旧約聖書
『 わがたましいよ、主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 』
(詩篇103:1,2)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.922 2017年11月26日

「感謝して神を知る」

おはようございます、慶相龍です!

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先日エモンズという方の「ありがとうの小さな練習帳」という本を読みました。それによると感謝の気落ちは、幸福への効果が確認されているそうです。
確かに感謝の気持ちが心を満たすとき、私たちの心には喜びや幸福感があるのではないでしょうか。

わがたましいよ、主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

これはダビデによる感謝の詩篇と呼ばれている、詩篇103編の冒頭の部分です。
日本語の聖書ではこの詩篇103編に、「感謝」という言葉は出てきません。しかしこの103編に一貫しているダビデの心は、感謝で満ちあふれ、感謝のゆえにダビデの心が、喜びと幸福感で満たされていることがわかるのです。
いろいろな方の話を聞いていますと、「神の存在は信じている。その方がわたしを愛しておられることも知っている。しかし私の心には喜びがない、特別に幸せを感じることもない。」とおっしゃる方がずいぶんいることに気がつきます。
そういった方に、神ご自身がしてくださったこと、そしてしてくださることを覚えながら、神に感謝することを是非お勧めしたいのです。

神に感謝する喜び

まず第一に、あなたの造り主である神に感謝するのです。
先日、知り合いの飼っているチワワという種類の犬が、子犬を四匹生みました。それで知り合いは、わたしに向かって「一匹もらってくれない?」と言うのです。
私は犬が大好きなので、飼いたい気持ちはやまやまだったのですが、返事を保留にしてもらいました。チワワを引き取るためには、家内の承諾が必要だったからです。
そして結婚してから約20年間、家内が犬をかわいがっている姿を見たこともなく、犬が好きであるという言葉も聞いたことがなかったので、反対するだろうと半ばあきらめていたのです。
ところが「どうする?」と尋ねると、間髪入れずに「ただでくれるんだったらもらう。」と答えたのです。
かくして私たち夫婦は、チワワ犬のオーナーになりました。そして私たちは、生まれて間もないチワワ犬を自宅に引き取るために、必要なすべてのものを用意したうえで、「さあワンちゃんをわが家に迎えよう」ということになったのです。
ところで神は、人間がこの世で生きていくために必要なすべてのものを用意したうえで、「さあ、人間を造ろう。」と仰せられた方です。
今あなたは呼吸をしています。神があなたのために造られた空気を吸って生きているのです。神に向かって、「ありがとう」と言ってみてはどうでしょう。
今、あなたは木で作られた椅子に座って寛いでいるかもしれません。もともと木というものを作り、それにいのちを与え、りっぱな材料として使用できるようにされた神に、「感謝します」と言ってみてはどうでしょうか。
今、あなたにはかけがえのない大切な人がいるかもしれません。その人を生んでくれたご両親に、そしてその人が生まれるまでに代々続いてきたその方の家系のすべての人に、そしてもともと人間を造られ、「産めよ、増えよ、地を満たせ」と祝福された天地万物の創造主なる神に、感謝をささげてみてはどうでしょう。
そして寝床についたとき、その日神様に感謝したひとつひとつのことを思い出しながら、「こんなに感謝に満ちた一日を造り、この一日を生きるいのちを与えてくださった神様ありがとう」そう言って、眠りにつかれたらどうでしょうか。
神のしてくださることに、ひとつひとつ感謝をささげるとき、神がどれほどあなたを愛し、どれほどの企てをもってあなたを生かしておられるのかを知ることができるのです。個人的に神を感じることができるのです。
個人的に神を喜び、神とともに生きることの幸せを感じることができるのです。

天国とその前触れの千年王国

第二に、あなたを罪から救い、あなたに天国での市民権を与えてくださる神に、感謝するのです。
イエス・キリストは聖書に預言されたとおりに、あなたの罪のために死なれ、葬られ、三日目に罪の結果である死に打ち勝ってよみがえられました。そしてこの方をあなたの救い主である神と信じ、受け入れるなら、あなたの罪は赦されます。罪赦された者だけが入ることのできる神の国、永遠の天国での、永遠の市民権があなたに与えられるのです。
ところで天国とはどういうところでしょうか。実は、聖書にはその具体的な描写があまりないのです。
しかし天国が実現する前に、キリストがこの地上にもう一度来られます。そして全世界を千年間、直接統治される「キリストの千年王国時代」という期間があります。
天国の前触れのように現れるその時代は、目の見えない者の目は開き、耳の聞こえない者の耳はあく、そのとき足のなえたものは鹿のように飛び跳ね、口のきけない者の舌は喜び歌う時代であると預言されています。
私は中学生時代、テニスクラブに在籍していました。今では考えられないことですが、当時のクラブ活動では練習中に水分を補給することが禁止されていました。運動中に水を飲むと、腹が痛くなったり、バテやすくなるということを信じていたからです。
私も例にもれず、練習中にのどが渇いても水分は摂りませんでした。当然、水が飲みたくて仕方なかったのです。汚い泥水がコーヒー牛乳に見えるほど、のどが渇いていたのです。
練習が終わると一目散に水飲み場に駆け込み、水を飲みました。のどが渇いている私にとって、水を飲むことに代わる喜びはありませんでした。それと同じように目の見えない方にとって、見えるようになることに代わる喜びはありません。耳の聞こえない人にとって、聞こえるようになることに代わる喜びはありません。足のなえた方にとって、飛び跳ねられることができるようなることに代わる喜びはありません。口のきけない方にとって、口がきけるようになることに代わる喜びはないのです。
天国の前触れのように現れる、キリストの千年王国時代とは、そのようなかけがえのない喜びが実現する期間なのです。

見、聞き、思ってもみない喜び

天国の前触れのような期間がそうであるならば、天国ではどのような喜びが実現するのでしょうか。
聖書は語ります。それは目が見たこともなく、耳が聞いたこともなく、人の心に思い浮かんだことのないような喜びの時代です。
ある方の娘さんが、出産時の医療ミスによって脳に障害がおよび、将来体を自由に動かすことの見込めない状態で生まれてきました。
お父さん、お母さんは娘さんを愛し、大事に大事に育てました。娘さんもそんなお父さん、お母さんが大好きです。
小学生のころ、娘さんはお父さんに話しかけました「お父さん、天国で一緒にかけっこしようね」。この地上で、この親子が一緒にかけっこをする姿は、おそらく見ることができないでしょう。しかし天国ではそれが必ず実現します。やがて天国で念願がかなって、お父さんと娘さんが喜びながらいっしょにかけっこをしている姿を想像するだけで、こちらも喜びがあふれ、目頭が熱くなります。
しかし、それにもまさる喜びが、見たことも聞いたことも心に思い浮かんだこともない喜びが、天であなたを待ち受けているのです。
どうかイエス・キリストをあなたの救い主である神と信じ、受け入れてください。そしてあなたの造り主である神に感謝し、やがて実現する天での喜びをあなたのものとしてください。真の幸せをあなたのものとしていただきたいのです。心からおすすめいたします。

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