新約聖書
 何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。
(ヤコブ4:1-2)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.721 2014年1月19日

「脳科学に見る人間の本性」

おはようございます、高原剛一郎です!

カット
 最近、脳の仕組みを解明する研究が大変注目されています。というのは、脳科学者によると、ほとんどの人は自分の脳の力を2パーセントしか使っていないというのです。つまり残り98パーセントは眠ったままなんです。もし、この残りの部分を少しでも活用出来たら、人間はもっと知恵深く生きる事ができるのではないかと期待されてるんですね。そしてこれらの研究によって脳にはいくつもの妙な癖があるという事が分かってきたのです。
 まず脳は寝ている間も猛烈に働いているんだそうです。そして、起きている間に見た様々な情報を海馬というところで組み立てなおし情報の整理をするんです。この作業中に人が見るのが夢なんですね。夢ではたいてい前日に見聞きしたことが登場しますが覚えているのは1パーセントぐらいです。この情報の整理をする時に一番大切な事は外部からの新しい情報を遮断して入れないということだそうです。そして新たな情報をシャットアウトするために人は睡眠をとるんですね。ですから、どんなに忙しくても、また、たとえ短い時間であったとしても必ず睡眠をとるという事が賢い脳の使い方なのだそうです。そうでなければ情報の整理ができずに混乱します。これが睡眠不足による幻覚、幻聴なんだそうです。

不思議な脳の能力

 それから脳には、やる気を出す場所があるんですね。側坐核という細胞で、脳の真ん中に右、左に一つずつあります。この側坐核は厄介なことになかなか活動してくれないんです。では、どうすれば活動を始めるかと言うと何かの刺激が来た時にだけ活動するんですね。しかし、いったん活動し始めると自分で興奮してやる気を出してくれるんです。つまりやる気がなくてもやり始めると細胞が自己興奮して集中力が出るっていうんですね。ですから私はやる気のない人間だとがっかりする必要はありません。やり始める前にやる気がないのは当然なのです。やる気に満ちているように見える人は皆とりあえずやってみる人なんです。やっているうちにやる気が出てくるんですね。

人を汚すと自分も汚してしまう

 ところで私が一番脳の働きで興味深いと思ったのは脳は主語が理解できないということなんです。実は大脳には理性、知性をつかさどる新皮質という部分とそれ以外の古い脳と呼ばれる部分があるんです。新皮質は主語を認識できるんですが、感情をつかさどる古い脳の方はそれが認識できず新皮質から送られてくる情報をすべて鵜呑みにしてしまう性質があるんです。という事はどうなりますか。たとえば人の悪口を言い続けていると脳の中では自分が悪口を言われているのと同じ状態になるんです。はじめのうちは相手の悪口を言っていると気分がよくなるような気がしますが、それを続けていると自分も傷つき気分が悪くなります。人を汚してばかりいる人はなぜか汚している人に似てきます。そして、自己嫌悪に陥っていき人に対して攻撃的になっていくだけでなく、自分自身が誰かから攻撃され続けているような気持ちになってしまうというんです。

他人の幸せを願うことで自分が受ける幸い

 スポーツの試合や音楽コンクールなんかで、どうしても勝ちたいと思う時大抵のプレイヤーは心の中で相手やライバルのミスを願います。あのシュート外れてしまえとか、ボールがカップに入るなとか、この演奏ミスしてしまえとか、口に出さなくても心の中でつい念じてしまうんですね。ところがそれは実は自分に呪いをかけることになっているというんです。相手のミスを願う語りかけが主語を認識できない古い脳の中では自分自身を失敗へと誘導するメッセージになっていくというんです。ですからタイガーウッズはここ一番の大勝負の瞬間には対戦相手が上手くいきますようにと祈っているというのです。自分という相手に余計な呪いをかけないと自分の思いも自分を妨害することがなくなるという事を知っているっていうんですね。

人間のうちにある弱さ

 ところがこれはなかなか出来ない事ではありませんか。私たちはつい相手の失敗を願ったり、上手くいっているライバルを妬むあまり、心の中で醜い妄想にふけってしまうのではありませんか。そうする事は結局、自分自身を不幸にする事なのですが、しかし、いざとなったらそれを止める力がないのです。
 さて聖書の中に次のような言葉があります。

「何が原因で、あなたがたの中に戦いや争いがあるのですか。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。 あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。」

創造主から離れた人間が陥っている罪

 ここには人間の体の中に宿る欲望という名の本能が見事に描写されています。脳というのは極めて賢くできているのですが、人間はその脳の正しい使い方ができず、むしろ自分を不幸にするような使い方をして生きているのです。人を呪うより、祝福する方が自分も祝福されると理論ではわかっていても、どうしても妬みが湧いてきて仕方がない。どうしても許すことができない。どうしても腹立ちを押さえる事ができないというのです。それは自分で自分を呪うことになるとは分かっていてもそれを止める事ができないとするなら、人間はどこかで壊れた存在になってると言えるのではありませんか。この人間を破滅に駆り立てるエネルギー、その欲望、その性質を聖書は罪というのです。この罪の特徴は自分の満足のためには手段を選ばないという自己中心性です。そしてこの罪の根本原因は人が自分の願いを訴えるべき神を持たないという事にあるのです。人が本当の満足を経験できないのは人が人を作られた神から離れてこの神を否定しているからなのです。しかし、あなたをお造りになった創造主なる神様は人が正しく願う前に人を本当に祝福に導きいれる救い主を送ってくださったのです。この救い主こそはイエスキリストという方なのです。

私たちを責めずに迫られる方

 毎年このシーズンになると冬山登山する人たちが増えます。そしてまた遭難する人たちも増えるんですね。日本アルプスに近い富山県警のレスキュー隊はこの救助活動の活躍で大変優秀な成績を残しているチームです。この富山県警が遭難者の理由を調べてみると、ほとんどが山に対する見方の甘さにあるっていうんですね。出発時間が遅い、計画がずさん、悪天候なのに強行する、装備が不十分、訓練も満足に受けていない、それなのに冬山への憧れだけはあるので登るというのは山に対して舐めているとしか言いようがないというのです。しかし一度、SOSがはいると一秒でも早く飛び出して駆けつけるのです。何故そんな甘い考えで登ったのかと過去の過ちを責めることはせず、とにかく一刻も早く駆けつけるのです。
 私たちは欲望の嵐で、もみくちゃにされ人生に遭難する人間の世界に漂うものですが、そのような人間の世界にダイビングしてくださった方がイエスキリストなのです。遭難するときに必要なのは哲学者やエンターテイナーではなく救助者です。どうぞあなたもこのキリストにご自分を委ね、そしてこの方を救い主として受け入れて下さい。心からお勧めしたいと思います。

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