新約聖書
「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」
(1テモテ1:15)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.780 2015年3月8日

「本気の神に本気で応える」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
 先日、パンダの特集映像を見て、いくつか驚いたことがありました。あなたは、パンダのしっぽの色って、何色か覚えてらっしゃいますか。白なんですね。パンダは部分的に黒いので、つい、しっぽも黒に違いないと思い込んでいる人が多いのですが、正解は白です。さらに、パンダの目の周りは垂れ目のふちどりになっているので、つい、垂れ目の動物だと思いがちですね。ところが、パンダの目はつり上がってるって言うんです。実際は、相当いかつい顔立ちなのですが、天然メイクが垂れ目のために、愛嬌のある動物に見えているって言うんですね。番組の中で、アシスタントの女性が言っていました。「それって、誰かがデザインしたみたい!」。その通り。この世界をメイクした方、この自然界をデザインした方がおられるんですね。聖書は、その作者のことを「神」と呼んでいるのです。今日は、この神のことば、聖書からキリストの福音をお伝えいたしましょう。

   「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」

キリストとはどのような方か

 ここから、3つのポイントでお話しいたしましょう。
 第一に、キリストは罪人のために、神のひとり子なのにこの世に来られた方だ、ということです。この物質世界をはるかに超えた天的な世界から、はるばるやって来られた救い主なのです。
 今から2年ほど前、この番組の700回放送を記念して、大阪の中之島というところで特別なコンサートとメッセージの集いを開きました。そのとき、一度ネットや電波のメッセージではなくて、直接肉声で聖書メッセージを聞きたい、と切望して、沖縄からやって来られた親子の方がいらっしゃいました。その集会に出るために、仕事を休み、コストをかけて、とにもかくにも決心したいと思って駆けつけてこられたんですね。私はその態度に、本気の覚悟を見ました。そして、本気に触れると、こっちも本気にならざるをえなくなるのです。あなたをお造りになった神は、あなたに対して本気の神です。あなたを本気で愛し、本気で救い、本気で人生を新しくするために、天的世界からこの世にまで、ひとり子を送ってくださったのです。キリストの登場は、神の本気の表れなのです。

キリストが罪人に対して抱いている思い

 第二に、キリストは、罪人を見ると救いたくなる方だ、ということです。
 NHKの「プロフェッショナル」という番組で、神業のような仕上げをするクリーニング職人のことが紹介されていました。東京で高級服専門のクリーニングを手掛ける、古田武さんといわれる方です。彼のお店に持ち込まれるものは、他のクリーニング店で失敗したものや、あるいは、依頼を断られた形見の品などで、極めて難しい仕事が多いんですね。それで、シミ抜きひとつ取ってみても、繊維やシミの性質に応じて、50種類以上の薬剤を使い分け、ルーペを使って繊維の一本一本まで確認するのです。伸縮しやすい服の場合は、洗う前にすべて採寸、記録し、ミリ単位の正確さで元の形に仕上げていきます。一着洗うのに一日以上かけることもしばしばです。新品と並べて見分けがつくようではプロの仕事ではない、と言って、新品と見分けがつかないところまで洗いあげてしまうんですね。
 彼が仕事をするとき、常に頭にあるのは、「服を任されたのではなく、思い出を託されているのだ」ということだそうです。ブランド品というのは、高額品。しかし、思い入れがあって大切にされているものは、世界にふたつとない高級品です。私はそれを手入れさせていただいているのです。なんと光栄なことか!と仰っていました。他の人から見たら汚れた古着であっても、依頼者にとっては、物語の詰まったかけがえのない形見の一着、ということがあり得るのです。それだからこそ、彼は、難しい仕事であればあるほどクリーニング師魂が燃えてくるって言うんです。ひどい汚れ、やっかいなシミ、ダメージを被っている服であればあるほど余計に、何とかせずにはおれなくなる、と仰るのです。

十字架と復活を通して私たちに示されたこと

 私はその言葉を聞きながら、罪人の罪を洗い清めずにはおれないキリストのことを思いました。キリストは、私たちの罪がひどければひどいほど、けがれていればけがれているほど、ますます清めたい、白くしたい、跡形もなく新しくしたいという思いに燃えあがる方なのです。なぜなら、この神である方は、人間の本当の作者であり、あなたに対して美しい物語、美しいプランを思い描いておられる方であるからです。ところで、けがれ、よごれを落とすためには、その汚れの原因物質に合わせた洗剤があるんですね。ただやみくもにゴシゴシ洗えば良いっていうような話ではないんです。汚れを分解し、消滅させる薬剤を選定しなければならないんですね。罪を完璧に洗い流すことも、これと同じです。人間の罪は、どんな修行、どんな良い行い、どんな宗教によっても消し去ることはできません。ただキリストの血潮だけが、罪を消し去ることができるのです。キリストは、私たちの罪を消去するために、あの十字架の上で尊い血潮を流してくださったのです。キリストのいのちが、あなたの罪を消し去ったのです。そして、それはもう既に終わっているのです。そして、神さまの目から見ても罪はどこにも見当たらないほど、完全な救いが成立しているのだ、ということのあかしとして、キリストは死後三日目に復活されたのです。

新しい人生の始まり

 第三に、それでは、私たちはどうすべきなのか、ということです。私たちの罪のために、キリストが十字架で死んでくださったこと。墓に葬られたこと。そして、三日目に復活されたことを、真実なこと、まことのことであり、そのまま受け入れるに値する神からのメッセージとして信じることなのです。あなたがこのキリストの福音を信じるなら、あなたはその瞬間に神の子とせられ、すべての罪は忘れられ、そして、死後の行き先が永遠の裁きから天国に転換します。さらに、キリストを信じた者たちに与えられる、新しいいのち、新しい霊によって、あなたは新しい人生を始めることになるのです。
 どうぞ、このイエス・キリストを、あなたご自身の救い主として、信じ、受け入れてください。心からお勧めしたいと思います。

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