新約聖書
 わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。
(ルカ5:32)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.733 2014年4月13日

「キリストが来られた3つの理由」

おはようございます、高原剛一郎です!

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 私は先日、石垣島に行きました。すると街のあちこちに「小泉進次郎来たる」というのぼりがたっていました。何のために小泉さんは来るんでしょう。選挙の応援演説のためなんですね。またこの間、仙台市役所に約700人の人々が殺到しました。フィギュアスケートで金メダルを取った羽生選手が来たからです。では羽生選手は何のために来たんでしょう。凱旋報告をするためなんですね。
 さて今から二千年前、イエス・キリストがこの世に来られました。いったい何のために来られたのでしょう。聖書には次のように書いてあります。

「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」

ここに三つのキリスト到来の目的が語られています。

聖書がいう「正しい人・罪人」とは

  第一に、キリストは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たということです。正しい人と言うのは、正しいことしかしない人という意味ではありません。そんな人は世の中にはいないからです。もし自分がそうだという人がいるなら、正直さが足らないと思います。どんなモラルの高い人でも。悪い考えや言葉を出すことはあると思います。同じように罪人とここで言ってるのは、罪しか犯さない人のことではありません。どんな罪深い人間にも少しぐらいは長所や優しい面があるものです。この世には善しか行わない人も悪しか行わない人もいません。善も悪も行う不完全な人間がいるだけです。ではここで言う正しい人とは何を意味するんでしょう。それは自分の力で自分を清く正しくすることが出来ると考えている人です。自分の修行や、立派な行いや、宗教生活や、禁欲生活を積むことで、清く、正しく、神の目にも非の打ち所のない人間になれると考えてる人です。そういう人はキリストを必要としません。またキリストもそういう人に用がないのです。しかし罪人は違います。ここでいう罪人とは、自分で自分の罪を洗い流すことなどできないということを正直に認めてる人です。罪から離れたいと思いながら、それをする力がなく、ただ罪を悲しみ、人生の結末を思ってうめく人のことなのです。

罪を悲しむ人を招かれるキリスト

 童話作家の寮美千子さんは、少年刑務所の更生教育「社会性涵養プログラム」の講師として、収監されている少年たちに詩作を教えています。自分の素直な気持ちを、言葉を使って言い表すことになれていない少年たちは、何をどう書いて良いのか分からないんです。そんな彼らに寮さんは好きな色について書くことを勧めます。一人の少年がようやくのことで、絞り出すようにして、たった一行の詩を書き上げます。「空が青いから白を選んだのです。」この一行を朗読した後、少年は大好きだったお母さんが亡くなる前に、「お母さんはお空にいるからね」と言ってくれたんだと語り始めるのです。聞いていた少年たちはなぜだか心が震えだすのです。空は青くて、澄んでいて、すがすがしくて、大きくって、広くて、そして美しくて、優しいです。それは彼にとって自分を愛してくれたお母さんのシンボルです。その空の美しさや、気高さや、清らかさと正反対の所に転落した彼は、後悔と共に今までになく母なるものにあこがれ、清いものに惹かれ、気高いものに渇き、そして青に白がちょうど似合うように、いつかは自分も空のようなお母さんに似合うものでありたいと願うのです。そして、これがキリストの言う罪人のことです。罪を悲しみつつ清いものにあこがれる無力な人の砕かれた心です。キリストは罪のない完全な人のための救い主ではありません。そんな人はキリストを必要としていないでしょう。そうではなく罪を悲しむ人を招くために来られたのです。

悔い改めとは「方向転換」

 第二に、この方は罪人を悔い改めさせるために来られたのです。悔い改めとは一言で言うと方向転換のことです。ただ反省することではなく、人生の方向を神へと向けることです。あなたの人生のベクトルはどこに向いていますか。人生は方向を変えることで変わるのです。嫌いな人の話をしている時間を、好きな人の話をする時間に変えてみる。出来ない理由を考えてる時間を、出来る理由を考える時間に変えてみる。悩んでいる時間を、行動する時間に変えてみる。神に背を向けて自分に頼って生きる人生を、神に信頼して神がくださったキリストを信じるい人生に変えてみる。この方向転換を悔い改めと言うのです。そして神が罪人を振り向かせるために示されたのが、イエス・キリストの十字架の死と三日目の復活なんです。キリストの犠牲と復活の故に、神とあなたを隔てていた罪という壁は完全に崩されています。神は今あなたに対して怒りを燃やしてる方ではありません。あなたを愛して、そのままのあなたを喜び迎えようと両手を開いて待っておられる方なのです。私たちは神から離れていく人生に決別し、今こそ方向転換をして神に立ち返ろうではありませんか。この方向転換はあなたの人生を必ず変えてくれるのです。

あなたと共に歩むことを望んでおられる神

 第三に、キリストは神の元からあなたをエスコートするために来た方なのです。
 ある青年のツイッターがインターネットで評判になったことがありました。ツイッターというのは、短い文章を投稿できるネットサービスの事です。「会社やめたいとつぶやいた。大丈夫と返す男がいた。プロフィールには55歳とあった。会社辞めたい。私は毎日つぶやきを打った。大丈夫。毎日返しが来た。ある日、とうとう耐えかねて死にたいですとつぶやいた。次の日、何の前ぶれもなく父が上京して来た。二十年ぶりに私を抱きしめて言った。大丈夫。」ツイッター上で毎日彼のつぶやきに耳を傾け、毎日励ましを与え続けていたのは、田舎に住んでいた自分の父親だったのです。しかし、いよいよ行き詰まって死を考えた時、父は言葉を送信するだけでは飽き足らず、とうとう東京の彼のアパートまでやって来たというのです。それと同じように、あなたが毎日つぶやく呻きや、悲しみや、弱音に対して、神は心優しく父親の様にそれをじっと聞いておられる方です。しかし、あなたの人生の根本解決のためには言葉を送るだけではなく、自ら人となってこの世に来てくださったのです。それはあなたの罪を解決し、あなたの人生に方向転換を与え、あなたに永遠の命を与え、死に至るまであなたと共に歩むためなのです。
 どうぞあなたも神が送って下った救い主イエス・キリストを信じてください。心からお勧めしたいと思います。

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