新約聖書
 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.729 2014年3月16日

「凄まじいまでの神の愛」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
 ある経営コンサルタントの方の実話です。オフィスとして使う手頃な物件を探していた彼は、場所といい、家賃といい、絶好の物件を見つけて申し込もうとするんです。しかし、案内した不動産会社の社長が言うには、ここには一つ難点があると警告するんですね。実は下の階に入っているエステサロンが音に対して異常なまでに神経質だと言うんです。こどもがどたばた走り回ったり、宴会騒ぎの騒音にクレームをつけると言うんだったら分かります。しかし、普通の人なら許容範囲の音ですらも過剰なまでに反応してしまうって言うんですね。普通のオフィスでも少しぐらいの音は出るでしょう。だから今後のことを考えると、ここは止めた方がいいですよと、アドバイスをくれたんです。しかし、彼はどうしても諦めきれませんでした。

良いものをもたらしてくれる人

 そこでこのエステサロンからクレームが来ないようにある行動を起こしたのです。一体何をしたんでしょう。そのエステサロンの常連客になったんです。そのサロンにとって飛びっ切りのお客さんになったんですね。そして、「上の階に引っ越してきました。」と挨拶に行ったって言うんです。サロンからは一度もクレームが来ないのは言うまでもありません。人は自分に良いものをもたらしてくれる人につらくあたるようなことはまずもってしないものだからです。

凄まじい神の愛

 ところで、私たちを造られたまことの神さまは、人間に対してこれ以上はない良きものを与えて下さる方のです。神はあなたを造り、あなたを生かし、あなたを罪から救い、あなたに永遠のいのちを用意しておられるのです。そしてそのすべての動機は、愛なのです。しかし、この神の愛は、生半可な愛ではありません。それは凄まじい、又ある意味で恐るべき愛なんです。なぜなら聖書にこう書いてあるからです。

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 ここに神の愛が証しされています。神は誰を愛したのでしょう。世です。世とは神に反逆する人々を指すことばなんですね。神はどのように愛して下さったんでしょう。御子をお与えになるほどに愛して下さった。御子とはキリストのことです。神にとってかけがえのない存在のことです。神さまは最愛のものを捨ててまで、敵を愛したと語るのです。

ヤコブとレアとラケル

 このことがどれほど普通のことでないかということを理解するために、私は聖書に登場するある記録を一つ紹介したいと思うのです。

 昔、ヤコブという男がいました。彼は実の兄を出し抜いて相続権を横取りしたため、いのちを狙われるようになり、故郷を捨てて叔父のところに身を寄せます。しかし、その叔父は実に狡猾な人物でした。簡単には故郷に戻れないヤコブの足元を見て、何とか長期間ただ働きをさせようともくろむのです。  さて、この叔父には娘が二人いました。姉がレア、妹がラケルという姉妹です。そしてヤコブはこの妹の方に恋をしてしまうのです。ヤコブは叔父に妹娘のラケルとの結婚を願います。そしてやがて結婚式が終わり、夫婦の契りを結んだ夜が明けて、朝妻を見たとき、ヤコブは絶句します。何と相手は自分が望んだラケルではなく、姉娘のレアだったからです。叔父は妹ラケルが欲しければ、さらにただ働きせよと言い渡します。ヤコブはこうして望まない一夫多妻生活を始めることになったのです。
 しかし、もっとも悲惨だったのは、姉のレアでした。新婚生活早々に一夫多妻なんです。しかも夫は妹の方をより愛しているんです。どんなに愛しても夫からの愛を受け取ることがないレアの心はどれほど苦しかったことでしょう。

愛する人から愛されないものの悲しさ

 愛する人から愛されない女の悲しさがここにはあります。さらに、自分以上に夫からの愛を受けているのが、自分の実の妹なんです。そしてこの妹ラケルは、実は大変な美人だったんです。恐らくレアは幼い頃から、見栄えの良い妹と何かと比べられてきたのではないでしょうか。女性にとって美醜というのは大変に気になる問題っですね。同じ親から生まれたのに、後から生まれた妹には、自分がとても叶わぬ美貌が備わっているのです。これは姉として大変複雑な思いであったことでしょう。それが今や、最も痛ましい形で自分に突きつけられてくるのです。妹は自分がどんなに望んでも、手に入れることの出来ない2つのものを持っているのです。すなわち夫からの愛と、天性の美貌です。このに至ってラケルはただの妹ではありません。それは自分を惨めにする脅威です。自分の夫を横取りし、自分の人生をめちゃくちゃに破壊する敵に他ならないのです。

出来ないことをして下さった神

 これは妹のラケルにとっても同じだと思います。夫の心は自分に向いているとはいえ、結婚した順番は姉の方が先なんです。つまり姉は第一夫人で、自分は第二夫人なんです。妹にとっても姉は敵なのです。二人の姉妹の間にめらめらと燃え上がる嫉妬の炎は、夫に対する愛が強ければ強いほど、一層激しいものになっていくのです。二人に夫を諦めさせることは誰も出来ません。二人にとってこのヤコブというたった一人の男は、愛の対象であるからです。従って自分が誰よりも愛している夫を、自分が誰よりも憎んでいる相手のために、譲ると言うことなど、どんなことがあっても出来ないことなのです。この出来ないことを敢えてやろうとすると、彼女たちの全人間性が反発するのではありませんか。それは身をちぎるような苦しみになるのではありませんか。どんな人も自分が一番大切にしているものを、自分に対して敵対しているもののために犠牲にすることなど、断じて出来ないのです。この断じて出来ないことを神はして下さったのです。

神のご本性は愛

 神にとって何よりも、誰よりも尊く、愛しいお方、それは神のひとり子イエス・キリストです。このイエス・キリストを神に反逆している人間を救うためにあの十字架の上で、神は見捨てて下さったのです。それはレアがラケルのために自分の夫を手放すということ以上にきついことです。しかも神は、このキリストの犠牲による救いを仕方なしに、いやいや、つぶやきながら実行されたのではなく、自ら断固たる決意のもとに、自発的にして下さったのです。その自発性の正体は愛です。神はあなたを愛しておられるのです。それはあなたが立派だからでも、反省しているからでもありません。だた神のご本性が愛だから、神はあなたを愛して下さいました。そしてこのキリストの身代わりの死と、死後3日目に復活を信じて、イエス・キリストを自分の救い主とするものに、一人の例外もなく、永遠のいのちを与えると決めて下さったのです。
 どうぞあなたもこの凄まじいばかりの神さまの愛に応えて、イエス・キリストをご自分の救い主として信じて下さい。心からお勧めしたいと思います。

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