新約聖書
信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
(ヘブル11:3)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.712 2013年11月17日

「ヒッグス粒子の創造主」

おはようございます。高原剛一郎です!

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 さて、今年のノーベル物理学賞はイギリスの物理学者ヒッグス博士とベルギ-のアングレール博士が選ばれました。お二人とも80歳を超える御高齢です。いったいどんな科学的貢献をなさったんでしょう。すべての物質に重さを与える素粒子、ヒッグス粒子の存在を理論的に予言したっていうんですね。このヒッグス粒子っていうのは、目で見ることはできず、手で触ることもできず、耳で聞くこともできません。人間の体に全く関知できないばかりか、ついこの間まではどんな分析装置を使っても捕らえることが出来ないものだったんです。ところが去年の7月、ヨーロッパの大型加速器を使った実験で、実際にヒッグス粒子が見つかったのです。この実験には日本の東大チームも大いに貢献しました。

 ところで、その存在を確かめる手段が何一つなかった時に、ヒッグス博士はどうして未発見の物質の存在を予測することが出来たんでしょうか。一言で言うと、それがあると仮定するといろんなことがうまく説明できるようになるということなんです。確かに見ることもできない、知ることもできない、確かめることもできないけど、それがあると仮定すると見事に宇宙の現象が説明できます。逆にそれがないなら宇宙の成り立ちがうまく説明できなくなるんですね。ヒッグス粒子がないと今の宇宙の現象を理論的に説明できなくなる。なので彼ら科学者は、見ることも触れることもできない未知の粒子をヒッグス粒子と名を付けて呼び、きっといつか見つかるに違いないと期待していたんですね。

 ところで、この科学者の態度は信仰そのものではありませんか。なぜなら、見ることも触ることも確かめることもできないものに名を付けて呼び、その存在を信じて探求して来たからです。時々、「神を信じるのはナンセンスだ、非科学的だ、なぜなら神は見ることも、触れることも、測定することもできないからだ」と言う方がいます。しかし、最先端の科学者の態度はまさに見えないものへの信頼で成立しているのです。聖書の中に次のような言葉が出てきます。

「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」

最古の書聖書が語る最新の宇宙論

 見ることが出来ているこの世界は、目で見えないものでできてるんだと聖書は語ってるんですね。そしてこの見えないもので見える世界を造ったのは、実に創造主、神なのだと言うのです。ヒッグス粒子は別名、神の粒子と呼ばれています。もし物質に質量がなければ私たちは存在できないからです。しかし、ヒッグス粒子は見えるものの材料のもとになっていますが、ヒッグス粒子そのものがどうして存在しているのか、それを生み出した第一原因については科学者たちも沈黙したままなんです。聖書はこの全ての第一原因者、無からこの世界を造られた作者を創造主、神と呼ぶんですね。神様の存在は測定器で見つけることはできません。しかしこの神の存在を認める方が、この世界の成り立ちをうまく説明できるのです。と言うのはこの宇宙には実に見事な秩序を見出すことが出来るからです。
 先日、私はある公民館の会議室で講演しました。始まる二時間前にちらっと部屋をのぞくと、机が一つも見当たらず、椅子もあっちに向いたりこっちに向いたりの状態です。しかし講演時間直前に部屋を見ると、きれいに椅子が前を向いて並べられていました。見た目にも美しく、机と椅子が演壇に向かって成立されている秩序を見たとき、会場準備のために働いてくれていた誰かのお陰おかげだと予測したのです。秩序ある世界は秩序を打ち立てる者の存在を証明しているのですね。

神をどうしたら知ることができるか

 ところで、この世界をお造りになった神がいたとして、その方はどんなご人格の方なのでしょう。宇宙という作品だけでは神の存在は分かっても、その神が優しい方なのか、冷酷な神なのか、温かい存在なのか、人間には無関心なのかが分かりません。どうしたら神の本性や神が考えてることが分かるんでしょう。神の言葉によってわかるんです。  ところで私は毎週のように全国を伝道旅行で回ります。行く先々で迎えてくださる皆さんがごちそうで歓待してくださるんですね。あるとき私のために大変高価な食材を使ってフルコースの料理を作ってくださったのでした。その食材は貝の牡蠣です。牡蠣スープ、牡蠣フライ、酢牡蠣にレモン和えと牡蠣、牡蠣、牡蠣のオンパレードです。どうしてこんなにふるまってくださったんでしょうか。私の好物だと前もって情報を持っておられたからです。確かに私は子どもの頃、貝の牡蠣が大好物だったんですね。牡蠣というのは岩にへばりついているので、取る時にかきとる必要があるんですね。かきとるから牡蠣という名前がついたそうです。とにかく栄養満点で海のミルクと言われています。ヨーロッパでは魚介類の生食はまずしないんですけど、それでも唯一牡蠣だけは生で食べる習慣がローマ時代からありました。なぜでしょうか。生で食べたらおいしいんですね。

神の性質は教えられて初めてわかる

 しかし、私は今から20年前ぐらいにこの牡蠣を食べなくなりました。なぜなら食あたりを起こしてしまったからです。以来私は牡蠣が大の苦手なのです。私は申し訳ないんですがこの牡蠣のフルコースをパスしました。体が生理的に受け付けないからです。それで作ってくださった奥様は大変がっかりなさったんですね。そしてこう言われました。「やっぱりご本人から直接聞いておくべきだったわね。」と。その通りです。私に関する最も正確な情報は私が持っています。噂はあてになりません。本人が何を考えているのかは本人に聞かない限り正しく知ることは出来ないのです。
 これは神についても言えるのです。神が何をどうお考えになっているかは人の想像では推し量ることはできないのです。神自らが人間に対して打ち明けてくださる以外、人は正しく神を知ることはできないのです。神はご自分の考えを聖書に残されました。また神の御本性を人に知らしめるために、ご自分の一人子イエス・キリストをこの世に遣わしてくださったのです。ですから私たちは今、神がどんな方なのかを知ることが出来ます。神とはイエス・キリストの様なご人格の方なのです。

聖書に表された創造主の姿

 どうぞこのイエス・キリストをお知りになってください。そしてキリストを知るために聖書に触れていただきたいのです。そしてこのキリストに呼びかけていただきたいのです。「どうぞ私に出会ってください。私でも創造主が分かり、創造主の前における自分の罪が分かり、この罪からの救い主としてイエス・キリストを知ることが出来るようにしてください」と祈ってください。神様は必ずあなたを導いてくださる方です。心からお勧めしたいと思います。

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