新約聖書
「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。」
(ヘブル9:27-28)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.802 2015年8月9日

「バッドニュースとグッドニュース」

おはようございます、 高原剛一郎です!

カット
 さて、作品展や美術展に行くと、作品の隣に必ず注意書きが置かれています。「作品に触らないでください」というやつですね。作品が興味深いものであればあるほど、近寄ってみたい、手に取って直に触れてみたいと思うのが人情です。さらに人間の性質には、禁じられるとしたくなる傾向がありますね。触るなと言われるまでは触るつもりはなかったのに、何だか急に触りたくなるものですね。
 しかし、こう言われたらどうでしょう。この展示物には薬品が塗ってあります。もし不用意に触ると、自分の手が汚れるかもしれない。皮膚が炎症を起こすかもしれない。そう考えると、この注意書きはこちらのことを思いやる、良い知らせに聞こえてきます。

聖書には良い知らせと悪い知らせがある

 触るなというのは残念なメッセージですが、あなたの身を守るためだというのは良い知らせですね。ですから、普通の人々は聞き入れてくれるのです。そして、聖書のメッセージについてもそれが言えるのです。実は聖書は、悪い知らせと、良い知らせの両方で成立しているからです。このように書いてあります。

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。」

このみことばの中には、悪い知らせと、良い知らせの両方が入っています。悪い知らせは、人間は一度死ぬことと、死後にさばきを受けるというメッセージです。

人は悪いニュースを避けたがる

今から65年前の6月25日、北緯38度線を越えて、北朝鮮の大軍が韓国に進行しました。国境を突破して、三日後には首都ソウルが陥落し、韓国政府はプサンにまで追い込まれてしまうのです。国連軍がインチョンに上陸して、ソウルを奪い返しますが、中国人民解放軍が新たに参戦したため、一進一退の攻防が繰り返され、アコーディオン戦争と呼ばれたのです。
 3年後に休戦協定が結ばれましたが、あくまで休戦であって、朝鮮戦争はまだ終わっていません。この戦争は数ある戦争の中でも、最も悲惨なものの一つです。というのは、同じ民族同士が、敵味方に分かれて戦った戦争であるからです。
 ところで、北朝鮮が38度線を越えてなだれ込んできたとき、その時の韓国の大統領リ・ショウバンは、日本にいた、連合軍総司令部のマッカーサーに電話で吠えたのですね。「もう少し我々のことを心配してくれていたら、こんなことにならなかったはずですぞ。私はこれまで何度も何度もあなたに警告してきたではありませんか。」北朝鮮の軍備拡張と動向は韓国にも知られていたことでした。それで、アメリカに対して、戦争が近づいているということを、訴えていたのです。
 しかし、一般的に言って、聞きたくないニュース、嫌なニュースはできるだけ避けようとします。聞いたとしても、つい割引きして、聞き流してしまいやすいのですね。しかし、悪い知らせこそは、きちんと向き合う必要があるのです。やがてとんでもない危険が迫っているということが分かっているのなら、それを乗り越えるための準備に取り掛かるべきです。それをしないと後で、致命的なダメージを被ることになるのです。そしてこれは、国際問題だけではなく、個人の問題についても言えることです。実は、私たち一人一人の身の上に確実に近づいている危機があります。それは、一度死ぬということです。さらに悪い知らせは、人は死んで終わりではなく、人の魂は自分の罪のために、裁きを受けることが定まっているということです。

キリストという良いニュース

 しかし聖書は良いニュースについても語るのです。よい知らせは、神から遣わされた救い主、イエス・キリストが、私たちの罪のために十字架にかかって、私たちの罪の責任を、身代わりに被ってくださっということ、そして死後3日目に、復活し、死という呪いを打ち砕いてくださったということです。つまり、あなたの身の上に迫りくる死と死後のさばきは、キリストによって解決済みだというのです。
 私は先日、原因と結果を逆に認識する人という本を読みました。たとえば、あなたはこんなにもお金があって、なんでも好きなことが出来ていいねなんて言う人がいますが、それは違うというのです。一部のお金持ちは例外ですが、普通の人は、お金があるから好きなことをしているのではなく、どうしても好きなことをしたいから、懸命に働いてお金を稼ぐのです。庭の手入れをしていると、きれいな庭で掃除のし甲斐がありますね。なんて言われますが、これも逆です。きれいな庭は結果であって、その前に地道な庭掃除という肉体労働、肉体作業があるのですね。頭がいいから勉強できるのではなく、勉強したので頭がよいように見えるだけ、高すぎて買えないのではなくて、買えないから、高すぎるように見えるだけです。

死後のさばきから救われる

 今から数年前、私はクリスチャンの友人のお葬式に出席しました。昔彼に世話になったという方々が、全国から集まっていました。その中には沢山のクリスチャンではない方々が、いらっしゃったのです。皆口々に彼を見舞ったときのことを述べていました。彼は死を全く恐れていなかった。彼のように死ですら怖くない人、勇敢な人になれたらどんなにいいだろうか。でも私は平凡な者だからそんなのは無理だと仰るのですが、これも原因と結果を逆に認識している人の感想なのです。
 私の友人は死を恐れなないので、幸せなのではありません。キリストの十字架と復活によって、死からの救いを受けとるという幸せを持っていたがため、死を恐れる必要がなくなってしまったのです。
 死の解決は特別勇敢な人たちだけが、到達できる境地ではない。勇敢であろうがなかろうが、そんな事とは関係なく、死を滅ぼしてくださったキリストを救い主として信じ受け入れるのなら、その人はその瞬間に、死後のさばきから救われるのです。

キリストを信じて任せる

 あなたが、死と死後のさばきから守られるのは、毎週教会に行っているからではありません。聖書を読んでいるからでもありません。真面目な生活をしているからでもありません。貧しい人たちに、援助しているからでもありません。ただキリストが、あなたに代わってあなたの罪の責任をすべて負ってくださった結果なのです。私たちがすべきことは、このキリストを救い主として、信じてお任せすることなのです。
 どうぞ祈ってみてください。愛する神様、私は自分が罪人であることを知っています。死後のさばきを受けるに、値するものであるということも知っています。しかし、キリストが私のために死に、墓に葬られ、蘇ったことを信じ、わたしの魂をお任せします。救ってくださって感謝します。
 今日という日があなたにとって、救い主イエス・キリストとの出会いの日となりますように、心から願い、また心からお勧めしたいと思います。

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