旧約聖書
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
(イザヤ43:4)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.864 2016年10月16日

「神の人間観」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
さて、日本漫画界の巨匠、手塚治虫さんがまだ若かったころ、娘さんにきいたそうです。「鉄腕アトムって好き?」
すると娘さんは答えました。「うん、すきだよ。だってやさしいもん」。この答えに手塚さんは思わずうなった、といわれています。というのは、アトムは悪いロボットや悪の一味をやっつける、正義の味方として活躍するロボットだったからです。
手塚さんとしても、より強い敵、よりパワフルな悪に打ち勝っていくストーリーを常に考えていました。ところが娘さんは、強いからではなく優しいから好きだ、というのです。
同じ作品を見ても、見る人によって評価する点がまるで違っていたことに、作者として驚いたんだそうです。
ところで、聖書の中には、神の目に人間がどのように見えているのかについて書かれている箇所があります。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

ゴールドメダリストの心の内側

ところで、世の中ではどういう人が尊ばれるでしょう。それは、成果をあげた人、勝利を獲得した人、オリンピックでいうなら金メダルを取った人だと思います。
しかし、神様の目には、どんなに恥ずべき人生を生きてきた人であったとしても、神の作品として造られたがゆえに、神の目には尊いものとして映っているのだ、とおっしゃるのです。
今年のリオオリンピックでは、オリンピック史上初の大記録が生まれました。それは、ひとりで23個もの金メダルをとった人が現れたんです。銀メダルと銅メダルを加えると28個もとった人です。それは、アメリカの水泳選手、マイケル・フェルプスという人でした。別名「水の怪物」といわれる天才スイマーです。
しかし、オリンピックの二年前まで、彼は人生で最悪のところを通っていたというのです。
それまで彼は水泳選手として輝かしい実績を残していました。ゴールドメダリストの名前がいつも彼についてまわったんです。しかし、彼の心の奥底には、いつも恐れがあったといいます。
実は彼が八歳のとき、ご両親は離婚したのですが、父親はほとんど彼に会いに来ることはなかったんだそうです。そんなことを気にせずに済ませることが、長い間はできていました。というのは、目覚しい活躍のおかげで多くのファンが彼に会いに来たからです。
しかし、彼の心の深いところでは、自分の父に捨てられた子ではないのか、とか、自分には価値がないのではないか、という疑念がいつもぬぐわれることなく残っており、ふとしたときに湧き上がってくるとどうにもならなくなっていたというのです。
そのイライラを忘れるために、彼はスポーツ選手でありながらお酒を飲むようになりました。そして飲酒運転で二度も捕まり、大会出場資格を剥奪され、行き詰まる中でタバコが止められなくなりました。普通の大人がお酒を嗜んだりタバコを吸っていたとしても、人は何も言わないでしょう。しかし、スポーツ界の大スターが選手生命を縮めるようなことにふけっている姿に、多くのアメリカ国民は失望しました。そして、彼は徹底的に批判されるようになっていくのです。

神に造られたという価値

やがて彼はうつ状態に入り、世界は私がいないほうがうまく回っていくのではないか、とか、私は人生を自分で終わらせるべきではないのか、と考えるようになっていったというのです。
何度も人生を失敗し、そのつど評判が落ちていく中で、この世界から消えてしまおうと思ったそのとき、彼の友人でアメリカンフットボールのスーパースター、レイ・ルイスという友人が、一冊の本を送ってきたというのです。
ルイス自身、過去に深刻な法廷トラブルを経験していました。彼は、大丈夫だ、必ず君にはまだすべきことが残っているのだ、人生には必ず意味があるのだと励ましたのです。
フェルプスは心理トラウマリハビリセンターというところに自ら入院し、友人から贈られた人生の目的に関する聖書メッセージ集を何度も何度も熟読しました。
そのメッセージを要約するならばこうです。人の価値はメダルの数の多さや実績で決まるのではなく、ただ神に造られたという事実のゆえに価値があるということです。その価値は、たとい人が犯した罪によっても損なわれることはありません。

ボロボロになっても価値は変わらない

わたしは何年か前、ある中学校に招かれて、一年生達にお話をしました。
250人の生徒達の前で、私は一万円札を見せて、欲しい人いますか、とききました。しばらく顔を見合わせていましたが、元気のいい男子が、ちょーだい!と叫んだのです。
私は「あげません。なぜなら私の財布の中の唯一の一万円だからです」と言いました。そして、その一万円をくしゃくしゃにしてしまいました。「しわくちゃになったからといって、一万円が一万円でなくなることはありませんね」と言うと、みんながうなづいたのです。
次に私は指で三箇所、その一万円札を破ったのです。みんな、あー!と声を上げましたが、私は平気でした。なぜなら、破れていても一万円であることに変わりがないからです。
さらに私はこの一万円札を足で踏みつけました。そして、拾い上げて、それでも欲しいですかときくと、ほぼ全員が「欲しい、欲しい」と言ったんです。なぜなら、汚されても、破られても、踏みつけられても、相変わらず一万円は一万円だからです。
君達も友達にくしゃくしゃにされたことがあるかもしれない。人に傷つけられたことがあるかもしれない。もしかしたら、君のお父さんが君を踏みつけたことがあるかもしれない。それでも、神が君を造ったという事実は変わらない。君は神様の目に高価で尊いままなんだ、とお伝えしたのです。
それは私の勝手な推測ではありません。聖書がそう語っているのです。そしてこの、ボロボロにされた人間の罪をきよめて、また人間を新しく再生するために、神はイエス・キリストを送ってくださったのです。

神の目には高価で尊い

むかし、本田宗一郎さんが、アメリカでホンダ車をたくさん売ってくれるディーラーの社長を日本に招いて、料亭で宴会を開いてあげたそうです。
ところが、慣れない日本酒で気分が悪くなったアメリカ人社長はトイレに駆け込み、そして戻してしまったというのです。そのとき、汚物と共に入れ歯を便器に落としてしまったのです。
そのトイレは汲み取り式トイレでした。汚物の上に入れ歯がプカプカと浮いているのです。本田さんは事情を聞くと、何事もなかったように便器の前にかがんで、腕を汚物の中に突っ込んで入れ歯をつかみ上げたんだそうです。
天下の大会社の社長でしたが、それを少しも恥ずかしいこととは思いませんでした。その入れ歯は汚れてしまってはいても、持ち主にとっては価値ある物であることに変わりはなかったからです。
私たちは罪によって汚れてしまってはいても、神様の目には高価で尊いままなのです。神から離れて罪の中を漂う人間を救うために、キリストは汚物の世界に飛び込んで私達の身代わりにけがれを引き受けて下さいました。そうすることで、神の目に人を高価で尊いとおっしゃるそのことばの真実を、キリストは立証されたのです。
どうぞ、あなたのために死んで下さったかた、いや、よみがえって下さったイエス・キリストを、ご自分の救い主として信じ、受け入れて下さい。心からお勧めしたいと思います。

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