新約聖書
 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。
(ヘブル2:14,15)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.734 2014年4月20日

「戦国の日本に射したキリストの光」

おはようございます、高原剛一郎です!

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 今年のNHK大河ドラマの主人公は黒田官兵衛という人物です。戦国の三大武将、信長、秀吉、家康に仕えた軍事戦略のブレーンです。生涯に経験した戦で、負けたことが一回もないことから、天才的軍師としての面が強調されています。しかし、黒田官兵衛にはもう一つの面があるのです。彼はイエス・キリストを救い主として信じるキリシタンだったのです。キリシタンというのは、ポルトガル語でクリスチャンのことを指します。
 彼が活躍した時代は戦国時代でした。そんな時代である1566年冬のことです。堺の町の近くで、二つの戦国大名がにらみ合いを始めたのです。それは、京の都を二分して主導権争いをしていた、三好三人衆と松永久秀の軍団でした。互いに一歩もひかぬまま、こう着状態が続き、12月に入りそしてクリスマスシーズンになった時、異変が起きるのです。
 実は両陣営の中に、キリシタン武将がたくさんいたんです。彼らは常日頃は主君に従うのですが、しかし、せめてクリスマスの時くらい自分たちの救い主イエスのご降誕をお祝いしたいという願いが沸き起こったのです。そしてとうとう、堺の集会所を借り切って、両陣営合同のクリスマス礼拝を執り行ったのです。集まった武将の数は、七十人。彼らは自分たちでごちそうを持ちより、息子たちに給仕させ、神をほめたたえ、そして歌い合ったのです。その様子を見ていたルイス・フロイスという人は、こう書き残しています。

「彼らはまるで、一人の主君の家臣たちのようであった。」

まさに戦場のメリー・クリスマスが実現したんですね。

日本に福音を伝えた人

 ところで日本に最初にキリシタンの信仰を伝えたのは、フランシスコ・ザビエルでした。日本に来た時には、応仁の乱が終わったばかりで国は荒れ果てていました。全国各地に戦国大名が現れては消え去り、消え去っては現れる。実に不安定な時代であったのです。そんな物騒な時代の日本に、あらゆる困難を乗り越えてやって来たこのザビエルは、日本人にとっては驚愕するような存在であったんですね。何しろ、地球の裏側からやって来たというんです。今の感覚で言ったら、土星から円盤に乗って着陸し「私は土星人です。」と言われたようなショックがあったと思います。この不思議な西洋人が伝えたメッセージは、聖書の次のことばで要約できると思います。

「そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。」

 今読んだ聖書のことばの中に、キリストがこの世に来られた目的が書いてあります。キリストは私たちを死の恐怖から解放し、死の奴隷状態から解き放つために来られた、というのです。

 私たちはこの世で、怖いものがいろいろありますよね。放射能が怖い、地震が怖い、戦争が怖い、癌が怖い、リストラが怖い。しかしその怖さの理由は結局は、それらがみな死につながっているからです。ですから、人の怖れを突き詰めてみると、ずばり死の恐怖なのです。死に対しては敵わない、という怖れなのです。

人間の死後はどうなるのか?

 さてザビエルはある時、一人の僧侶にこんな質問をします。「青年時代と老年では、どっちがいいですか?」「もちろん、青年時代です。」「なぜですか?」「青年時代には健康があり、病が少なく痛みも少なく、まだまだこれからだ、という未来がある。しかし老人になると身体のあちこちに痛みがあり、病があらわれ、しかも老い先が短いからだ。」 そこでザビエルは一つのたとえ話を始めるのです。

「ここに一艘の船があり、どうしても港に行かなければならないとします。その船に乗る客たちは、高波や暴風や大嵐の只中にあってしかもその船旅が、これからもまだまだ続く、というのと、目の前に到着すべき港がもう見えていて、いろいろあったけど、とうとう安全な港に着けて、よかったなあという時では、どちらの方が一層喜ばしい気持ちになるでしょう?」

 僧侶は答えます。

 「バテレン殿、港が見える時の方が、うれしいと私でもわかります。しかし私にはどれが安全な港なのか、そしてどうやってその港に上陸することができるかも、わからないのです。」

 あなたには、ご自分が死んだ後、帰るべき港の故郷がどこなのか、おわかりですか?あなたの魂のふるさとは、あなたをお造りになった神のおられる天国です。しかしその天国には、罪を持ったまま立ち入ることはできないのです。なぜなら天国は、聖い、罪のない国、聖い神の性質が反映している国であるからです。それでは、罪ある私たちはどのようにして天国に入れるんでしょう?キリストが私たちのために、罪の刑罰を代わりに受けて下さったことを信じることによるのです。

神の思いを表したキリシタン女性

 戦国時代、キリシタンになった女性の一人に、細川ガラシャと名付けられた人がいました。ある時、彼女の夫、細川忠興は宴会の席で、ささいな不始末をした家臣を見て、激高するのです。彼はみなの見ているその前で、有無を言わせずその家来をばっさり手打ちにしてしまうんです。その時、妻の細川ガラシャは、すうっと夫のそばに進み寄って、鮮血したたる刀を自分の着ている純白の着物のたもとで、拭い取ったのです。しかも血で汚れたその純白衣装を何日たっても着替えようとしないんです。忠興は「目障りだから脱げ。」と叱りつけます。しかし彼女は無言でうやうやしくお辞儀するだけで、決して着替えることはありませんでした。たまりかねた忠興は、とうとう自分の非を認め「私が悪かった。以後改める。」と言って頭を下げたと言われています。一体何が厚顔不遜な忠興の心を折ったんでしょう?自分の愚かさで流された血とその汚れを黙って背負い続けている愛妻の心に触れて、彼の心は砕かれたのです。

キリストは人間の罪を背負われた

 キリストは私たちの罪と汚れを背負って、あの十字架の上に死んで下さいました。その死によって、死の力を持つ者を滅ぼし、復活によって、あなたの救いの保証をして下さったのです。  どうぞあなたも信仰の目で、救い主イエス・キリストを見上げて、罪の赦しを受け取って下さい。罪の赦しを受け取った人は、誰でも魂のふるさと天国に迎えていただくことができるのです。どうぞ今、ご自分の救い主としてイエス・キリストを信じて下さい。心からお勧めしたいと思います。

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