新約聖書
「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。」
(マタイ5:4)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.825 2016年1月17日

「心の痛み」

おはようございます、尼川匡志です!

カット
先日こんな記事を見つけました。それは人間が感じる痛みのランキングというものなんです。それによりますと最も激しい痛みというのは歯の神経にフッ酸を塗った時だそうです。
何の事かよくわかりませんが、とにかく痛いんだそうです。その痛みだけで死ぬというんですね。実際そのような医療事故があったそうです。
そして2位は尿管結石です。これは本当に痛い。体験済みです。そして三位はすい臓がんの末期。そして4位がガン性の疼痛です。
そしてその次の第5位に出産時の陣痛があるんですね。本当かなあとお聞きの皆さんは思われるでしょう。私もそう思っています。大体痛みの基準なんてありませんし、一人の人間がこれら全ての痛みを体験したうえでランキング付けしたわけではありません。また痛みには個人差があるもんですから、あくまで参考程度です。
ちなみに私は痛みにとても弱い人間なんです。昔から歯医者や痛みを伴う検査は大の苦手でした。一般的にこの痛みというのは男性よりも女性の方が強いと言われています。これも個人差がありますから分からないですけれども、あの陣痛に耐える性ですから納得もいきます。

もう一つの痛み、心の痛み

さてこの痛みは決して無駄なもんではありません。私たちは体を持って生きています。
しかし、その体の中で起こっている異変にあまり気が付かないんですね。この異変をキャッチして私たちに送られてくる信号が痛みです。
私たちは痛みによって自分の病気に気付き、危険を回避するように動くことが出来るんです。痛みはなくてはならないもんなんですね。
私たちの体の危険を察知できるように、この痛みというものをプログラムされた方がおられるんです。その方こそが創造主なる神です。今お話したのは体に感じる痛みの事です。 しかし、私たちにはもう一つの痛みがあります。それは心の痛みです。これはどうでしょうか。体の痛みと同じく私たちはそんなものはなければ良いと思いますよね。でもこの心の痛みにも重要な意味があると思うんです。何らかの危険を回避するための私たちへの信号だということです。

悲しむ者は幸いです

聖書の中にこのような言葉があります。

悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。

この言葉を聞かれて腹が立つと思われる方もおられると思います。それはおそらく今、心の痛みをお持ちの方ではないかと思うんですね。
そして、こう感じられると思うんです。「あなたに何が分かるのか」その通りです。私にはその痛みが分からない。残念ながらそれが愛する妻でも、子供であっても本当のところの痛みは私には分かりません。
ですから人間は誰もこの言葉を言う資格はないと思います。イエス・キリストだから言える言葉です。なぜならこの方はあなたの心を知り、本当に慰めることがお出来になる神だからです。
私は子どもの頃何もできませんでした。すべてが親頼みでした。しかし、悩みはあまりなかったように思います。困ったときは親のもとに行けば解決した。
私たち人間はある時、自分の意志と無関係にこの世界に誕生します。そして成長し、立てるようになり、歩けるようになり、言葉を話せるようになります。いろんな感情を持つようになって多くの知識や能力を身に着けていきます。未来に夢や希望を抱き成長します。大人になっていくんですね。
しかし、不思議なことにこの人間の成長に伴って悩みや問題が増えていくんです。夢や希望が減っていくんですね。子供のころは単純で世間知らずだからと私たちは考えるかもしれません。でも本当にそうなんでしょうか。

問題の原因、「罪」

以前、使っていたパソコンが何度やってもうまく動きませんでした。すぐに不具合が出てしまうんですね。確かにネット通販で買った超安い代物でしたから仕方がないのかなあと諦めていたんです。
あるときパソコンに詳しい友人から根本的なミスを指摘されました。そしてその友人に預けてみたんです。すると見違えるように使い勝手の良いパソコンに生まれ変わりました。原因はパソコンの初期設定の誤りだったんです。パソコンのせいではなかったんですね。
私たち人間は成長し、いろんなことが出来るようになりますが、それに伴って悩みが増え、問題が起こり、夢を失います。この世は世知辛いから仕方がない。そう諦めてしまいます。
でもそうではないんです。聖書はその原因について、私たちの内にある「罪」だと指摘するんです。この罪によって私たちの人生は誤作動を起こします。そして悩みが増えると言うんですね。
ではどうすればいいんでしょうか。私がパソコンを友人にあずけたように、人生の誤作動を起こす「罪」を取り除くことが出来る方に預ければいいんです。その場その場をごまかしながら対応していくのではなく、根本的な問題を取り除く必要があるんですね。

慰め主、イエス・キリスト

さて、心の痛みはなぜあるのか。体の痛みは私たちを病院に行くように促します。そして、心の痛みは同じように問題を根本的に解決できる方のもとに行くようにと促しているんです。

悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。

誰が慰めてくれるのでしょうか。イエス・キリストです。悲しむ人は決して幸いとは言えません。ではなぜイエスはあなたは幸いだと言われたのか。この方があなたを慰めることが出来るからです。そして悲しみに出会う前よりももっと素晴らしい人生に入れることが出来るのです。
私たちは心が痛む時その原因を周りに見つけようとします。こんなことが起こったから、あんな人たちがいるから、こんな失敗をしてしまったから、確かにそれらが原因で悲しみが訪れるのです。しかし、もっと苦しいことはそのような事が起こったときに慰められる場所を持っていないということなんです。
人間は決して自分の思い通りにはいきません。思いがけないことだらけです。そんな時あなたを包み込み、慰め、力付ける方がおられるんです。幼き日の親のように、今悲しみを持っておられるあなた、イエスのもとに行ってみてはどうでしょうか。
あなたの心を本当に慰めることが出来る方があなたを待っておられるんです。勇気をもって一歩踏み出してみてください。心からお勧めいたします。

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