#1296 科学と信仰

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。三綿直人です。

ご機嫌いかがですか、三綿直人です。先日、長野県のあるところで講演した後、参加していた1人の大学生に質問されました。「三綿さん、日本で有名でかつ影響力ある人たちの多くは、神の存在を信じていませんよね。彼らは賢いし、科学的、論理的に物事を考える人たちです。その彼らが神の存在を認めていないということは、やはり神がおられるのは科学的論理的ではないということではありませんか。三綿さんは神を信じておられるんですよね…」という感じなんですね。確かに彼があげた影響力を持っている、賢いと思われている人々の中には、神を信じない人で、歴史上最大の嘘はキリスト教だと言っている人もその中に入っていました。この若者のように考える人たちは日本では多いのではないかなぁと思わされます。聖書はこの世界は神によって造られた。命は偶然発生したのではなく、神によって造られたと教えていますが、それは果たして非科学的なのでしょうか。証拠や根拠はないのでしょうか。科学的論理的に考えると神はいないという結論に本当に至るのでしょうか。今日は『科学と信仰』とタイトルをつけて3つのポイントで考えてみましょう。

この世界には秩序がある

まず1つ目のポイントは、この世界には秩序があるということです。科学や論理は秩序があるので発展しますよね。科学も論理も無秩序では成り立ちません。衛星を飛ばしたり、自動運転を実現したり、ロケットを打ち上げることができるのは、この世界に秩序があるからです。秩序があるので計算できます。これは神を認めない人も神を認める人も同じ結論です。この世界には確かに秩序があるのです。そして、この世界の目に見えない法則、秩序を発見してきたのが科学者たちなのです。では神を認める人と認めない人の違いはなんでしょう。それは、この秩序が偶然によって出来上がったと考えるか、誰かによって設定されたと考えるかです。どちらが本当に論理的だとお思いになりますか。秩序が偶然によってできたと考えるのが本当に論理的なのでしょうか。誰かが設定したと考えるのが論理的なのでしょうか。 1つ目のポイントは確かにこの世界には秩序があるということをおさえておきたいと思います。

この世界は言葉でできている

2つ目のポイントは、この世界は言葉でできているということです。私が29歳の時、オックスフォード大学教授で数学者のジョン・レノックスという方の講演を、直接聞く機会に恵まれました。一緒に写真を撮ってくれて本当に気さくな方でしたね。彼は数学者で、ある意味、究極の論理的思考の人だと言えるでしょう。彼は科学者であり、神の存在を信じていて、このように説明しています。「この世界は言葉でできている」どういう意味でしょう。賢い人の言う事は重みがありますね。彼の説明によると「ニュートンは万有引力の法則を数式という言葉で説明した人」と言うんです。万物がそれぞれ引き合っている力、これは目に見えませんね。でもこの目に見えない引き合う力を数式で言語化したのがニュートンなんです。ですから数学者なら誰でもこの世界は言葉でできているということに同意すると言うんです。そして、言葉には秩序があるので、この世界に秩序があるのだと言うんです。アルファベットをデタラメに並べても言葉にはなりませんが、秩序ある並びであれば言葉として認識できますね。ピアノの鍵盤をデタラメに叩いても感動しませんが、楽譜という秩序に従って音が鳴ればハーモニーを奏で、私たちの心に感動を呼び起こすんです。人間のDNAを解析したフランシス・コリンズという人は、アメリカ大統領に報告する時、このように言いました。「DNAは神の言語です」確かにこの世界も、音楽も、命も言葉でできているのです。聖書にこんなことばがあります。

「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。

すべてのものは、この方によって造られた。この方によらずにできたものは一つもなかった。この方によってできたものはいのちであった。」
実に聖書は2000年前からこの世界はことばでできていると語っているんです。そして、このことばは神であったと教えています。さて整理しましょう。この世界には秩序があります。そして、ことばにも秩序があります。秩序を定めた方、神がことばによって秩序ある世界を造ったと聖書は教えているのです。もし神を認めないなら、秩序はどこから来たのか。そして、ことばはどのようにして生まれたのかを説明しなければなりません。私は聖書が教えている通り、この世界はことばでできているというのが非常に論理的な説明だと考えていますが、皆さんはいかがでしょうか。

科学の致命的欠陥

3つ目のポイントでメッセージを結びましょう。科学の致命的欠陥ということについて考えてみたいのです。ジョン・レノックス教授は数学者ですが、科学には致命的欠陥があると話します。それは『なぜ』については分からないのだと言うんです。どういうことでしょう。彼はこんなたとえ話をして説明しているんですね。ある女性がノーベル賞受賞者たちにケーキを作ってご馳走します。そしてこの科学者たちに科学的にケーキを分析してほしいと依頼するんです。彼らはケーキがどのような物質でできているか丹念に調べます。何をどのようにの分析は完璧です。しかし彼らにケーキを作った女性が問います。「このケーキは何のために作られたんでしょう」彼らは一斉に答えます。「それは作ったあなたに聞かないと分からない」その通りですよね。科学では説明できないし分からないんです。科学はこの世界がどんなものであり、どんな法則があり、どんな構成となっているのか、いろんなことを調査分析できます。しかし、なぜこの世界が存在するのか、何のために存在するのかは科学では分からないんです。それが科学の致命的欠陥です。科学が全てだと考えている私たち日本人も、よくそこは考えなければなりません。なぜこの世界は存在しているんでしょう。それはこの世界を造った方に聞くしかないのです。この女性がケーキを作った理由は、自分がイエス・キリストを信じた記念としてということだったんですね。ぜひ、あなたもこの神の存在を認め、この神に聞いてほしいと思います。この世界は何のために造られたのか。あなたは何のために存在しているのか。聖書の神は確かにその答えをお持ちです。あなたが科学という枠だけにとどまらず、この聖書の神に聞く。信仰を持って聞く。そのような人になっていただくように心からお勧めします。
 
 


使用CDジャケット
ミクタム:あなたのみことばは

今日のみことば
初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。
この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。
(ヨハネ1:1-4)