新約聖書
それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。
(ヘブル9:22,26)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.711 2013年11月10日

「罪をきよめ尽くすキリストの血」

おはようございます。高原剛一郎です!

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 先日、あるスーパーマーケットの店長が缶ジュースを大量に仕入れたという話を聞きました。ところがこの缶ジュースときたら、とても飲めたものじゃない、凄まじくまずいジュースだったんです。店長はろくに試飲もせず、とびきり安いというだけで仕入れてしまったんです。しかし、売れないで不良在庫にするわけにはいきません。かといって、でたらめな宣伝で無理に売りつけると店の評判に関わってくるんです。困り果てた末に彼は、とある手を打つことで、ジュースは完売。しかも追加注文するまでに爆発的に売れたというんです。一体彼は何をしたんでしょう?「罰ゲームにどうぞ」という張り紙を付けて店頭に並べたんです。致命的なミスも知恵によって見事に解決したんですね。アイデアマンの知恵はしばしば人を窮地から救い出します。
 ところで、聖書は全知全能の神の知恵が記されている書物なのです。ここには、人生が無駄に終わらないために必要な、神による知恵と答えが書かれてあるのです。

 今日はその箇所を紹介いたしましょう。

「それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。」

ならぬものはならぬこと?

 今日はここから、三つのポイントでお話いたしましょう。
 今から10数年前、私は教会の仲間たちと一緒に、イスラエル旅行に行きました。真夏の八月、ギラギラ照りつける太陽の季節にあっちこっちを見て回ったのです。そしてイエス・キリストが活動されたガリラヤ湖のほとりにある教会堂に立ち寄ることにしたのでした。というのは、そこには大変貴重な2世紀の教会遺跡があったからです。ところが、メンバーの一人の女性だけが、その教会への立ち入りを断られてしまったのです。なぜでしょうか?彼女はキュロットスカートをはいていたからです。キュロットというのは、フランス語で、半ズボンのことです。スカートは英語で、まあ、スカートのことですね。キュロットスカートというのは、一見スカートに見える、半ズボンのことなんです。もともと女性が乗馬するために開発されたものです。だから動きやすくて、涼しくて、しかもおしゃれなんですね。彼女がキュロットスカートをはいたのもそれが理由であったと思います。しかし、その服装では教会の敷地には入れない、と受付で断られてしまったんです。というのは、一見、やや短めのスカートに見えたんですね。これは神聖な思いで心を神に向ける、この教会堂という場所の中で、ミニスカートの人は、これは入れることはできないんだというんです。またそれに類似する服装の人も入れません、と言うんです。
 そこで私は説得しにかかりました。彼女はクリスチャンで敬虔な心で神さまに心向けることができます。また私たちははるばる日本からやってきたんです。ここに来れるのは、もしかしたら一生に一回のことかもしれません。なんとか今回だけは、目をつぶってもらえませんか?と。しかし、だめなものはだめ。会津風に言うなら、「ならぬものはならぬのです。」という一点張りです。これは入場のための規則です、と言って看板まで見せられたんです。たしかにそこには、入場者の資格について様々事が明記されてありました。こちらがどんなに入りたい、と情熱的に願っても、基準を満たしていない限り、入ることができない世というのが、この世にもあるんです。

神の受け入れ条件とは?

 それと同じように、神に受け入れられるためにも資格が必要なのです。その条件を決めるのは、神であって、人ではありません。人が、これなら大丈夫だと思っても神の目に不十分であるなら、受け入れられないのです。世の中にはいろんな宗教家がいろんな教えを語って、こうすれば神のところに行ける、こうすれば神の子になれると説きます。しかし、それらは受け入れてもらう人間の側の一方的な期待でしかないのです。受け入れの条件は、人ではなく、神が決めるのです。では神の受け入れ条件とは何でしょう?罪がきよめられているということなのです。

神と人間との間にある問題

 先日私は、アリの本を読みました。アリという昆虫はたいへんきれい好きで仲間が死ぬと、巣の外へ運び出すそうです。ところで、仲間が生きているのか、死んでるのかをアリはどのようにして区別しているのでしょう?オレイン酸という物質によって区別しているんです。アリは死後12時間経つと、からだの表面にオレイン酸という物質が現れ始めるのです。この物質はアリにとっては、死の匂いなのです。そこで科学者たちはある実験をしてみました。生きているアリにこのオレイン酸を塗ってみたのです。一体どうなったでしょう?オレイン酸を塗られたアリは、無理矢理死体置き場に運ばれてしまうのです。巣の中に入ろうと何度も何度も試してみますが、そのたびに他のアリたちが総力を挙げて阻止し、死体置き場へと戻されてしまうのです。命の世界である巣の中に、死の匂いを発散するものは受け入れてもらえないというのです。
 生まれながらの人間は、罪と死の匂いを発散する存在なのです。この罪を取り除かれない限り、聖い神さまのみもとに戻ることは誰にもできません。

罪の問題を解決する手段とは?

 第二に、この罪をきよめるのは、罪なき者の血、だけである、ということなんです。
 吉本のお笑い芸人トリオの中に、「ジューシーズ」というグループがあります。この「ジューシーズ」に松橋周太呂という人がいます。彼は実は、芸能界きっての掃除マニアなんですね。彼の部屋は台所もトイレも風呂もピッカピカです。どうしてそんなにきれいなんでしょう?掃除する場所にピッタリの洗剤を使って掃除するからだそうです。彼は、トイレ掃除には「ほっといて」という商品を使ってます。成分がなんと、納豆菌なんですね。これで洗って流すと、パイプのぬめりを栄養分にして活性化し、何週間も勝手にすみずみまできれいにしてくれるんだそうです。油汚れには油汚れ用の洗剤、コーヒーのしみ抜きにはそのための洗剤、水垢汚れには水垢汚れ用の洗剤を使うので、完璧にきよめられるんです。
 では、人間の罪をきよめる洗剤ってあるんでしょうか?あります。それは罪なき者の血なのです。すべてのものは血によってきよめられる、と聖書が語っているからです。

キリストが流された血の役割

 第三に、この罪なき者の血こそはイエス・キリストの血である、ということです。なぜなら冒頭にお話した聖書のことばの続きに、次のように書いてあるからです。

「キリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。」

 ここにはキリストが十字架にかかって死なれた理由が書いてあります。それはあなたの罪を取り除くために、いけにえとして血を流しに来てくださったのだというのです。キリストの血は、いかなる罪も、どんなに醜い悪も、あとかたもなくきよめて、余りあるものなのです。このキリストの死とよみがえりを信じ、この方を自分の救い主とする者には、神の子とされる特権が与えられています。それは人間の考えたアイデアではなく、神の側から提示された救いなのです。
 どうぞあなたも、イエス・キリストを信じ、永遠のいのちをいただいてください。心からお勧めしたいと思います。

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