「誠実な助け主イエス・キリスト」
「大統領閣下、すなわち民主的貿易の守護者にして自由貿易体制の擁護者であり、米国民の代表者たるケネディ大統領、この企業の行いはアメリカでは普通のことかもしれせんが、他国にとっては大損害をもたらすものなのです。お忙しいのは百も承知しています。ですので一分でよいので、この会社に一言言ってやってください。」一月後、藤田さんはアメリカ大使館から呼び出しを受けます。そしてそこで、業者にキャンセル撤回を勧告する、という回答をもらうことに成功したのです。下の方で押したり引いたりしても、どうにもならなかったトラブルでしたが、最高権力者の介入によって劇的な解決を見たのです。
信頼できる本当の力を持つ方
ところで、この世界の本当本物の最高権力者とは誰でしょう。この全宇宙をお造りになった神をおいて他にはありません。この全知全能の神が人類の問題に乗り出してくださるなら、必ずや解決はあるのです。そして神は人類最大の問題である罪を解決するためにイエス・キリストを与えてくださったのです。
聖書の中にこう書いてあります。
「このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。『見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)」
この聖書のことばの中には、神のご性質が三つ現わされています。
約束を必ず果たす創造主
第一に、神は約束したことを必ず果たす方である、したがって、絶対的に信頼して良い方だ、ということです。
数年前に亡くなられた天才落語家に、立川談志がいます。毒舌でシニカルで型破りで、喧嘩っ早いので有名な噺家でしたね。しかし彼は、手塚治虫の大ファンで、その作品のすべてを読破していました。その彼が手塚作品の最高作として挙げたものに、「雨降り小僧」という作品があります。主人公は山奥の分校に通うモウ太という少年です。ある日のことモウ太は橋の下で雨降り小僧という妖怪と出会うのです。雨降り小僧はモウ太の履いている長靴が欲しくてたまりません。彼には長靴がおしゃれなブーツに見えるんです。そこでモウ太は三つ願いを叶えてくれたら、このブーツをあげるよ、と約束するのです。いろんなことがあって、三つ目の願いになりました。それは緊急のお願いです。学校の火事を消してくれ。もし火事を消してくれたら、必ずこの長靴をあげるから、橋の下で待っててね。雨降り小僧は必死で火を消しました。ところがせっかく守った山の分校は、廃校になり、モウ太も急に町に引っ越すことになったのです。そしてうっかり、雨降り小僧との約束を忘れて行ってしまったのです。それから四十年経ちました。モウ太は父親になっています。ある日のこと娘がおねだりするですね。「ねえ、お父さん、私にブーツ買って。」その時、モウ太は四十年前の約束をふいに思い出すのです。彼は新品の長靴を買うと、何回も電車を乗り継いで、そしてとうとうあの田舎の山奥の橋の下にまで到着します。するとそこに、雨降り小僧が立って、待っていました。彼は四十年間、ほんの少しもモウ太を疑ってはいませんでした。必ずモウ太はやってくると信じ続けて、橋の下に立ち続けていたのです。
約束通りに救い主を遣わされた
この部分を読む時、毒舌家でならす立川談志はいつも号泣するそうです。結論がどうなるか知っているのに、どうしてもここにくると涙がこぼれてくるというのです。なぜでしょう?彼にも雨降り小僧がいるからではありませんか?彼にも約束しながら果たせないままになってる人がいるからでありませんか?そして彼自身がまだ果たしてもらってない約束を持っているからではありませんか?そして果たせなかった約束と、果たしてもらえなかった約束の両方を経験した彼は、何があっも約束を果たし抜いてくれる存在に対して、無性にあこがれる気持ちを抑えることができないのです。
聖書の神さまは絶対的に信用することができる方です。なぜなら、旧約聖書において預言というかたちで約束した350もの約束の全部をイエス・キリストにおいて実現なさったからです。神は、した約束を一つも違わずに守り抜かれる方なのです。
私たちに寄り添われる創造主
第二に、キリストは人と共にいるために、人となられた神だということです。
最近、海外の日本語熱がすごいそうですね。一体、どういう人たちが日本語を勉強するんでしょう?日本のアニメファンたちがリードしているというのです。実は日本の漫画は、世界の中で飛びぬけて高い評価を受けているのだそうです。なかでも、「ドラえもん」は世界30数か国でテレビ放送され、特にアジアの国々では、視聴率がなんと70%を超えるというのです。困ったことがあるたびに、便利な道具に頼って、結局は失敗するさえない小学生のび太の話が、どうして国境越えて支持されるんでしょう?それは便利な道具へのあこがれではなく、情けないのび太のそばにいっつも寄り添い続けるドラえもんへのあこがれである、と言われています。自分が弱い時もみじめな時も、間違ってる時にも、決して軽蔑せず、愛をもって叱り、正し、励ますドラえもんは世界中の子供たちのあこがれの的なのです。そして私たちは大人になっても、人生の困窮の中で、そばにいて、支え、正し、愛をもって叱って下さるそのような全知全能の能力者を持ちたいと思うのではありませんか?キリストは実にそのような方として、人と共にいるために、人となって来て下さった神なのです。
私たちの罪を担ってくださる方
ところで、罪ある人間が聖い神とどうして穏やかな気持ちで共にいることができるでしょう?罪を憎む正義の神の前で、罪だらけの人間がどうしてありのままの姿でいることができるでしょう?キリストによっていかなる罪をもきよめ尽くされて、初めて神と共に過ごすことが、いることが可能になるのです。
ですから、三番目のポイントは、私たちの罪を引き受けて、十字架の上でその罪の償いを果たすために来て下さった、ということなのです。
どうぞあなたも、約束を守り抜く誠実にして共におられる救い主を信じ、罪赦されて、永遠のいのちを得て下さい。心からお勧めしたいと思います。