旧約聖書
「わたしがあなたのそばを通りかかったとき、あなたが自分の血の中でもがいているのを見て、血に染まっているあなたに、『生きよ』と言い、血に染まっているあなたに、くり返して、『生きよ』と言った。」
(エゼキエル16:6)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.786 2015年4月19日

「生きよ」

おはようございます、高原剛一郎です!

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 私は昨年ハワイの高校で聖書のメッセージをしました。それから、みんなでビーチに行ってバーベキューを楽しみました。
そのビーチではその時にサーフィンの国際大会が開催されていて、私もしばらく見学したんです。や、プロのテクニックは本当にすごいです。連れて行ってくれた一人がこんなことを言ってました。サーファーはどんなに頑張っても良い波は作れない。でもいい波が来た時に乗るための練習は怠らない。私たちも神様が下さったものに運ばれていくんですよね。ただし、そのチャンスに乗るかどうかは本人の選択にかかっていますけど。とっても印象に残る言葉となっています。神様が下さる救いの波は私たちを暗闇の世界から光の世界へと運んでくれる力あるものです。そして神様は全ての人にこの救いを受け取ってほしいと願っておられるのです。

旧約聖書:エゼキエル書16章6節

 さて聖書の中に次のような言葉があります。

「わたしがあなたのそばを通りかかったとき、あなたが自分の血の中でもがいているのを見て、血に染まっているあなたに、『生きよ』と言い、血に染まっているあなたに、くり返して、『生きよ』と言った。」

これは周りの人々から期待もされず愛されもしないユダヤ民族への愛を語っている箇所です。産み落としたお母さんに産湯も貰えず、そのまま捨てられていた血まみれの赤ん坊への呼びかけになぞらえて、神は私はあなたを愛しているよとおしゃっているのです。ここから3つのポイントでお話ししたいと思います。

神はあなたをお見捨てにならない

 第一に、たとえ実の親からも見捨てられることがあったとしても神だけはあなたを決して見捨てずに守っておられるという事です。
ところで最近ムーミンがブームになっているようですね。フィンランドの童話です。主人公のムーミンがおさびし山にピクニックに行ったとき、彼は魔法の帽子を拾います。ずっと家の中に置いていたのですが、ある時、家の中で隠れん坊をすることになるのです。ムーミンは咄嗟に帽子の中に隠れるのですが、そのために彼は魔法にかかってしまうのです。帽子から外へ出た時、怪物の姿に変わり果てているのですね。今まで仲良く遊んでいた友人たちは皆顔を背け、後ずさりし、声をかけても酷い言葉しかかえってきません。皆は賢い美しいムーミンの事は愛するのですが、醜い姿に変わり果てた彼を邪険にあしらうのです。「僕は怪物じゃないムーミンだ。」と涙ながらに訴えるのですが誰も信じてくれないのです。そこへムーミンのママが帰宅するんです。ムーミンは言います。「ママ、あなたなら僕が紛れもなくムーミンだって分かるはずです。なぜなら、あなたは僕のママだからです」ムーミンママはその怪物をじっと見、手で触れ、匂いを嗅ぎ、そして一言、「確かにあなたはムーミンです。私の愛する子供です。」♪ とその瞬間、ムーミンは元の姿に戻るんですね。私はこの話が大好きです。ムーミンはいかにして元の姿に回復したんでしょう。自分を生んだ存在と繋がることによってです。自分を愛し、信じてくれる存在の言葉を聞く事によってです。このムーミンママはあなたを造られた神のひな形のような存在だと思います。神様はたとえあなたの生い立ちがいかに暗くても、またあなたがいかに弱くなっていっても、小さくなっていっても、醜くなっていったとしてもあなたがあなたである事をよーくご存じの方なのです。

私たちは生きるように命じられている

 第二に、この方は私たちが生きる事を命じておられる方です。生きるというのは神の命令なのです。
昨年、永遠の0という特攻隊員を主人公にした小説がベストセラーになり、また映画になりましたね。私も今年、特攻隊員の語り部の方からお話をお伺い、心に深く突き刺さるものがありました。今年は終戦70年という事で様々な歴史の物語が語られていますが本当に戦争というのは悲惨です。しかし、特攻だけは救いようのない悲惨さがあると思います。あの太平洋戦争では230万人の兵士が亡くなられました。その中で特攻隊員は4000人です。ですから人数では多くありません。しかし普通の兵士は万が一にも生きて戻れる可能性がありました。どれほどその可能性が低い者であったとしても、零ではなかったのです。しかし特攻兵には死しかありませんでした。この特攻の司令官に宇垣纏という長官がいました。彼はこれから出陣するパイロットを激励した後、「何か質問はないか。」と兵士たちに聞いたのです。すると一人のベテランパイロットが言いました。「もし腹に抱えている爆弾を敵艦に命中させたら戻ってきてもよいですか。」長官の答えは、「ならん。」つまりこれは敵にダメージを与えるための攻撃ではなく、特攻で死ぬという事そのものが目的となっていたという事なのです。

神はあなたを生かしてくださる方

 それと対照的な話があります。1981年イスラエルがイラクの原子炉空爆作戦を実行した時の事です。イスラエルの戦闘機は途中、ヨルダンと言う国とサウジアラビアという国を通ってイラクに行かなければなりません。そしてヨルダンも、サウジアラビアも、イラクもイスラエルの敵国なのです。しかもその当時イラクを支配していたのはサダムフセインという恐るべき独裁者でした。彼は核兵器の開発を計画していたのです。その決死の作戦にパイロットを送り出す前、イスラエルの参謀総長であったラファエルエイダンという人物はこういうふうに言いました。「万一諸君らが撃墜され敵の捕虜になったら、その時は自分の命をとにかく守ってくれ。捕虜になって捕まったら尋問が始まるだろう。そしてイスラエルの秘密情報を聞き出そうとするだろう、その時諸君らは知ってる限りの情報を全部喋ってきてくれ、間違っても秘密を守ろうとして拷問を受けるような選択はしてはならない。諸君らが全ての事を敵に話してもそれは国家への裏切りにはならない。なぜならそれは私の命令であるからだ。諸君らはとにかく五体満足を心得よ。私が命じる事を一言で言うならば、「生きよ。」である。この言葉がパイロットたちを鼓舞したのは言うまでもありません。命の神はあなたが生きる事を望んでおられます。例え今がどんなに辛かったとしてもご自分で人生を途中で投げてはなりません。神はあなたを生かしてくださる方、あなたが生きる事は神の御心なのです。

永遠の命を得る

 第三に、神が望む生とは、死につつある命で生きる生だけではなく、永遠の命で生きる事なのです。この永遠の命を与えるためにキリストが一度死んでくださいました。あなたの罪の許しのためです。そして3日目に蘇り復活の命を持って弟子たちの前に現れて下さったのです。神が本当の意味で望まれる生きよとは、神が遣わしたキリストを信じることによって与えられる命で生きよ。キリストの命で生きよ。許されて生きよ。蘇りの命で生きよ。天国に国籍を持って生きよという事なのです。どうぞあなたのために死んで蘇られたイエス・キリストをご自分の救い主として受け入れて下さい。心からお勧めしたいと思います。

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