新約聖書
 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
(ルカ2:11)

Default Text

「聖書と福音」高原剛一郎

No.717 2013年12月22日

「救い主 主キリスト イエス」

 おはようございます。高原剛一郎です!

カット
 先日、私はとある社交クラブで講演に招かれました。そのクラブでは講演者の写真を写して、後日会報に載せることになっていたのです。ところが、講演当日、私は鼻の頭に大きなできものが出来てしまったのです。気にしてる私にカメラマンが言いました。「大丈夫ですよ。デジタルだからきれいに消しておきますよ。」その一言ですっかり私は気が楽になりました。沢山の人が見る雑誌で醜態をさらすことがなくなったからです。ところで、顔の傷やシミがきれいに消されることが、心を軽くしてくれるということであるなら、心の傷や人生の汚点を完全にきれいにされたならば、人はどんなに心軽やかになるでしょうか。この人の罪をきれいさっぱり完全にぬぐい取るために、神はイエス・キリストを遣わしてくださったのです。今日はこのキリストの誕生の目的をご一緒に考えてみましょう。聖書の中にこう書かれています。  

「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」

キリストが地上にこられた目的

  これは御使いが羊飼いたちに語った言葉です。ここからキリスト到来の理由を三つご紹介いたしましょう。
  第一に、キリストは神が約束を守り抜く方であることの証明として来られたのです。日本では新年明けると年賀状であいさつを送りますね。アメリカでは年内にクリスマスカードであいさつを交わすことが多いようです。ある女性が、一目で気に入ったクリスマスカードを見つけました。彼女はそのカードを買い込んで、100人近い友人知人に送ったんです。ところが数枚残ったカードを改めて見た時、言葉を失うのです。何とそこには予期せぬ文章が一行印刷されていたのです。「しばらくすればプレゼントが届きます。お受け取りください。」何とそのクリスマスカードはプレゼントの予告状でもあったんですね。カードをもらった方は当然プレゼントを期待するでしょう。しかし100人もの方々にプレゼントを送ることは出来ない相談です。
  しかし、神があらかじめ予告したこと、通達したことは、どんなことがあっても果たされるのです。キリストが誕生する700年以上前から、神様は旧約聖書の中で人類を救う救い主の到来を約束しておられました。旧約聖書は神によるキリストというプレゼント予告状なんです。その約束によると、救い主はダビデの町で、ダビデの子孫として生まれるということだったのです。そしてその約束の通りに、イエス・キリストはダビデの町でお生まれになったのです。神は約束の神です。約束を必ず守りぬく方です。そうすることによって、私たちが信頼しても決して裏切られることがないと示しておられるのです。

名前に込められた意味

  第二に、この方は主キリストとして来られたということです。主キリストというのはイエスの称号です。ところで称号や名前にはその人々の氏名や起源が現されていることが多いですね。
  今から千年ほど前、日本人を一斉風靡した一族がいました。藤原氏です。彼らは都の中枢はもとより、今で言う全国の知事職にも一族の者を派遣していったのです。それで日本中が藤原だらけになるのです。そこでどこの藤原さんかを区別するために新たに名字を作っていくのです。加賀の国の藤原さんは加藤さんになり、遠州の藤原さんは遠藤と呼び、伊勢の藤原さんは伊藤さんになります。近江の藤原さんは近藤さん、武蔵国の藤原さんは武藤さん、尾張名古屋の藤原さんは尾藤さんになります。また佐藤さんというのは、藤原氏を補佐した家柄なので、補佐する藤原、佐藤さんとなったと言います。このように名前にはちゃんと意味があるんですね。
 では主キリストとはどんな意味何でしょう。「主」とは「神」という意味です。この天地万物を創造なさった造り主のことです。キリストとはヘブライ語のメシヤをギリシャ語で表したものです。直訳すると「油注がれた者」となるのですが、これはユダヤの社会における人間のリーダーのことなんです。つまり主キリストとは神であり人であるという意味なんです。神なのに人となられた方、百パーセント神にして、百パーセント人である方。神の能力と、聖さと、完全さを持ちながら、人の弱さを身にまとう方なのです。この主キリストこそは弱き人を助けるにあたって最もふさわしいお方なのです。

気づかなかった愛の行為

 第三に、この方はあなた方のための救い主だと紹介されていることです。いったい何からの救い主なんでしょう。神と人とを隔てる罪、そしてその罪の結果からの救い主なのです。
 先日私はある女性の書いたエッセイを読みました。ある日のこと彼女は結婚が決まるんです。当然ご両親が列席します。ところで彼女のお父さんは、片足がなく普段は車いす生活をしていました。ところが、式の当日慣れない義足をつけて娘の手を取って式場に入ると言いだし、毎日毎日歩行練習を始めるんです。しかし、彼女はそんなお父さんの姿を婚約者に見せるのが実はいやだったのです。しかし、昔から頑固一徹で、いったん言い出したら折れるとか譲るとかいうことが全くないお父さんだったんですね。そういう父親が彼女にとっては煙たくもあり、そして苦手な人でもあったのです。そして本当の意味で心がつながることがほとんどない関係にまでなっていたのです。式が近付くと父親の歩行練習はますます熱心になっていきます。いったいどこで手に入れたのか白い運動靴まで履いて、つまずかないようにトレーニングを積んでいるんです。式の当日にはフォーマルスーツ姿の父は、この白い運動靴を履いて、相当に時間がかかったものの無事にエスコートすることが出来たのでした。
 さて、それから何年もたってお父さんは危篤状態になります。連絡を受けた彼女はすぐに飛行機に乗り、そして病院に駆けつけました。お父さんは娘さんの手を取りながらこのように言ったのです。「夫を大切にするんだぞ。実は父さんは、君の結婚式で君の手を取って歩いて式場に入るつもりはなかったんだ。そうする自信がなかったんだ。でもお前の夫が毎日のように訪ねて来て励ますんだよ。そして転ぶと危ないからと言って、運動靴まで買って来てくれたんだ。」何と夫は、父と娘を強く繋ぐために、強く結ぶために、彼女の知らないところで奔走していたと言うのです。改めて夫の偉大さに感動したのは言うまでもありません。

あなたのために来られたイエス

 ところで、キリストは何のために来られたのでしょう。神と神に反逆する人間を、再び結び合わせるために、天からこの世に来られたのです。自分の造り主から離れて、死と裁きに突き進む罪人を、神のもとに連れ戻すためにこの世に来てくださったのです。そして神と人とを隔てる罪を完全に拭い去るために、十字架に架かりにやって来られた方なのです。どうぞ神が遣わした、主にして、キリストにして、救い主であるイエス・キリストをあなたも信じ受け入れてください。そして本当の意味でクリスマスを味わってください。心からお勧めしたいと思います。

コーヒーカップ
時計
MILANの消しゴム