「恵みの具現化クリスマス」
クリスマスこそは世界最大のお祭りです。日本も例外ではありませんね。12月になると、夜の街はクリスマス・イルミネーションであふれています。
クリスマスの本当の意味
しかし、クリスマスの本当の意味については、ほとんど知られていないのではないでしょうか。これは神が処女マリアの身体を用いて、救い主となって誕生したことを記念するという意味があるんです。聖書の中に、イエス・キリストの誕生を野宿する羊飼いたちに知らせた御使いのことばが記録されています。
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
今日はここから3つのポイントでクリスマス・メッセージを取り次ぎたいと思います。神は約束を守り抜かれる
第一のポイントは、神は約束を守り抜く方である、ということです。
「きょうダビデの町で救い主がお生まれになった」とありましたね。実は旧約聖書の中には、救い主が誕生する場所があらかじめ指定されているのです。それはダビデという王様が生まれた町、ベツレヘムでした。したがって、救い主は何が何でもベツレヘムで生まれなければならないのです。そしてイエス・キリストはこの旧約聖書の預言通り、約束通りにベツレヘムでお生まれになったのです。
このことがなぜ大事なのかというと、ふつう胎児は母体に影響を与えることはできないからです。母親が何を食べるか、何を飲むか、どこに行って何をするかは、母親の自由意志にかかっていることです。お腹の中の胎児が母体に何かをさせるということはできません。あえていうなら、つわりくらいです。つわりは母体を安静にさせるための非常手段ですね。しかし、胎児がこれ以外に、母体をコントロールすることはできません。
しかし、胎児であるイエスを妊娠していたマリアは、いいなずけのヨセフとともに、普段生活しているナザレから、100キロ以上離れたベツレヘムに旅をしていたのです。このように神は、聖書で約束されたことは必ず、不思議な方法で実現していかれる方、約束を守り抜く方である、ということなのです。
神は私たちを探し求められる
第二に、神は、私たち人間を探し求める方である、ということです。
「あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。」とありました。この方は神であるのに、人間として生まれてくださった方です。人として生まれることによって人類の一員となられたんです。そしてそうすることで、私たちを探し求めておられるんです。
誰かとつながる手段
ある男子の小学生が進行性の病気で長期入院していました。徐々に進む病のために、ほとんど学校に行くことはできませんでした。そんな彼が一生懸命になっていたことが一つありました。それは週に二回、新聞を作ることであったのです。
病院で見たり聞いたりしたこと、特にうれしかったこと、喜ばしいことをせっせと書いて、新聞にするのです。それをクラスに持って行ってもらうんですね。一番の楽しみは、クラスメートからの返信です。「あの記事はおもしろかった。」とか「このマンガは楽しかった。」など返信が返ってくると、少年は喜んで、まあ、興奮したんですね。一時期体調が良くなった時、一時間だけクラスに行って、授業を受けることができました。戻ってからは、その時のことを特集記事にして書いたんだそうです。しかし、それを境に病気が悪化し、週に一回書くだけで精一杯になってしまいました。それでも彼は書き続けたんですね。
亡くなるまでの2年間、ほぼ休みなく新聞を発行し続けたんです。なぜでしょうか。友達とつながっていたかったからです。学校に行けない彼にとって、この新聞とその返信だけが、クラスメートとつながる手段だったんです。
神と人間がつながるための手段
聖書によると、人は神から切れた状態で生きています。いのちの創造主から離れて、死に向かって突き進んで生きています。その人間に対して、なんとか、つながりたい、つながるための手段として神がとられたのは、人として人類の一員に降り立つということであったのです。ですから、キリストの誕生は神の方から、あなたにつながろうとする愛の行動なのです。
私たちの救い主キリスト
第三に、キリストは私たちの救い主として生まれてくださった、ということです。
「あなたがたのために、救い主がお生まれになった。」と書いてある通りです。ここでいう「あなたがた」とは、神から離れ、創造主に反逆している人間のことです。神は反逆する人間に対して、成敗するための裁き主を送ったのではなく、罪を赦し、死後の刑罰から救うための救い主を送ってくださったのです。
弱い人が優先される状況
ところで一般社会で優遇されるのは、強い人、能力のある人、役に立つ人、力のある人です。そういう人はより多くのチャンス、より多くの協力者、より多くの報酬が与えられます。そして、弱い人、能力を失った人、役に立てなくなった人、力を喪失した人は、どうしても軽く見られたり、後回しにされがちです。しかし、唯一、一般社会の常識が逆転する場がこの世においても、あります。それは、医療現場です。
あなたはトリアージということばをご存知でしょうか。フランス語で、選別という意味です。これは大規模災害などが起こった時、限られた医療資源を有効に使って、一人でも多くの人を救うための知恵です。具体的には、患者を四つの色で分けるんです。赤は、すぐに処置しないと危険な状態の人、黄色は今すぐでなくてもよいけれど、このまま放っておいたら、赤に入るであろう人、緑は、医師が診なくてもよい程度の人、そして黒は、今から処置しても生還の見込みのない人です。災害現場では、生還の見込みのある人の中から、よりひどいダメージを受けている人の順番で処置を受けることができるのです。
無力で悲惨な罪人を神は恵まれる
神の恵みも同じです。神がなくても自分の力で正しく生きれると思う、その人には神さまの恵みは届きません。神の前に、無力で悲惨でひどい罪人であればあるほど、神は黙って見ておることのできないお方なのです。
どうぞあなたのために、救い主となって来てくださったイエス・キリストを、このクリスマスの機会にぜひ信じ受け入れてください。心からお勧めしたいと思います。