旧約聖書
 「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神は彼らを祝福された。」
(創世記1:27-28)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.776 2015年2月8日

「P53遺伝子が物語る神の創造」

おはようございます、高原剛一郎です!

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 先日私は最先端のがん治療を紹介する番組を見ました。その中で頻繁に登場したのが"P53"という言葉です。これはがん抑制遺伝子の一つで、研究者の中では、遺伝子の守護神といわれているそうです。がんというのは有害な刺激によって、突然変異した細胞が暴走する病気です。例えば、ヘビースモーカーの人はそうでない人に比べて肺がんになる確率が20倍も高いのですが、それはタバコという有害な刺激によってDNAが傷ついてしまうからなのだそうです。ところが、このP53という遺伝子はがん化した細胞の突然変異をいち早く察知してくれます。そして発見したがんの分裂を止めて、がん細胞の増殖を食い止めます。また、がん化した細胞を自殺に追い込む機能があるのですね。常に私たちの体の中でDNAの損傷があるかないかをパトロールし、がんをやっつけるために働いている遺伝子がP53なのです。また最近ではがんになりやすい家系の研究が進んでいます。それによると、P53が欠損した家系では様々ながんが多発するということが分かっています。最先端のがん治療ではこのP53をベクターという乗り物に乗せて大量に患部に注入する方法が紹介されていました。P53の大量投入によって劇的な変化を起こす例が、発表されていたのです。

 
P53の存在は進化論を覆す

 ところで、このP53という遺伝子はがんを抑制するという働き以外にもう一つ重要な働きがあるということが分かってきたのです。それは生まれてきる赤ちゃんを奇形の発生から守るという役割なのです。たとえばお母さんマウスのP53を人工的に止めてしまうと、生まれてくる赤ちゃんマウスの70%に奇形が発生するというレポートがあるのです。赤ちゃんの奇形の多くは遺伝子の突然変異によるものだとされています。P53はこれらの突然変異をキャッチすると、突然変異を起こした細胞を自滅に追い込んでくれるのです。そこで最近の小児外科の領域では、赤ちゃんの奇形を防ぐためにP53を利用しようという取り組みが始まっているそうです。さて、このP53は人間だけが持っているのではありません。すべての哺乳類や昆虫、また線虫にも共通しているのですね。そのためP53は進化によってはじめの生物から人類へと長年にわたってバトンタッチされてきたものであって、P53の存在こそが進化の証拠なのだと言われてきたのです。しかし、P53の役割が解明されていくにしたがって、進化の証拠とはとても言えないということが言われているそうです。というのは進化というのは突然変異が繰り返されて、別の生物になっていくという説明なのですね。単細胞生物が突然変異を積み重ねてとうとう人類にまで変化したというのが進化論です。しかし、多くの生物が持っているP53遺伝子は突然変異を防ぐ遺伝子なのです。ほとんどの生物がP53を持っているということは、ほとんどの生物が突然変異が起こらないメカニズムを備えているということなのです。突然変異を起こし難い仕組みががっちり組み込まれた生き物は、どんなに時間をかけても別の生命体になることは期待できないのです。また、家系的にP53が不足しているものは、たしかに突然変異を起こしやすい体質にあると言えるのですが、それはがんにかかりやすい体質、奇形になりやすい体質のことであって、その生物にとっては決定的に不利なものでしかないのです。じつはP53というがん抑制遺伝子の存在は、進化論の土台を根底から覆すものなのです。

神のかたちとして人は創られた

 人間が進化によって存在するようになったのではないとするなら、では人の起源はどこにあるのでしょう。聖書はこの世界とその中にあるすべての生命体をお創りになった創造主なる神こそが人間の作者なのだと宣言しているのです。聖書によると神様は犬は犬、馬は馬、そして人を人として、それぞれ種類に従ってお創りになったと書かれています。そして特に人間に対してはこのように書いてあるのですね。

神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神は彼らを祝福された。

神のかたちとして人間を創られたというのはどういう意味でしょう。神の人格に似せて、人間を人格的な存在として、創ったということなのです。特に神と交わる人格を持つものとして人間を創られたのです。神の呼びかけに応答できる存在として人は神に創られました。

自分に価値がある理由をご存知ですか

 今から十数年ほど前私はある地方の中学校の教育講演会に招かれたのです。その公演が終わった後、中学2年の男の子が、私の自宅まで手紙を送ってくれました。そこには彼の辛すぎる生い立ちがしたためられてあったのです。お父さんはある日突然姿を消し、お母さんは家族のある男性と暮らし始めました。そして居場所のなくなった彼は学校を休んでいるうちに、勉強が分からなくなり、もともと自信がなかったけれどますます自信がなくなってしまい、自分は何かしようとするとき、すでに失敗することがなんとなく分かるようになってしまう。そして実際やってみると、やっぱり思っていたと売りに失敗してしまう。何のとりえもない僕は生きている意味があるのでしょうかという、そんなお便りでした。わたしは彼のストーリーを読みながらひとりの人を思い出しました。それは私です。自分に対する考え方が少年時代の私とよく似ていました。それで私は彼がまるで自分の第三の息子のように思ったほどでした。私たちは愛してくれるはずの人が去り、居場所がなくなり、どこに行っても失敗を繰り返し、誰の役にも立っていないように感じ、迷惑しかかけていないもののように思えるとき、人生に絶望してしまうのではないでしょうか。しかし、それでも自分には価値がある、それでも人生は生きるに値する、それでも人生には望みがあると言える理由を、あなたはご存知でしょうか。

神のかたちに創られたから価値がある

 聖書にはその理由がはっきりと書いてあります。それでもあなたには価値があると言える根拠、それはあなたが神のかたちに似せて創られているという事実なのです。今の自分がどんなにみじめな状態であったとしても、神のかたちに創られたという事実は覆りません。神はあなたを愛しておられるのです。やがて彼は教会へ行き、聖書を読み、キリストに出会い、そしてある集会で再会した時にこう言ったのです。この世の中で自分に劣等感を持っているのは自分だけだと分かりました。ほかの人は全部自分のことで精いっぱいで、私のことなんか何も思っていません。だから私がそれを捨て去った時に、それが世界から消えてなくなるのだということが分かりました。わたしは劣等感のおかげでキリストが分かったので、今はあの少年時代のことですら恥ずかしいとは思いません。完全な勝利を味わっている彼を見て、私も自分のことのようにうれしくなりました。
 どうぞあなたも聖書にふれて、あなたの創り主である神をイエスキリストにおいて出会ってください。心からお勧めしたいと思います。

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