「罪というゴミを取り除くイエス・キリスト」
彼は一時620億ドルもの資産を持っていましたが、76歳のとき、その85%を慈善事業に寄付してしまいました。彼には3人の子どもがいますが、彼らがバフェットの死後にもらえる資産は、やりたいことを始めるには十分だけれど、何もしなかったら暮らしていけないというような額だと言われています。あるとき娘のスーザンが自宅の改修のためにバフェットに資金をお願いしました。バフェットは銀行に頼めば良いだろうと言って断ったんですね。
彼はけちん坊なんでしょうか。あるいは子どもに対する愛情に欠けている人なんでしょうか。もちろんそうではありません。
彼は子どもを愛しているんです。愛しているからこそ、自分の人生を自分で切り拓かせてやりたいと考えてるのです。億万長者の親が、何から何までお膳立てすることで、人生の中で達成する幸せや、成し遂げる喜びを奪ってしまうということを恐れているんです。
恐らく、彼の知る多くの億万長者が、資産の譲り方で子どもたちをかえって不幸にしてきたことを彼は知っていたのでしょう。
神はあなたを愛しておられる
さて、この世界を造られた創造主なる神さまは、オマハの賢人バフェットよりもはるかに裕福で、はるかに賢い方です。
そして彼が自分の子どもたちをこよなく愛する以上に、あなたのことを愛しておられる方なのです。そして愛しておられるからこそ、人の望みをすべて奇跡的な方法で叶えるようなことを控え、人生のさまざまな試練や問題を通して神の救いにあずからせようと働く方なのです。
この神のことばに次のようなものがあります。
キリストが現れたのは罪を取り除くためであったことを、あなたがたは知っています。キリストには何の罪もありません。
今日もここから3つのポイントでお話しいたしましょう。罪があるから祝福できない
第1に、私たちが神の祝福を受けるためには罪を取り除いていただく必要があるということです。
罪とは、人が神の前に犯してきた自己中心の生き方の産物です。これは人の記憶から消えうせていたとしても、神の前にはいつまでも残っているものなのです。
アルピニストの野口健さんは初めてエベレストに挑戦したとき、天候が大荒れになったため、途中下山することになったそうです。
エベレストの登山のためには莫大な費用がかかります。登頂失敗は多くのスポンサーをがっかりさせることでもあり、彼も内心じくじたる思いがあったことでしょう。しかし次のチャンスに活かすことのできる多くの生きた体験を積んで帰ることができたので、収穫のあった経験と考えていたのでした。
そして、実は彼は途中下山したことよりもはるかに悔しい思いをしていたのです。それは、他の国の登山隊から口々に日本の登山隊は三流である、8000メートル地点に残してきたゴミを見ると、日本語で書かれているゴミだらけである、と批判されたことだったのです。
8000メートルの高さになると、酸素が地上の3分の1になります。登山者たちはみな、苦しくて苦しくて仕方がありません。それで下山するときに、持って上がった食糧やゴミ、空になった酸素ボンベなどが散乱したままになっているというのです。酸素ボンベは1本6キロ以上します。そんなものを、限界まで来ている体力のところに何本も背負って行くと、とても身体がもたないと考え、エベレストは8000メートル地点が無残なゴミ捨て場になっているのです。どんなにしらをきっても、焼きそばやカップめんの容器にはカタカナひらがなで日本語の文字が表記されています。
これらのゴミの山は年々増え続け、登山の障害にすらなっていたのです。一度捨てたゴミは、永久に残り続けています。捨てた本人たちの記憶から消えても、エベレストにはしっかりと残ったままなのです。それを外国の登山隊は、じっと見てきたのです。そのため、登山家仲間の中で、大変な風当たりになってしまうんですね。
これと同じように、人が行なってきた罪は、行なった本人の記憶の中に消えてしまったとしても、過去になったとしても神の前には今も現存し続けているのです。誰かが除き去るまでいつまでも残っているのです。そしてこの罪のゆえに、神はあなたを無制限に祝福することがおできにならないのです。
自らの罪を認める
第2に、この罪の解決のためには、まず罪を認めて助けを求めるということなのです。
実は野口さんが、エベレストのゴミのことを記者会見で口走ってしまったとき、日本山岳会という団体から呼び出しがかかったというのです。日本で最も歴史のある山登りの団体です。余計なことを言うなというふうに圧力をかけられたというのです。
実はその頃、日本山岳会の推薦状が無いと、エベレストに登ることはできませんでした。だからこの団体を敵に回すということは、一生エベレストを諦めなければならないというだったのです。
彼は口をつぐみそうになりましたが、しかし、あることをきっかけに、敢然と立ち向かうようになるのです。実はこの山岳会の会長が橋本龍太郎元総理だったのです。
橋本元首相は3回もエベレストを登頂したことがある登山家でもあったのです。その首相を担ぎ出して黙らせようとされたとき、彼は腹をくくったのです。持ち前の反発心がむくむくと起きだし、そして何とエベレストに行って、橋本隊が放置して来た空の酸素ボンベを日本まで持ち帰り、首相の事務所にまで出向いて、先生の忘れ物を届けに来ましたと言ってつき出したのです。
首相はどうしたのでしょう。彼はすっと立ち上がって、「これは我が隊のゴミです。参りました。」と言ってしばらく黙って立っていたそうです。その後、「我が隊のゴミを野口君が拾ってきてくれた」と、メディアで繰り返し語られるようになりました。それで大々的にエベレストのゴミ拾いの道が開けていったというのです。
罪というゴミ処理の問題で2番目に大切なこと、自分の罪を罪としてしっかりと認めるということなのです。しらばっくれているところには、救いも赦しも解決も無いのです。
キリストが罪を除いて下さった
第3に、自分に代わって救い主が罪というゴミを全部取り除いてくださったという事実を受け入れることなのです。
エベレストのゴミ拾いは命がけだそうです。平地で50キロを担いで何キロも歩ける人であったとしても、8000メートルの地点では15キロを担ぐのが限界だそうです。酸素が無いからです。それで8000メートル地点でリュックサックに15キロ分のボンベゴミを詰めると6000メートル地点まで下りて行ってそこにゴミをどさっと置くのです。
2日休んでまた8000メートル地点に行く、そしてまた6000メートル地点に下りて行く。これを2ヶ月間繰り返すと、必ず何人かの参加者が死ぬそうです。
キリストは私たちの罪というゴミを背負って十字架のカルバリ山に登り、いのちをささげてくださいました。そして死後3日目に復活なさったのです。何のためでしょう。
聖書は言いますキリストが現れたのは罪を取り除くためであったことを、あなたがたは知っています。
どうぞあなたもこの動かぬ救いのみわざ、イエス・キリストによる救いを信じてください。
心からお勧めしたいと思います。