新約聖書
 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
(ヨハネ14:1-2)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.725 2014年2月16日

「平安のありか」

おはようございます、高原剛一郎です!

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 以前、私は、友人の娘さんのお見舞いに、定期的に通ったことがありました。それはご本人の希望で始まったのです。行くたびに、元気になり、明るくなり、前向きになり、みるみる良くなっていくので、大変、張り合いのある訪問でした。ところがある日のこと、もう来ないでほしい、と友人を介して言われてしまったのです。どうして、と聞くと、高原さんが見舞いに来たときには、元気になったと思わせるために、次から次へと楽しい話や面白いことを言おうと、前もって考えなければならない。もう限界だ、もうあなたを楽しませるだけの気力は私にはない、もう疲れた、休ませてほしい、とおっしゃるのです。私は改めて、人を見る目のなさを思い知り、本当に情けなくなりましたが、同時に友人に伝言を頼みました。私を楽しませようなんて思わなくてもいいんですよ。楽しませる元気もなくなった、と正直に打ち明けてくれることこそ、嬉しいことですよ。彼女はそう言われても半信半疑でしたが、やがて、本心を打ち明けた気楽さから、本音を語ってくれるようになりました。そばで聞いている友人が、本当の交わりがいかに人を癒すのか、と感心していたことを、今も忘れることはできません。
 ところで、聖書の中には、人が本当に癒され、心の底から平安であるための秘訣が書かれています。イエス・キリストが言われた言葉です。

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。」

聖書が語る平安を持つ秘訣

 ここに、人が平安を持つための3つの秘訣が示されています。
 第一に、人は、全知全能の神と、信頼関係に入るとき、心騒ぐ状態から逃れることができるのです。聖書が語る神は、私たちの造り主です。私たちの魂の親です。この神を信頼する、とは、魂の親と信頼関係をむすぶ、ということなんです。 私は先日、スポーツジムの見学に行きました。そのジムには、スイミングのプールがあり、フィットネスジムやいろんなマシンがあり、さらに、スタジオではエアロビクスのレッスンが行われていました。しかし、私はこのジムを見て、心底びっくりしたことがあったのです。利用者の9割が高齢者の方だ、ということです。みなさん、どうみても60代後半から80代の方々です。そんなみなさんが、汗だくになりながら、体を鍛え上げてるんですね。私は、興味津々で入門の動機を聞いてみると、異口同音におっしゃるのは「寝たきり防止」です。歩けなくなったら、そのときにもう後がない、と、今のうちから下半身の筋力トレーニングに励んでおられるのでした。

魂の親である神との関係回復

 今日、ご高齢の方が一番恐れているのは、寝たきり状態になることです。それだけは何としても避けたい、と言われるのです。しかし、私たちは皆、一度、寝たきり状態を経験してきたのではありませんか。赤ちゃんのとき、まだ首もすわらず、寝返りすら打てなかったとき、私たちは立派な寝たきり状態でした。ところが、たいていの人は、寝たままの赤ちゃんを見ると、目を細めながら「うらやましいなあ、人生で一番良いときだなあ、何の心配もなく」と言うんです。お年寄りの寝たきりは、何としても避けたい、と願うのに、赤ちゃんの寝たきりはうらやましいのは、なぜなんでしょう。赤ちゃんには、絶対的に信頼できる人がいるからですね。赤ん坊は、甘えきってもよい相手を持っているのです。信じきってもよいその相手は、お母さんですね。私たちは赤ん坊と比べると、ずいぶん、自分で色んな事ができるようになりました。自分で歩いて、自分で学んで、自分で稼いで、そして、自分で人生を切り開いていきます。しかし、赤ちゃん時代にあった、あの平安がないのはなぜですか。大人になった今、絶対的に信頼できる方を持っていないからではありませんか。あなたの魂の親との関係が、切れているからではありませんか。あなたは、ご自分の造り主との関係を、回復する必要があるのではありませんか。

最大の問題の解決がここに

 第二に、人は、死の解決を持っているとき、心がぶれることなく生きることができるのです。死というのが恐ろしいのは、人を孤独にするからです。その人が生きている間に持っていた、すべての宝物を、人は手放さなければなりません。家も、仕事も、財産も、夫も、妻も、子供も、友達も、すべて、死をもって、置いていかなければなりません。
 世界で初めて、ホスピスを設立した人に、シシリー・ソンダースという看護師さんがいました。ホスピスというのは、終末期医療を行う施設です。そこは、病気を治すための病院ではありません。治らない病の中で痛み、苦しむ患者のつらさを、少しでも軽くするための、痛みをコントロールする施設なんです。あるとき彼女は、ガン患者を専門とする病院のスタッフになりました。彼女が最初に担当した患者は、デビッド・タスマーというユダヤ人男性で、手遅れのガン患者だったのです。彼は、ポーランドからイギリスに逃げてきた人でしたが、身よりは全くなく、孤独に耐えながら、ウエイターとして生きてきたのです。不可知論者の彼は、ただただ、自分の力を頼りに、一生懸命、生きてきたのですが、その結果、彼は全くの人間不信に陥ってしまうのです。シシリーは、タスマーにイエス・キリストを伝えました。死の原因となった、人類の罪を、その身に引き受けてくださった救い主について、病床の中で伝えたのです。やがて、彼の心は解けてゆき、自分の人生を、罪からの救い主、イエス・キリストに委ねるようになったのです。最期の看取りは、彼女がたった一人でやりました。タスマーには、もともと知り合いがいなかったからです。タスマーの病気を治すことはできませんでしたが、共に寄り添い続けることによって、死の瞬間まで共にいるキリストを、伝えることができたのです。共に寄り添う存在が、人を平安に引き戻してくださるんですね。

永遠の神の国は存在する

 第三に、人は、死後に天国に入る希望を持つことで、心に平安を持つことができるんです。もし、今のこの世の人生がすべてで、死後に次の世界があるということを、信じることができないなら、この現世で幸せをつかめなければ、人生は失敗だ、ということになります。この現世で、あの事件、この事件の意味が見つからず、人生が理想どおりにならず、成功できなければ、人生は無意味だ、ということになります。そして、それが人生の無意味ということであるなら、人類のほぼ全員が、無意味の人生に終わることでしょう。というのは、この世は決して理想郷ではなく、残酷で、残念で、ひどいことがまかり通る、不完全な世界であるからです。この不完全な世界で、すべての帳尻を合わせようとしても、それはできません。しかし、人生には続きがあるのです。永遠の天国が、あります。そこの世界に入って初めて、人生の本当の意味と真相を、私たちは知ることになるのです。そしてそこには、イエス・キリストを救い主として信じる者だけが、入ることができるのです。
 どうぞあなたも、イエス・キリストをご自分の救い主として、受け入れてください。心から、お勧めしたいと思います。

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