新約聖書
 イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。
(マタイ9:9)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.735 2014年4月20日

「目に見えないイエスの愛を信じる」

おはようございます、尼川匡志です!

カット
 「ワンピース」と聞いて、女性の衣類を思い浮かべる方は、おそらく、年配の方だと思います。若い人にとって、この「ワンピース」は、とても有名な漫画のタイトルなんです。先日、「ワンピース」のDVDを観る機会がありました。眠たくなれば寝たらいいか、くらいの、軽い気持ちで観たんです。ところがどうして、途中からグイグイ引き込まれ、最後には、不覚にも涙をしてしまいました。本当に感動したんですね。この漫画は、今までに72巻出ており、全世界で累計3億4500万冊が発行されているそうです。若者を中心に、世界中で受け入れられているんですね。この「ワンピース」の主人公、ルフィや、その仲間たちのキャラクターは、実に魅力的に描かれています。中心テーマは、「仲間・絆・愛」なんです。今の若い人たちの心をつかんでいるものが、この、主人公ルフィの、裏表がなく、権力にこびることをせず、仲間を何よりも大切にし、その為になら命も惜しまない、というものであり、その仲間たちが、人には言えない心の痛みや悲しみを持っている人間たちであるなら、確かに、表面的には変わったように見えますが、心の本質においては、昔も今も、そんなには変わってないように思うんです。  聖書に、このようなことばがあります。

「人の望むものは、人の変わらぬ愛である。」

 今から、3000年も昔の言葉です。でも、よくわかるんですね。私たちは、変わらぬ愛で愛されたいんです。いや、愛されなければ、自信を持って生きていくことはできません。最近、愛されるよりも、愛するほうが大切だ、愛される前にまず、愛しましょう、と、よく言われます。でも、人間は、まず愛されたいんです。しかし、いつも変わらない愛で愛されることなんて、この現実世界では不可能だし、そんなものはテレビや小説の中だけの話だ、と、心の中であきらめていないでしょうか。私がもし、聖書に出会わず、イエスという存在を知らなかったら、おそらく、変わらない愛などはない、と考えていたと思います。あなたはどうでしょうか。変わらぬ愛などない、と思われるでしょうか。信じることによってしか、見えてこないものがあるんですね。愛とは、そういうものなんです。

私たちに近づいてくださる主イエス

聖書の一箇所を、お読みいたします。

「イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、『わたしについて来なさい』と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。」

 マタイの福音書を記したマタイが、イエスの弟子となったときの記事です。ここには、普通の師と弟子では、考えられない状況が記されています。師であるイエスが、弟子であるマタイをスカウトしたことです。イエスとの出会いには、例外なく、この原則が成り立ちます。イエスが、まず私たちに近づいて来られるのです。もし、この方が近づいてくださらなければ、私たちは決して出会うことができません。

人間の内にある傷と痛み

 取税人マタイですが、彼がどのような人生を歩いていたのか、また、どんな幼少期を過ごしてきたのかは、わかりません。しかし、言えることがあります。それは、マタイの心には、人には見えない傷と痛みがあったということです。取税人というのは、この当時、最もさげすまれた仕事のひとつでした。当時、多くの仕事は、親から子への世襲です。しかし、この取税人という仕事は、自分で希望して就く仕事だったんです。人に嫌われるが、大金が手に入る。そんな仕事を自ら選んだマタイの心に、何もないはずはありません。彼は、お金を何よりも信じていました。裏を返せば、人間を信じていなかったんです。人から信頼してほしい、とも考えていませんでした。

人を信じることができなくなってしまったマタイ

 私も同じだ、と思われる方も、おられるかもしれませんね。それがこの世界なのかもしれない。でも、本当に人を信じたくないのでしょうか。人から信頼してほしくないのでしょうか。そうでは無いように思うんです。信じるのが、恐いんですね。裏切られるからです。傷つきたくないんです。マタイも同じです。そして、その心の痛みを誰も気づかない。表面的なことでしか、彼を見ていないんですね。今も同じです。学歴や仕事や容姿で、この世界は私たちを評価します。そんな世界の中で、心を開いて人を信じることができるでしょうか。傷つきたくないから、信じられないんです。まず信じることが大切だ、そんなことはわかっているんです。でも、それができないんです。マタイは、そんな人ではなかったか、と思います。

人の心の奥底をご存じなイエス

 でも、ただ一人、彼の心を見ておられた方がいたのです。イエスです。この方は、彼の心の痛み、悲しみ、孤独を見ておられました。彼の心に痛みや傷があるのと同時に、マタイには、ずるい心や、卑怯な考え、自分勝手な欲望も、渦巻いていたはずです。ただの被害者ではなく、同時に加害者でもあったんです。イエスはそのマタイの、全てを見ておられたんですね。

イエスが持つ永遠に変わらない愛

 昔、こんな話を聞いたことがあります。ある村に暴れ象がいて、村人を傷つけていました。凶暴な象だ、と誰もが思っていました。でもあるとき、その原因がわかったんです。象の足の裏に、針が刺さっていたんです。暴れていたのは、この足の痛みが原因でした。人間は、誰もその原因を知ろうとしなかったんです。マタイは、決してほめられた人間ではありません。でも、それには原因があったんです。イエスは、その原因を見ておられたんです。マタイはまず、愛され、信じられ、傷を癒されなければなりませんでした。心に突き刺さっている針を抜いてもらわなければならなかったんです。イエスは、マタイの傷を、変わることのない愛で癒されたんです。
 この後、イエスはマタイの家に行き、彼と彼の友人と一緒に食事をしました。マタイはこのとき、このイエスという方が本気で自分を愛し、受け入れてくださっていることを理屈抜きで味わったんです。口先だけでないことを知ったんですね。そして、心から安心しました。信じて間違いない方が、ここにいる。イエスは、最悪のマタイを信じ、受け入れてくださったんです。人間には、この愛が必要なんです。この愛によってのみ、人は立ち上がる勇気を得ます。イエスがマタイに近づかれたように、今、あなたに近づき、あなたの目の前に立っておられるんです。そして、わたしについて来ないか、そう言っておられます。
 目には見えませんが、この方の愛を信じ、一歩踏み出してください。この、マタイのようにです。あなたには、イエスの愛が、本当に必要なんです、心から、お勧めします。

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