新約聖書
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」
(1ヨハネ4:9-10)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.828 2016年2月7日

「キリスト教ではなくキリストご自身」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
世界で一番最初に宇宙飛行した人物はソ連のユーリイ・ガガーリンです。彼は人類初の有人宇宙ロケットボストーク1号に乗って地球を外から見た最初の人です。ところでこの宇宙飛行士に選ばれるためには何十にもわたるテストがあったんです。その中で最終的にガガーリンとチトフという人物が残ったんです。そして、先行スタッフたちはチトフにしようとしました。と言うのは彼の方がガガーリンよりも体重が2kg少なかったんですね。1gでも軽くしたいと考えていたスタッフがチトフを選んだのは当然のことでした。しかし最高責任者のコロリョフ博士は「だったら荷物を2kg降ろせ。最初の乗員はガガーリンだ。」と言って譲らなかったのです。理由は一つ。彼は笑顔がとても良い。最終選考まで残った二人はどちらも能力において差がありません。同じ能力だったら体重差で決めようとしたスタッフに対し博士は笑顔を決め手にしたんですね。
なぜでしょうか。笑顔がいい人は精神的に安定しているからです。宇宙空間では何が起こるか分かりません。万一のトラブルの時一番大切なことはメンタルが安定しているということなんです。少々の事で動揺しない心の持ち主こそはこの大事業にふさわしいとしたんですね。ところで私たちは宇宙飛行士のような特別のエリートではなくても、いい笑顔になるときがあると思います。それは愛されているときです。あるいは希望がある ときです。あるいは安心できるときですね。

ヨハネの手紙第一 4章9,10節

今日は私たちを愛し永遠の希望と本物の安全を差し出しておられる神様についてご紹介したいと思います。聖書に次のように書いてあります。

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

最先端のものは似ている

いつものように三つのポイントでお話しいたしましょう。第一に、神とは私たちの造り主であるという事です。
人間が作った神々ではありません。人間をお造りになった作者、あなたの魂の親、この世界の第一原因者、この創造主のことを聖書は神と呼んでいるのです。 ところで最先端の戦闘機、最先端のエコカー、最先端の高速列車のデザインってどこの国のどこのメーカーが造ってもよく似てるんですね。合理性をとことん追求していくと同じ形に収束されていくとも言えるんですが、しかし実際のところそれとともに、技術的にリードしている先発メーカーの製品を後発メーカーが徹底的に分析して物真似ているという面があるんです。と言うのは最先端のメーカーの作品には知恵やアイデアがぎっしり詰まっているからです。それで分析してみることでその知恵を盗み出すことが出来るんです。

いのちを造った創造主がおられる

先日、日東電工という会社がヤモリテープを開発したという記事を読みました。粘着剤を一切使わずにつけたり外したりすることが出来る魔法のテープです。しかも粘着力が抜群に強いのに簡単にはがすこともできるんですね。いったいどのようにしてこんな便利なものを開発することが出来たんでしょう。
ずばりヤモリの足の裏を物真似たと言うのです。ヤモリは天井をすたすた裏側から歩くことが出来ます。片足だけで全体重を支えることも出来ます。しかも粘着剤は一切使いません。このヤモリの足の裏に生えている産毛が200ナノメートルの大きさなのです。非常に細かいために物理世界に働くファンデルワールス力を使って脱着が自由自在にできるというのです。このヤモリの産毛の構造を工業的に物真似たものがヤモリテープなんです。これは後発メーカーが先発メーカーの作品を物真似て知恵を拝借するのに似ていると思います。
ところで物真似たくなるような作品には先行メーカーという作者がいます。とするならば、人間が物真似るこの自然界という作品には当然作者がいるということになるのではありませんか。
このすべての自然界、いのちあるものを造られた作者がおられるのです。その方を聖書は創造主と語るのです。この方はヤモリにも勝るあなたを素敵に価値あるものとして造ってくださったあなたの魂の親なんです。

死後に永遠の裁きがある

第二に、私たちは誰もが救済を必要としている罪人であるということです。
ところで罪とはなんでしょう。自分の造り主を忘れ神から離れて生きることです。私は先日高速道路を車で走っていた時、驚くべきものが目に入って急ブレーキをかけてしまいました。真っ赤に血で染まった人間の腕が横たわっているように見えたんですね。しかし、よくよく見ると赤いゴム手袋でした。しかし、しばらく胸がドキドキして止まりませんでした。とてもグロテスクなものに見えたからです。
人間の腕って体につながっているときには実に美しい芸術作品のように見えますね。鍛え上げられたボクサーの体は何とも美しくまた頼もしいものです。ところがそれが本体から切り離されるや否やそれは美しいものではなくグロテスクなもの、異様なものに見えるのです。
神と調和し神と共に生きるように設計された人間は神と共に歩むときに美しい姿です。しかし、神から離れて生きる姿は実は神の目に異様なものなのです。それは体から離れた腕が勝手に動いたり活動したりするような光景です。そしてやがて体から切り取られた体の部分は腐って死に絶えていきます。それと同じように神から離れた人間はいつまでも生きることは出来ません。最後は死ぬのです。そして人間は死んで終わりではありません。死後に永遠の裁きが待ちかまえているのです。裁きとは神のない世界に落ちて行くことです。

キリストが私たちの罪を背負われた

しかし、第三に神は私たちを愛するあまりご自分の一人子イエス・キリストを遣わしてくださいました。そして私たちの罪をキリストにおいて償わせてくださったと語るのです。
この番組のタイトルは「聖書と福音」と言います。聖書と宗教、聖書とキリスト教ではありません。「聖書と福音」なのです。では宗教と福音は何が違うんでしょう。どこが違うんでしょう。宗教とは永遠の命を得るために人がしなければならないことを教える教えのことなのです。しかし、福音とはあなたが罪赦され天国に行くために、神があなたに代わってしてくださったことを伝える事実に関するニュースなんです。
あなたの罪の赦しは神がキリストにおいて全部してくださいました。もう終わってるんです。後はあなたがこの福音を受け入れるだけでよいのです。どうぞ神がキリストにおいて完成してくださったこの救いを今、心の中に受け入れてください。心からお勧めしたいと思います。

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