新約聖書
『 すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んできた。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と言われた。 』
(マタイ9:2)

Default Text

「聖書と福音」高原剛一郎

No.893 2017年5月7日

「偉大なる神 イエス・キリスト」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
さて江戸時代に浮田幸吉という人がいました。今の岡山県で屏風や掛け軸などを作る表具師という仕事をする人でした。
彼はどういうわけか空を飛ぶことに憧れる人でした。憧れるだけではなく本気でそれに取り組むのです。
彼は人間でも鳥のように翼があれば飛べるのではないかと考え、鳥をつかまえては翼と胴体の仕組みを調べたり、比率を調べたりしていたのです。
彼は表具師として培った技術を生かして竹を骨組みにして紙と布を貼り、それに柿渋を塗って強度を持たせた翼を作り上げます。
何十回も試作を繰り返し、とうとう28歳の時、グライダーのようなものを完成させるのです。そして天明5年1785年、今から232年前に岡山の旭川に架かる橋の欄干から飛び降りました。
風に乗った機体は数十メートルも滑空したと言われています。河原で知らずに夕涼みをしていた町人たちの頭上を旋回し、それを見た人々は天狗が飛んで来たと大パニックを起こします。
これが日本初のグライダー飛行です。いや世界初のグライダー飛行なんですね。と言うのは歴史の本に公式記録で取り上げられているジョージ・ケリーのグライダー飛行というのはこれより64年も後のことだからです。
ところが浮田のこの実験は認められませんでした。何と彼は人々を騒乱におとしいれた罪で藩士によって逮捕され岡山から所払いという追放処分を受けたのです。
人が空を飛ぶというのは当時の人々にとっては立派なことではなく世の中を騒がせる悪事とみなされたのです。
もしこの時の役人たちに先見の明があって彼を正しく評価することが出来たなら、日本の航空技術、科学技術は相当に進んだものになっていた可能性があるのです。
しかし、人々は往々にして偉大すぎる発明、偉大すぎる事件、偉大すぎる人格を正当に評価することが出来ないのです。そしてその結果、受けることが出来たはずの祝福を受け損ねてしまうのです。

不当に評価されるキリスト

さて聖書の中には、かつて人類が犯した最も不当な評価によって、正当に受け取られなかった方について紹介しています。それはイエス・キリストです。
イエス・キリストのことを悪く言う人はあんまりいないと思います。キリスト教の開祖と言う人もいるし、三大聖人の一人と言う方もいるでしょう。人類最高のお手本となった道徳家と言う方もいらっしゃるでしょう。
しかし、そのすべてが不当評価です。なぜならキリストはただの人ではなく人となられた神だからです。
この全世界をお造りになった神が人としてこの世に来られた方、それがイエス・キリストなのです。
あるとき中風という病気で身動きできなくなった人が、四人の友人にベッドごとイエスのもとに運ばれてくるという記事が聖書に出てきます。イエスはその人を見るとメッセージを中断してこう言われます。
「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦されている。」
この記事からイエスが神であることを示す三つの証拠をご紹介しましょう。

イエスは罪を赦された

第一に、イエス・キリストは初めて会った人物の罪を赦すと宣言していらっしゃるからです。
なぜそれが神であることの主張だということになるんでしょう。罪を赦すのは被害者か神以外にないからです。
例えばあなたが私の足を踏んだとします。私は赦します。またあなたが私を殴ったとします。私は赦す立場に立っています。あなたが私のお金を盗んだとします。私は頑張って赦すことにします。
このように赦しというのは被害を受けた人が加害者に対してとりうる好意なのです。
赦しというのは被害者と加害者の間で取り交わされる行為なのです。関係のない第三者が横から口出しして被害者をわきに置いて加害者に向かって「僕は気にしないから」と言ったらこれは滑稽なことです。
ところがイエス・キリストはまさにそれをなさったのです。初めて会ったこの中風の男に向かって「あなたの罪は赦された」と宣言なさったのです。
まるで彼の人生で過去において犯した罪の被害者であるかのように、あるいはその罪の当事者であるかのように赦すとおっしゃったのです。
人が口にしたらとんでもない愚かなセリフではありませんか。しかし、これがおかしくないのはイエスが神だからです。
神は全ての人の人生に正義の審判を下す権威ある方であるからです。イエスはここで神として赦しの宣言をなさってるのです。

イエスは病人の心を読み取られた

第二に、この重病患者の心の叫びを完璧に読み取っているという点で神です。
四人の友人たちは中風の男をイエス・キリストの前に連れてきました。それはイエスに病気を治してもらうためだったのです。
友人たちが期待したのは「治れ」「歩け」「癒されよ」そういう言葉です。
しかし、イエス・キリストは「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と宣言なさったんです。なぜそのように言われたんでしょう。
それはこの病人自身の心の叫びを読み取っておられたからです。
彼が本当に心の底から願っていたことは体の癒し以上に罪の赦しであったのです。友情熱き友ですら、心の中の叫びまでは見抜くことは出来ませんでした。
しかし、この男の苦悩をイエスは一目で完璧に見抜いて、彼が最も欲しがっていた罪の赦しをお与えになったのです。このような人格は人間をはるかに超えたものです。すなわち神の人格なのです。

イエスは言葉で病を癒された

第三に、キリストはこの罪の赦しが口先だけのものではなく、実効性のある宣言であるということを立証するために、彼の病を言葉で癒されたことです。
聖書はこう書いています。

「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言って、それから中風の人に、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。すると、彼は起き上がって家に帰った。

病んでいる体を一瞬で治すことが出来るのはイエス・キリストが人の作者であられるからです。
作者は作品が壊れたり傷ついたりしたとき修復することが出来るのです。
不治の病の人を言葉で癒すことによって、イエスはご自分が人の作者である創造主、神であるということを示して見せられたのです。

キリストの十字架と復活

ところで、どんな難病も癒す奇跡の力を発揮されたこのイエス・キリストは、ご自分が十字架に架かるときには一切この神としての力を使うことがありませんでした。
キリストは黙々と十字架を背負ってゴルゴタの丘を登り、まったく無抵抗のままに十字架に釘つけられ、そうして死んでくださったのです。なぜでしょう。
死後三日目の復活という、より大きな奇跡のためです。
この復活によってキリストは罪の赦しの完成と死の克服を成し遂げられたことを立証されたのです。何たる偉大な方でしょう。そして人となられた偉大なる神、イエス・キリストを認めることによってその偉大なる救いを受け入れることになるのです。
どうぞあなたもこの救い主イエス・キリストを信じ神の偉大なる救いをご自分のものとなさってください。心からお勧めしたいと思います。

コーヒーカップ
時計
MILANの消しゴム