新約聖書
「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」
(ローマ8:34)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.854 2016年8月7日

「復活-この輝かしき希望」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
マウンテンゴリラの研究で世界的権威の動物学者に、ダイアン・フォッシーという方がいらっしゃいます。彼女はゴリラの研究方法で、それまで誰もしなかった画期的なことをするのです。それは野生のゴリラの群れの中に入って、仲間になるということであったのです。
当時それは命取りになる危険行為だと思われていました。しかし、絶滅の危機に瀕しているマウンテンゴリラの生態を知るためには、これ以外の方法はないと腹をくくって、彼女はゴリラに近づいていったのです。そしてゴリラの鳴きまねをしたり、ゴリラの好物であるセロリをバリバリ、生のまま食べてみせたりします。
やがてゴリラたちは、心開き、ダイアンの髪の毛をなでるほど親密になっていったのです。
彼女の発表した論文はそれまでのゴリラの偏見を突き崩すものとなりました。人間が考えている以上に、知的で社会的な生態が明らかになったんです。
ところで、彼女がそんな果敢なチャレンジをするように駆り立てたもの、それは何だったんでしょう。ゴリラに対する熱烈な愛ですね。人でありながら、ゴリラとつながるために、常識破りの行動に出たのです。

この世界に来られたキリスト

さて、それ以上のことを、神は私たち人間にしてくださいました。万物の創造主である方が、人となってこの世に来てくださったのです。
それは人間をよく観察するためではありません。論文発表するためでもありません。
神に背いて死ぬものとなった人間に、罪の赦しと永遠のいのちを与えるためにこの世界に来てくださったのです。その方こそは、イエス・キリストです。
聖書にこのように書いてあります。 

罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。

ここには、イエス・キリストがしてくださった三つのことが書いてあります。

戦国時代の足軽、鳥居強右衛門

第一に、キリストは私たちの罪を償うために、死んでくださった、というのです。
先日、私は愛知県豊川市の方に参りました。そこに戦国時代の足軽、鳥居強右衛門という人の生誕の地があるというので、見学に行ったんです。
どうして最も身分の低い足軽の記念碑が建てられているのでしょう。彼のした自己犠牲の行動に心動かされる人が多いからです。
強右衛門は長篠城の奥平家に仕える兵士でした。奥平家はたった500人の兵士で、武田軍1万5千に取り囲まれ、その上、食糧までも焼き払われてしまったのです。援軍を求めて、徳川家康のところに遣わされたのは、水泳が得意な強右衛門でした。彼は川を潜って無事家康の城まで行き、援軍の約束を取り付けるのです。
ところが、この情報を長篠城まで持ち帰る前に、武田軍に捕まってしまうのです。武田軍は強右衛門に破格の約束をして誘惑します。もし、援軍は来ないと通知すれば、足軽のおまえを武田家の家老に採りたててやろう。
強右衛門は「わかりました。」と言って、長篠城の見える所にまで行き、大声で伝えるのです。「援軍は間もなくやってくるぞ。」騙された武田は怒り狂って、強右衛門をはりつけ処刑にしてしまいます。しかし、援軍の情報は弱気になっていた奥平軍を勢いづかせ、とうとう二日間持ちこたえることになるのです。

キリストはあなたのために命を捨てた

人はいつの時代でも、自己犠牲の物語に心を動かされるものです。いのちを捨てる行動に裏付けられた愛や忠誠は、本物だからです。そして私たちは本物をこの世界で、めったに見ることがないのではないでしょうか。
ところで、強右衛門がはりつけを覚悟で援軍情報を伝えたのは、城にいるのが自分の味方だからです。
しかし、キリストは神の味方につく、立派な人間のためにいのちを捨てたのではありません。神に背いて、自己中心の生き方をやめようとしない罪人のために死んでくださったというのです。あなたがまだ罪人であったときに、キリストはあなたを愛して、いのちを投げ出してくださったのです。

指揮者バーンスタインの演奏

第二に、この方は十字架の死の後、三日目によみがえられたのです。この復活によって死という恐るべき現実を、キリストは覆してしまわれたのです。
今から15年ほど前、山本七平という評論家がすい臓がんで亡くなられました。彼が亡くなる少し前、彼の自宅にとても有名なお客さんがやって来たそうです。
それは世界的指揮者のバーンスタインでした。彼はアメリカで山本氏の聖書の著作、聖書関連の著作を読んで、いたく感動し、日本公演の合間にぜひに会いたいと言って、自宅までやって来られたんだそうです。
それからしばらくしてのこと、山本さんは仕事から帰って、うだる暑さの中、がん特有のけだるさを身に持て余しながら、ソファーに横になったそうです。その時、彼は気晴らしにテレビをつけると、なんとバーンスタンが熱烈な指揮をするコンサートの録画が放送されていたのでした。
それはエジンバラの教会の中で100人近い混声合唱団とオーケストラが彼のタクトで最高の演奏を奏でていたのです。それはマーラーのシンフォニー第二番復活でした。それは神に向けて祈るような演奏であったそうです。

キリストはよみがえられた

その時、山本さんと奥さんは思わず、姿勢を正し、ソファーの上にきちっと座りなおして、画面を凝視しました。するとクライマックスのリフレインのところで、短い字幕が出てきたのです。
「復活するためにわたしは死ぬのだ。わたしはよみがえるのだ。わが心よ、一瞬のうちにおまえが死に打ち勝つのだ。なぜなら神のところにおまえを連れていくのだからだ。復活するためにわたしは死ぬのだ。」
それはイエス・キリストを信じるすべての人に約束された天国への道のりと、歴史の終わりに起こる復活を謳った信仰の叫びであります。
バーンスタインは指揮を終えると、一瞬祈るような姿勢をとり、やがてタクトを下しました。会場は全員起立して、拍手の渦が巻き起こったのです。
この演奏の後で、バーンスタインは亡くなるのです。彼が最後にタクトを揮った曲、それはイエス・キリストの復活の曲であったのです。
キリストは十字架にかかって死んでくださった方、いや、よみがえられた方なのです。死ですらものみこんでしまう力強い救い主こそは、私たちが必要としている方ではないでしょうか。この方こそ、あなたの救い主なのです。

キリストを拒む理由はない

第三に、よみがえってのち、天に昇ったイエス・キリストは、日々あなたのためにとりなしていてくださる方です。
神はあなたの救いをキリストから聞いている方です。今このラジオを聴いている瞬間も、イエス・キリストはあなたのために祈りながら、あなたの魂にも語っておられる方です。
どうぞイエス・キリストをあなたの救い主として信じてください。そして罪の赦しと永遠のいのち、復活の希望を手に入れてください。神があなたを救ってくださるのです。拒む理由はありません。どうぞキリストを信じると、決心なさってください。心からお勧めしたいと思います。

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