新約聖書
 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
(ルカ23:43)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.768 2014年12月14日

「ベツレヘムからゴルゴタへ」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
 ある調味料のメーカーでは、下がってきた売り上げをアップさせるための会議を開きました。どうすればもっと売れるかについて、優秀な社員が集まって、いろいろアイデアを出して試してみましたが、うまく行かないのです。そんな時、一人の女性社員がこう言ったそうです。「(調味料が)出てくる穴の大きさを、二倍にしたらどうかしら。」試してみたところ、売り上げは倍増でした。いったい、それまでのアイデアとどこが違ったんでしょう。「問いかた」が違ったんですね。どうすれば売り上げが上がるか、ではなく、どうすればもっと早く買ってもらえるか、と考えたんです。これは、人生についても言えることだと思います。それは、質問を変えてみることで、解決が見えてくることがあるからです。私たちは、様々な試練や辛い目に遭うと、どうして自分だけがこんな目に遭わなければならないんだろう、いつになったら抜け出せるんだろう、と問いがちです。どうして、いつになったら、という問いかたで人生を考えていると、心が後ろ向きになり、ついつい恨みがましくなりますね。しかし、この状況の中で私自身が人生から、あるいは神から期待されていることは一体なんなんだろう、と、自らが問われる者となるなら、人生の見え方が一新するやも知れません。

キリストの十字架

  今から2000年ほど前、キリストのすぐ隣で、イエスと同じように十字架に張り付け処刑された人物が聖書の中に出てくるのです。彼は、始めは恨みと怒りでいっぱいでした。同じく十字架にかかっているイエス・キリストに、やつあたりの暴言を吐くのです。しかし、人から受けるどんな嘲り、どんな罵りにもまったく心乱されることなく、ただ平静な心のままで、肉体の極限の痛みに耐えながら神にとりなしの祈りを捧げるイエス・キリストを見ているうちに、心が次第に変わっていくのです。犯罪を犯して処刑されている自分でも、まだまだ生きられる人生を中断させられることに、悔しさがこみ上げてくる。それなのに、悪いことは何一つしなかったイエス・キリストは、この十字架の上で怒りも悔しさも憎しみもなく、かえって、それどころか、キリストを十字架につけた者の赦しを神に願っているとは。この方はいったい、誰なんだろう。そして、このイエスこそは人としてこの世に来られた救い主だと、悟るようになるのです。その犯罪人に、キリストが語ったことばです。

「イエスは、彼に言われた。『まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。』」

真実をあなたに

 このことばに、キリストがこの世に来られた三つの理由が示されています。
 第一に、キリストは「まことに」あなたに告げるために来られた方、真実を真実として告げるために、この世に来られた方なのです。それがどんなに聞きたくない言葉であったとしても、それを知らなければ破滅するということであるなら、嫌われることをものともしないで、本当のことをまっすぐに告げてくださる方です。
 ワンマン社長の会社がダメになってゆく1つの理由は、周りをイエスマンで固め、耳の痛い情報が入ってこなくなることです。真実がわからなくなると、正しい判断はできませんね。しかし、真実は、しばしば人気がない情報です。キリストはこの世に来られたとき、その真実を語ってくださったのです。全ての人がそのままでは誰一人救われようのない罪人である、という真実を語られました。同時に、その罪人を救うためにこの世に人として来た神であるという、ご自身のことを紹介なさったのです。そしてこれが、当時の人々の逆鱗に触れたのです。

あなたを導かれる方

 第二に、この方は罪人とともにいて、人間の造り主のもとに導いくために来て下さった方です。私は、ともにいて導く、というとすぐに連想する装置があるんですね。それはカーナビシステムです。目的地を入力すると、最短コースを手引きしてくれます。ところでこのカーナビは、案内はしますが、強制はしません。従って、無視して別のコースを突き進むこともできるんです。カーナビの情報より自分の土地勘を信じて、かえって渋滞に巻き込まれたり、遠回りしたりするっていうような事は、よくある事です。そのような時、カーナビの音声案内はどう言うでしょうか。ドライバーを罵ったり、やじったりしますか。指示に従わなかった結果こまってるドライバーを嘲ったり、笑ったりしませんね。コースを外れたという事実をしっかり受け入れながら、そこから再スタートできるベストのコースを案内してくれます。十字架上のあの犯罪人は、人生のコースを徹底的にまちがえ続けた男です。人生の結末が死刑なんですね。彼のそばには、もう身内はいなかったと思います。おそらく、被害者たちだけが、彼を罵るために処刑現場にいたことでしょう。彼は、全ての人々から見捨てられた人です。しかし、人が見限っても、キリストがあなたを見捨てることはありません。この方は、息を引き取る最期の瞬間まで人にチャンスを与え続け、そして神のみもとへの案内を決して止めることのない方なのです。

あなたを最高の場所へ

 第三に、キリストは「パラダイス」に連れて行って下さる方です。パラダイスとは、天国のことです。この天国から地上にまで来て、人として誕生し、人類に介入し、人を天国という本当のゴールに連れて行くために来られた救い主が、イエス・キリストなのです。
 C・S・ルイスという人が、こんなことを言ってるんですね。ある建物の中に、人の集団がいます。半分の人たちはそこをホテルだと思っており、もう半分の人たちは、そこを刑務所だと思っています。そこをホテルだと思っている人は、こんなにサービスが悪い、劣悪なひどいところは他にない、と思っています。刑務所だと思っている人は、思ったよりいいところだなあ、と思っています。彼によると、人生の捉え方というのは、この世界をどういうものとして見るかによって、決定的に変わってくるって言うんですね。そして、続けてこう言うんです。「この世は、自分が快適に生活をして幸せになるためにある、ホテルのような場所だと考えるなら、ひどいところだ!と言うことになるでしょう。しかし、この世は罪人だった自分の訓練と矯正の場所だと考えるなら、それほど悪くはない場所だと、思えてくるでしょう。」聖書によるなら、ここは、天国ではありません。この世界は天国ではないのです。ここは、人間が完全な幸せを見つけることができる場所ではありません。ここは、人格が鍛えられるための、厳しい道場みたいな場所なんです。そしてここは、人間の魂の永遠の住まいではないのです。神が人のために準備した本当の住まいは、天国です。その天国には、こんにちは、という挨拶だけがあり、さようならが一切ありません。別れも、涙も、争いも、死もありません。なぜなら、罪が一切、見当たらない世界であるからです。罪人の私たちが一体どうして、罪の全くない世界、天国へ行くことができるんでしょう。罪なきキリストのあがないによって、行くことができるのです。そして、このあがないを果たすために、キリストは2000年前、この世界に来て下さったんです。
 どうぞ、あなたも、ご自分の救い主として、このイエス・キリストを心に迎え入れて下さい。心からお勧めしたいと思います。

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