新約聖書
 あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。
(マタイ7:11)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.731 2014年3月30日

「イエスを主として歩む」

おはようございます、那須清志です!

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 これまでこの番組を通して何度も聖書の福音、グッドニュースをお伝えしてきました。みなさんの中には、この福音を信じ、イエスを救い主として受け入れたいと思っている方がいるかもしれません。今日はそんな方々に対して、神を信頼し、歩んでいく具体的な方法についてお伝えしたいと思います。
 まず第一に「聖書を読み、聖書に親しんでいく」ということです。聖書には、人間に対する神の思いが書かれています。それを知って、神のアドバイスに耳を傾け、神の指示に従っていくというわけです。「従う」と聞くと、窮屈に感じるかもしれませんが、突拍子もないことではなく、普段の生活でも行っていることなのです。

神のマニュアルに目を留める

 以前、デジタルカメラを買いました。そこには取扱説明書がついています。略して「取説」、またマニュアルとも言います。これを読むのが好きな人はあまりいないと思います。ですから、多くのマニュアルには、最初に基本的な使い方が書かれています。私の手元にあるもので言えば、「簡単な撮影の仕方」とか「これだけで撮影できます」とかいうものです。とりあえず写せて、見れたら十分という人には事足りるでしょう。でも、その後には「上手な撮影の仕方」が書かれています。いい写真を撮るアドバイスがのっています。それを参考にし、指示に従うのは上手に写真を撮るのに役立つのです。また、今のデジカメはいろんなことができます。ビデオのような動画を取ったり、カメラの中で写真を編集したり…。その方法を早く、詳しく知るためには、カメラを作った会社が作成したマニュアルを参考にするのが手っ取り早いのです。また、指示に従えば機械の良さを引き出すことができ、役に立ちます。  聖書も私たちが確かな人生を歩み、与えられた力を最大限に伸ばすためにアドバイスを与えている「神のマニュアル」なのです。

神の指示に従う祝福

 幕末の志士坂本竜馬は西郷隆盛の印象を「少し叩けば少し響き、大きくたたけば大きく響く」と語りました。聖書も同じようなことが言えます。是非みなさんも大きく叩いて、聖書に取り組んでください。きっと心に大きく響いてくることでしょう。そして、聖書が語るアドバイスや勧めに耳を傾け、従うことで実りある信仰生活を送ることができるのです。  「マニュアル大賞」というのがあって、安全でわかりやすい製品の使用方法を伝える取扱い説明書を作った会社を表彰します。昨年度はシステムバスルーム、すなわち浴室の説明書が「マニュアル・オブ・ザ・イヤー」をとりました。それは「サッと」取って、「パッ」と開いて「すぐ」わかるようにできているということです。  残念ながら聖書にはイラストたくさんというわけでもないですし、パット開いて、パッとわかるというものではありません。しかし、2000年間人々の心をとらえてきたのです。忍耐をもってがんばってほしいのですが、それを応援してくれるものがあります。それは次のポイントと関係があります。

同じ信仰を持つものとの交わり

 神を信頼し、歩んでいく具体的な方法の二つ目は、同じ信仰をもった方々と交わり、関わっていくということです。説明書を読むのはめんどくさい、知っている人に聞いたら早い、という人も多いでしょう。教えてくれる人が持っているのと同じものや、彼らがよく知っている機種の携帯電話やパソコンを買って教えてもらうというのもよく聞きます。信仰をもって歩む上でも、身近に教えてくれる人がいれば随分助け、励ましになります。神を信頼して歩もうとして、ぶつかる問題は似通ってきます。あなたが持っている同じような悩みを持っている信仰者はたくさんいるのです。すべての問題を解決できないかもしれませんが、大いに参考にはなるでしょう。聖書を読みにくいと思っている方にとっても、身近に同じ信仰を持つ人がいると同じペースで励まし合って読むことができて、とても助かります。

聖書に基づく群れを求める

 教会やクリスチャンの集会を探すのもすばらしいと思います。最近はインターネットなどでもたくさんの知識を得ることができます。但し、似てるようで違うものもありますので気をつけてください。聖書が語っていないことを平気で教えて、惑わしているものもしばしばありますから…。実は2000年前にイエスは次のような警告をしています。

「にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます」

 と。イエスはこの福音が全世界に伝えられることも預言しており、それだけでも驚きですが、いろいろな間違った教え、惑わしが起こるということも予め明確に宣言していました。私の教えが最高とか、聖書と同じ権威を持つような教えには注意してください。聖書に基づく健全な集会・教会を探すということが大切ですね。
 身近に相談できる人がいない、周りにクリスチャンがいない、とあきらめないでください。求めてみてください。捜してみてください。「求めなさい、そうすれば与えられます」という有名な聖書のことばを信頼してください。聖書を学んでいきたい、という願いは神さまの願いでもあります。神さまはその祈りをきっと応えてくださいます。これは次のポイントともつながります。

創造主は人間の祈りに耳を傾けられる

 神を信頼し、歩んでいく具体的な方法の最後のポイントは「祈る」ということです。神は私たちの祈りに心を留めてくださる、と明確に語っています。
 「祈り」と聞いたら、呪文のようなものをつぶやき続けるようなものと思うかもしれませんが、そうではありません。いつも私たちをご覧になっておられる創造主なる方との会話のようなものです。また、奥まった部屋で、一人静かに祈りを捧げるというのを連想しがちですが、聖書が勧めているのはそれだけではありません。神は創造主なる偉大な方であると同時に、父親のようにいつでも、どこでも、気兼ねなく近づくことを待っておられるというのです。
 何億人もの信仰者が神に願いをささげて、神さまは聞くことができるのか、という素朴な疑問も出てきますね。しかし、人間の技術でも世界中で飛び交っているメールや会話をキャッチできるのです。昨年、話題になったプリズムや以前から指摘されているエシュロンという盗聴、監視システムがあります。1分間に300万の通信を傍受でき、やろうと思えば私たちの発している情報はみな筒抜けなのです。それでも創造主にははるかに及びません。神は私たちの心のつぶやきも受け止めてくださるのです。
 さて、イエスは、「子どもがパンをください、と言うとき石を与える父がいるだろうか。」と言われました。パンとは、どうしても必要なものを表します。父なる神は私たちに必要なものは必ず与えてくださるというのです。また、こうも言われました。

「あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。」

溺愛ではなく真実な愛で応えてくださる方

 ただ、創造主は、言われたことを無条件に何でも与える溺愛の神ではありません。言われたことをそのまま、与えるのがいい父親ではなく、その子に必要かどうかを判断して、対応するのが理想的な父親ですね。私たちの魂の親である神はそのような方なのです。また、あなたができることを神が肩代わりしてすることはありません。あなたを甘やかす方ではないのです。祈りを通して、私たちは神と交わります。あるときはすぐ求めた通りになり、ある時は待たされ、あるときは違う形で答えられ、それらを通じて創造主なる神がどのような方であるかを教えられていくのです。
 聖書の福音を聞かれている方々が、一日も早くそれを受け入れ、罪が赦され、永遠のいのちを得てほしいと願います。そして救い主イエスを信頼し、具体的な信仰を通じて、喜びと平安に満ちた歩みに入られることを心からおすすめ致します。

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