「人とは一体何者なのでしょう」
「いつの間にか人間になった、っていうのは納得いかんし、5歳ってなかなか賢いねん」と言ってました。あなたは、人間はどこから来たのか、人間とは何者か、この問いに、真正面から答えること、できるでしょうか。今日は聖書から、「神様によって造られた人間」ということについて考えてみましょう。
創世記2章2節
ひとつめ、「あなたは神によって造られた存在である」。まあ、聖書はそのように語っているんです。
創世記の2章、というところに、このようなことばがあります。
神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。
アイルランドの世界遺産、ニューグレンジ
アイルランドの世界遺産に、ニューグレンジという羨道墳があります。羨道墳というのは、羨道があるお墓、ということなんですけど、羨道っていうのは、入り口から通路が延びている、その通路のことを羨道っていうんですね。入り口を入って、羨道を通って、お墓の骨が置いてあるところがある、それが羨道墳っていうそうですけど、このニューグレンジという羨道墳は世界遺産なんですね。
このニューグレンジはどのようにすごいかというと、まず、古さがすごいんです。5000年前に造られた、とされているそうですけれど、あのエジプトのピラミッドよりも古いとされてるんですね。
そして、この17メートルの長い羨道に、一年に一回だけ、太陽の光が差し込むように設計されてるんです。その、一年に一回だけっていつかっていうと、冬至の日の朝、ルーフボックスから光が差し込むんです。冬至の日の朝だけなんです。多くの人が設計の精密さ、5000年前の人がどうしてこんな高度な技術を持ってたんだろう、と驚いているっていうんですね。
現在でも、このニューグレンジを訪れた観光客は、冬至の日の朝に差し込むこの一大イベント、大人気だそうです。でも、一年に一回だけでは少なすぎる、ということで、今、夜に行ってルーフボックスから光を入れて再現させるイベントが大人気だ、と言っていました。
あなたは神に造られた
さて、このニューグレンジという世界遺産、羨道墳を見て、偶然できた、とは考えにくいんです。5000年前の人が、どれほどの知識があったか、また技術があったか、それは詳しいことは私にはわかりませんけれど、ただひとつ、その太陽の光が一年に一度だけ、しかも冬至の日の朝、羨道に差し込むように設計されているというところに、知恵を感じるんですね。知恵ある背後には、知恵者がいます。
さて、一年に一度だけの、そのことの中に知恵を感じるとすれば、この地球という私たちの住まい、また、私たちの体という、私たちの人格を入れるいれもの、これはどれほど精巧にできているでしょう。私たちはこの地球や、体や、自然界に知恵を見出すのではないでしょうか。ひとつのお墓ですら偶然できないとすれば、私たちは、偶然できることは無いのです。それは、論理的に、理性的に考えて、偶然ではないと私は信じています。
あなたは神によって造られた存在である。これは、子供だましの答えではなくて、まっすぐ聖書が語っている、あなたへのメッセージなんです。
あなたは神にとって尊い存在です
ふたつめのポイントは、「あなたは唯一、かけがえのない存在だ」と、聖書は言っているんです。
聖書の中にこんなことばがあります。「あなたがたは神の作品だ」。
この「作品」ということばは、ギリシャ語で「ポイエーマ」ということばですが、英語では「God's masterpiece」となっています。masterpiece(マスターピース)っていうのは、オリジナルなもの、ひとつしかないもの、コピーとして作られたものではないもの、質の高いもの、という意味があります。
まあ、私たちがよく知ってる言葉で「マスターキー」ってあると思うんですけど、それは「親鍵」ですよね。コピーしたものではない元々の鍵、という意味です。コピーした鍵から、またコピーした鍵を作ると、だんだんと合わなくなっていくんですよね。ですから、絶対になくせない、唯一の、大切な、貴重な鍵を「マスターキー」というわけです。私たちは神のマスターピースだ、と聖書は私たちに教えています。あなたは唯一の、かけがえのない、コピーではない、オリジナルの、質の高い存在だ、と言ってるんです。
多くの人間がいますから、私たちはもう、あの人と比べたら私なんて、とか、あいつと比べたら俺はまだ役に立つ、とか、比較の中で私たちの価値を考えようとしますが、聖書は、あなたは神の、唯一の作品である、まあそのように、私たちに語っているんです。あなたは尊い存在なんです。
あなたは神に愛されています
三番目は、「あなたは神に愛されている存在だ」ということです。
大阪府立淀川工科高等学校の吹奏楽部のドキュメンタリーを見ました。その顧問の先生が名物顧問なんだそうですけれども、まあこんなふうに、吹奏楽部の生徒に教えているシーンが印象的だったんです。
まあ大阪の先生なんで、大阪弁でしゃべってはるんですけど、「おい、おまえ。人間はな、冷たい息と熱い息を吐くこと、できるんや。意味わかるか」って言ったら、生徒がハイって言うんですね。私はテレビの前で、意味わからなかったんです。でも、生徒がこう言ったんです。「ハイ、先生、フーッと吹けば冷たい息です。ハーと吐けば熱い息です」。
その顧問の先生が、こう教えてるんですね。「これはな、ロボットにはできへんことや。人間だけができるんや。なんでできるかわかるか。おまえら、イキっちゅうのは漢字で、どない書く?」
「ハイ、自ぶんの心って書きます」
「その通りや。おまえらの心が息になるんや。吹奏楽は、息で演奏するんや。そのために大事なんは、おまえらの心や。だから、心がまず、大事なんや!」と、教えてました。
私は本当に、腑に落ちたんですね。でも、最初に読んだ聖書の箇所に、このように書いてありました。
神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。
あなたは、神の息を吹き込まれて造られた存在です。神の息、すなわち、神の心があなたに注ぎ込まれて、あなたは造られたのです。ロボットのようにではなく、あなたは愛されて、大切なものとして造られたんです。人間とは、何者でしょう。神によって造られ、唯一、かけがえのない存在で、愛されている存在。それが、あなたです。是非この聖書から、正しい人間観をお持ちください。心からお勧めいたします。