旧約聖書
「たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない』とあなたを哀れむ主は仰せられる。」
(イザヤ54:10)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.884 2017年3月5日

「永遠不変の絶対愛」

おはようございます、高原剛一郎です!

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私は毎年、青森の教会にお招きを受けて訪問しています。
弘前市に入ると、ひときわ目を引く山が見えてきます。岩木山です。
別名津軽富士といわれる、日本百名山のひとつです。360度、どの方向からも眺めることができる、美しい山なんですね。
ところが、地元の方にはこだわりがあるようです。弘前の方は、弘前から見える岩木山が一番美しい、と言うのです。
しかし、津軽の方は、津軽の見る岩木が一番美人だ、って言うんです。
幼い頃から自分が見ている山の姿が、一番しっくり来るものになっているんですね。そして、大人になっても姿を変えずにそのままでいる山の形に、安心感を得ておられるようでもありました。
大学は東京に行くかもしれない、就職は他府県に行くかもしれません。でも、ふるさとに戻ったときには、変わらない姿で迎えてくれるものがある。
だからこそ、ほっとするんですね。

絶対に変わらないものがある

聖書の中に、こんなことばがあります。

たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない』とあなたを哀れむ主は仰せられる。

山や丘は地形ですから、めったなことでは動いたり変わったりしません。
それでも、何百年、何千年の間には、大地震や地殻変動で変わることもないわけではない。 しかし、そんなことはめったに起こらないことです。
このめったに起こらないことが、たとい起こったとしても、絶対に変わらないものがふたつある、と、あなたの造り主である神様がおっしゃるのです。

神の愛は絶対に変わらない

第一に、神の変わらぬ愛はあなたから移らない、というのです。
神とは、この全世界を造り、あなたをお造りになった創造主です。あなたの造り主である神様は、何があっても変わらない愛で、あなたを愛している、と宣言なさるのです。
あなたが絶好調のときも、絶不調のときも、神は変わらずあなたを愛します。あなたが、愛されていると感じているときも、愛されていないと感じているときも、神様の愛に変化はありません。
あなたが何をやってもスイスイうまく行くときも、何をやってもうまく行かないでいるときも、神様はあなたを愛しておられるのです。
神様の愛は、あなたの業績、言葉、態度、考え方、過去の人生に関わりなく、動きません。
あなたの周りの人々は変わるでしょう。山や丘ですら動きうるのがこの世界です。移り気な人の情は、今日あっても明日は消えてゆく、ということもあるでしょう。
しかし、神様のあなたへの愛は、断じて動きません。
もし、神様の愛を変えようとして人が何かしても、神様の愛は全く影響を受けないのです。あなたには、神様の愛をなくさせる力は何もありません。もちろん、試してみることはできるでしょう。でも、失敗します。
神様の愛は、揺るぐことがありません。なぜなら、神様のあなたへの愛は、神のご性格に基づいているのであって、あなたの人生の出来栄えに基づいたものではないからです。
神様の愛は、神がどのような方であるかに基づいてあふれ出ているのであって、あなたが今までどんな人生を生きてきたかに基づいているのではありません。また、あなたがどんな人であるかに基づいているのでもないのです。
神があなたを愛するのは、神が愛だからです。「神」が理由で、神はあなたを愛するのです。そして神様は永遠に変わらない方であるがゆえに、神様のあなたへの愛も変わらないのです。

成功者が抱える父子の和解問題

ここで神様は言われるのです。たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らない、と。
この変わらない愛によって、神様は第二の変わらないものを約束して下さったのです。
「わたしの平和の契約は動かない」と宣言されたのです。
アメリカで活躍するユダヤ教のラビに、ハロルド・クシュナーという人がいます。
彼の元には、アメリカ社会の中で大成功したユダヤ人たちが、人生相談にやってくるんだそうです。
外見的には申し分ない成功を収めた大物や、立派な業績をあげて来たユダヤ社会のリーダー達が、尊敬するラビの前で、赤裸々に自分の悩みを打ちけるのです。そしてその悩みの多くは、実はおどろくほど似通っているというのです。
多くの社会のヒーロー達が、実は内面において自分の父親との和解を果たせずにいるということに深く傷ついている、というのです。
自分の父親から、よくやった、立派だった、私の誇りだ、と言ってもらいたかったのに、とうとう、父は私を承認してくれなかった、ということに未だに心悶えている人が多い、というのです。
この、父と息子の葛藤は、永久のテーマであるかもしれません。しかし、ひとつ言えることは、人は権威あるものから「よし」と言ってもらいたがっている、ということです。
たとい、その親が自分に対して冷淡な人で、見棄てたり、殴ったりした人であったとしても、その関係が切れたままになっているなら、何かが欠けている、と感ずるのです。
その不全感はなかなか癒されません。その不全感を埋めるために、あるとき人は破滅的なことを選択をすることもあるのです。

人には神との和解が必要

しかし、父とのつながりよりもいっそう深い飢え乾き、欲求が、実はすべての人の心の奥底に潜んでいるように思うのです。それは、あなたをお造りになった神との和解です。
普通、人はそれを意識していません。だから、聖書を読もうとは思わないんですね。しかし、それでも、何かが欠けているということには気づいているのです。
ところが、その何かがわからないのです。探しているのに、何を探しているのかがわからないのです。それで、心のむなしさを埋めるために、片っ端からいろんなことを試してみます。
薬物や不倫や快楽に身を任せてしまう人もいるのです。なぜ、愚かなことにでも手を出すのでしょう。この空虚さを満たすものが無いという、その欲求がいつもあるからではありませんか。

キリストという歴史的事実による和解

この欲求は、神以外に満たすことはできません。あなたを変わらない愛で愛して下さる神と再びつながることだけが、あなたを満たすことなのです。
神様は、あなたが失敗したままで、倒れているなら倒れたままで、そのままで迎えるために、平和の契約を作ってくださいました。あなたの罪を、イエス・キリストがご自分の命で償うことによって、あなたをそのままで受け入れる、という契約です。
この平和の契約は、今から2000年前、イエス・キリストの十字架の死と復活によって完成しました。これは、キリストがすでに成し遂げて下さった事実に基づく契約です。
歴史的な事実は、すでに起こってしまったことであるがゆえに、誰も、いまさら覆すことはできません。
この契約は、動かない、変わらないものなのです。
神様との和解は、神との交渉や話し合いで決まるものではありません。キリストによる救いの前で、私たちが神様に降参して、この救いを受けることで、手に入れることができるのです。
自分を本当に幸せにするのは、神よりも自分のほうがわかっているという考えを捨てて、全ての答えはイエス・キリストにあると信じ、神があなたに与えて下さったこの救い主、イエス・キリストを信じるのです。
どうぞ、この救い主イエス・キリストを、あなたの心の中に迎え入れて下さい。心から、お勧めしたいと思います。

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