのちを犠牲にしているというわけですね。
私は先日、「いのちをいただく」という絵本を読み、大変考えさせられました。
この本は熊本で食肉解体作業員の仕事をされている坂本義喜さんという方が実際に出会った一頭の牛とのエピソードを基に内田美智子さんという助産師の方が絵本に綴った作品です。
牧畜農家の幼い女の子が、子牛の頃から育ててきた、その牛にお別れを言いに来るその言葉を偶然に聞いてしまった坂本さんは、この牛を屠ることに大きな葛藤を覚えるのです。しかしそれをしないと、女の子の家も生活ができません。ラストシーンは本当に泣けてきます。
実はこの本はある理由で書かれたんです。給食費を払っているのは保護者なんだから、子どもにいただきますと言わせなくても良いんではないかという人が現れたというのです。
しかし、いただきますというのは、保護者に向けてだけではなく、食べ物になったいのち、またそのいのちを食材として提供するところまで関わってくれている多くの人々、そしていのちの提供者なる方、そういういろんなものに対して感謝をささげるべきではないのかという問題提起なんですね。

キリストの犠牲によるいのち

いずれにせよ、他のいのちを食べて自分の肉体のいのちを生かしているというのが私たちなのです。
それと同じように私たちは永遠のいのちを持つためには、永遠のいのちの持ち主を食べなければならないのです。
この永遠のいのちの主こそイエス・キリストなのです。キリストは、私たちの罪を贖うためにご自身を十字架の上でささげて犠牲としてくださいました。この方の犠牲によって提供されているいのち、これこそが永遠のいのちなのです。
第三に、それを自分のものとするためにはそのいのちを飲み込むという行為が必要なのです。これが信じるということなのです。
どうぞ、あなたのために死んで、よみがえり、天に昇ったイエス・キリストをご自分の救い主として信じ受け入れてください。永遠のいのちが与えられるのです。
心からおすすめしたいと思います。

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