新約聖書
「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」
(使徒20:24)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.805 2015年8月30日

「あなたの人生は変えられる」

おはようございます、尼川匡志です!

カット
  随分前のことですが、中学時代の同級生がこんなことを言ったんです。「尼川、うさぎとかめの話って知ってるか。」もちろん知っています。有名なイソップ童話の一つですから。ある時うさぎに足が遅いとからかわれたかめが、山のふもとまでのレースをうさぎに申込みます。予想どうり、うさぎの圧倒的有利の中でレースが進むのですが、うさぎはあまりにかめが遅いので、油断して昼寝をしてしまうんです。目が覚めた時には、なんとかめがゴールに立っていました。油断大敵、を教えるお話ですね。同級生はこう続けたんです。「あの時な、うさぎは何を見て走っていたと思う。かめはどうやろ。」考えたこともない質問に、答えあぐねていると、彼はこう続けました。「うさぎはかめを見てレースをしてたんや。かめはゴールを見ていたと思うわ。」なるほど、と感心したことを覚えています。
 うさぎはかめを意識し、その比較の中で生きていました。「俺はかめよりも速いんだ。」と。かめはうさぎではなく、自分のなすべき事を冷静に見つめ、ゴールに向かって、一心に走っていました。かめがもし、うさぎと比較していたら、勝ち目のない戦いはしなかったでしょう。そう考えると、このかめ、なかなか素敵な生き方をしてるんですね。私たちは、ついついうさぎのように、まわりの人たちを見て自分の生き方を決めているのではないでしょうか。私の生きる道、あなたはお持ちですか。

価値観の大転換

 今年は戦後70年です。70年前、大平洋戦争が終わった時、この国の価値観はひっくり返りました。クリスチャン作家の三浦綾子さんはこの転覆した価値観に人生を翻弄された一人です。終戦を迎えるまでは、三浦さんは戦争に行って、お国のために戦うことこそ、最高の生き方だと、子供たちに教えていました。彼女の人生の中で、教員生活のこの七年間が最も情熱を注いで生きた期間だったと書いておられます。その情熱を注いで教えていた事が、間違いだと突き付けられたんです。終戦後、初めにしたことは、今まで使っていた教科書に墨を入れることでした。彼女は子供たちに墨を塗らせながら、涙を流していたといいます。今まで私が教えていたことが間違っていたのか、それともこれから教えようとしていることが、間違っているのか、わからなくなったそうです。昨日まで上官の前では、直立不動だった兵士がその上官に殴りかかっている光景を見たんです。昨日までの軍隊が間違いなのか、今の軍隊が狂っているのか、何もかもがわからなくなりました。自分には、もはや子供たちに教えることはできない。何が正しいことで、何が間違ってるのかが、わからなくなってしまったからです。彼女は教師を辞めました。

自分の目指すべきゴールとは

 私たちの日常の行動は、まわりの人を見て決めていることが、結構多いんではないでしょうか。他人によって自分の生き方を決める生き方です。先ほどのうさぎのようですね。常に人を意識し、人と比較して生きています。私の人生において、先ほどのかめが目指したようなゴールはないんでしょうか。他人によって決められたり、比較されたり、否定されたするようなものではなく、自分の生涯をかけて、目指すべきゴールはないんでしょうか。それなしで生きていて大丈夫なんでしょうか。
 聖書の中のパウロという人物のことばを紹介したいと思います。

「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」

人生の使い道を知る

 彼は自分が走るべき道とゴールをしっかり見据えていました。別のことばで言えば、人生の使い道がわかっていたんですね。そんな生き方をしている人が果たして今、どれほどいるんでしょうか。私たちは、生きていることがすばらしいと言います。たしかにそうです。生きていることはすばらしいことです。しかし、そのいのちを何に使えばいいのか、それを考える必要があります。例えるなら、大金持ちが預金通帳を眺めて喜んでいるようなものです。お金があることは大切です。すばらしいことです。しかし、そのお金を何に使うのか、それがわかっていなければ、そのお金は活きるでしょうか。人生も同じだと思います。
 パウロは自分のいのちの使い道を知っていました。そして自分の人生のゴールを見据えて走っていたんです。だから、人の意見に左右されることは、ありませんでした。

復活のイエスにであったパウロ

 さてパウロは、生まれつき頭脳が明晰であったから、意志強固だったから、このような生き方ができたんではないんです。彼は人生の半ばにおいて、イエス・キリストに出会っています。そして、その時から変えられたんです。それはイエスが十字架にかかって、死んで、三日目に復活し、40日間ペテロやヨハネやヤコブら弟子たちとともに過ごし、ご自分が復活したことをはっきり示された後、天に帰って行かれました。それから数年経ったある日、このクリスチャンたちを大弾圧していたのが、パウロです。そのパウロに天から、イエスが声をかけたんです。「なぜわたしを迫害するのか。」このイエスとの劇的な出会いが、彼の人生を全く変えてしまうのです。あれほど嫌悪し、弾圧していたイエスを信じる信仰を、彼は宣べ伝えるようになるんですね。しかも命がけで。これはばかばかしい作り話ではありません。
 パウロの人生の激変は歴史上の事実です。パウロは自分の意志で自分の人生を変えたのではありません。神に変えられたのです。それまでのパウロはたしかに頑固なほど宗教熱心な人でした。でも他人に憎しみを持ち、暴力で無理やり自分の主張を押し通すような人間だったんです。そのパウロが忍耐をもって、愛と喜びと感謝にあふれる人間に変えられたんですね。彼が自分で努力して変わったんではないんです。神に変えられたんです。どのようにしてでしょうか。イエス・キリストを信じる信仰を持った時、神の霊が彼の内に入ってくださったんです。その神の霊が、彼の内側から、してはいけない悪を止めるように導き、正しいとわかっていてもできない事を実行する、勇気と力を与えたのです。

イエスとの出会いがあなたを変える

 日本人は、不思議なことに、悪霊は信じますが、神の霊は信じないんですね。悪霊が存在するなら、神の霊も存在します。神の霊があるならば、神は存在し、また悪魔も存在するんです。これが私たちの住む世界の目に見えない部分です。私たちはいくらがんばり努力しても、自分の性格も人生も変えることはできません。それができれば、苦労はしません。人に左右されず、目標持って生きていたいと思っても、そうはできないんです。かつての私がそうでした。しかし、神にはその人間を変えることがおできになるんです。劣等感に悩み、人と比較して、人生の目標もなく、してはいけない悪をしてしまい、しなければいけない事を先延ばしにしてしまう。そんな人生からイエスは解放することができるんです。イエス・キリストをこの番組を通し、また近くにある教会に行き、出会い、信じてください。あなたの人生が全く変わるんです。心からお勧めしたいと思います。

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