新約聖書
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
(1テモテ1:15)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.708 2013年10月20日

「実りある人生の助け主イエス・キリスト」

 また出てきました。
カット

 私は昨晩、10時くらいにホテルに入ったのですが、煌々と照明をつけながら開いている店、その一つはマクドナルドなんですよね。アメリカで、「マクドナルド」と言っても通用しないそうですね。「マクダァナル」っていうのがですね、正しい発音なんだそうですが、あのマクドナルドを日本に持ってきた人、創業者ですよね、藤田 田という人です。彼は日本語の単語は二音節が一番おさまりが良い、「マクダァナル」ではみんなに覚えてもらえないから「マクドナルド」でいくんだ、と決めたんです。非常にビジネスの感覚の鋭い方なんですが、大阪出身の方ですね。藤田 田。この田というのはね、田んぼの田、と書いて「でん」です。私は彼の名刺を持ってますが、「でん、とよんでください。」って書いてあるんですよね。漢字で書くと、「ふじでん でん」になるというね、ことなんですが。実は、お母さんがクリスチャンです。田んぼの田と言う字は、口の中に十字架が入っています。私の息子はやがて大きくなって、その口でいろんなことを世の中に発信するだろう。その時に陰口、悪口、批判のことばではなくて、十字架のことばを語ってくれる人であってほしいな、十字架にかかって下さった方のことを紹介する人であってほしいなあ、ていうそんな願いを込めて、田という名前を付けたそうです。
 さあ、今日はこの私たちのために、十字架について下さったイエス・キリストについて、聖書自身が語っているもう一つのみことばの中から、また紹介したいと思うんですね。前にあります。

「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」

ゴルフの名選手の陰にはノ

  私は先日、あるアメリカのプロゴルファーの書いた本を読んで、たいへん感銘を受けたんですね。その方はクリスチャンの方だったんですけれども、非常に教えられることが多い本でありました。彼によりますとね、良い成績を残すための方法、それはね、良いキャディを持つことです。最近のゴルフではですね、キャディをつけないそうです。もう、セルフゴルフです、全部自分たちでやる。道具も何も、カートがありますしね。こんなんもう、重いのを背負ってもらう人がないからということでやるんですけれども、名選手の陰には、必ず名キャディがいるんです。というよりも、お抱えで持っているんです。このキャディは、三つのことがあるんですね。

名キャディの三つの特質

  第一番目に、コースを知り尽くしてます。どこに池があって、どこにバンカーがあって、芝の芽の向きがどういうふうになっていて、そのコースの曲者っていいますか、仕掛けというか、設計者の意図まで全部読み取って、どこにどういうものがあるのでここはまっすぐよりちょっと右めに打ったほうが絶対にいいよ、とかね、コースを知り尽くしている人だけが持っている知識があるんですね。
 第二番目に良いキャディってのは、一緒に回るゴルファーの長所も短所も、癖もその日の体調もよく知ってるそうです。このゴルファ?にはどういう言い方をすると一番良いか、ということまで心得ているんですよね。そしてそのゴルファーのそばにいつも付き添っています。
 第三番目にキャディというのはですね、ゲーム中、ゴルファーに技術的アドバイスをしてもよい、唯一の人だそうです。あとのギャラリーは黙っていなければならない。実はスコットランドで始まったゴルフという競技はもともと、ゴルファーとキャディ二人一組でするゲームだったそうです。ゴルファーだけでするゲームではなかったんです。二人が一組となって一つのゲームを完成していくというスポーツがゴルフだった、というふうにその本には書いていました。

人生におけるキャディを願う

  私はそれ見ながらですね、人生にキャディがいたらいいなあ、って思うのです。うまくいった時に「ナイスショット!」で、しくじったらね、しくじった時点で一番良い打ち方はこうではありませんか、ということを提案してね、「大丈夫だよ、大丈夫だよ。」と励ます。もし人生のキャディがいたらどうでしょう?私の人生を知り尽くしている方、私の今までを知り尽くしている方、私の今の心理状態を全部ご存知の方、そして私にとって未来である、将来どうなるのかということも全部知り尽くしている方がいつも脇について、寄り添って、「ここはこうしたらいいよ。」「今は気落ちしなくても大丈夫だ。」「そんな結果みんなだってやってるよ。」「そんなことでくよくよしなくてもいい。まだ逆転のチャンスはあるぞ。 」そんな風にいつも耳元で囁いて、独りぼっちの人生ではなくて、ふたりぼっちの人生で未知のコースを進んでいくことができたら、どんなにすばらしいだろうかと思うのです。

共に歩んでくださるイエス・キリスト

 実は私たちは誰も一人では、完璧な人生を送ることはできないものです。でも、イエス・キリストというキャディの助けをいただければ、私たちの致命的欠点を補って、すばらしい人生を歩み出すことができるというのです。キリストは私のすべての罪の身代わりとなって、あの十字架にかかって死んでくださった、だけではなく、よみがえって、今も生きている方としてね、私たちが毎日毎日毎日歩んでいく時に、すぐ傍らに立って、私たちが息を引き取る寸前まで、そばに居て、助言し、導きを与えて下さる方なのだっていうんですね。私はその方を受け入れることが、本当の意味で受け入れるに値することば、約束だと思うんです。ここに人生の勝利の秘訣があるんではないかな、っていうふうに思うんですね。

優先すべきことを優先する

 最後に一つお話をして終わりたいと思いますが。あるアメリカの大学教授、白熱教室ってみなさんご存知ですか?最近、いろいろやっていますよね。ある大学教授がですね、大きな壺を持ってきたんですね。でその壺に石をガツ、ゴツ、ゴツと入れていくんですよ。そして壺にすりきれ満タンにしたときに学生たちに訊いたんですね「これでいっぱいだと思いますか?」「たぶんそうです、教授。」「あ、いや違う。」次に砂利をザラザラザラっと入れるんですよ。すりきれいっぱい。「これでいっぱいになったと思いますか?」「たぶん違うと思います。」「その通り。」次はサラサラの砂を、サァーッ。「これでいっぱいになったと思いますか?」「たぶん違うと思います。」「その通り。」次は水です。ザーッっともう縁までいっぱいに水を満たしたんですね。もう入る余地がありません。教授が言いました。「諸君、私が君たちに何を言いたいのかわかるかね?」一人の学生が「はい、わかります。どんなに忙しいスケジュールも、工夫すればもっと詰め込める。」やめたほうがいいですよ。「そうじゃないんだ。私が言いたいのは、こうだ。大きい石は最初に入れないと二度と入れる機会がない、ということだ。この壺は人生そのものを表わしてるんだ。そして人生の中には一番大事なものから最初に受け入れていかなければならない。大事なものは後回しにしてはならないんだ。一番大切なものから優先権を与えて、受け入れていくべきなんだ。」

人生で最も大切なこと

 ある方にとって一番大事なものは、仕事です。ある方にとってはお金かもわかりません。ある方にとったら趣味でしょう。しかしみなさん、本当に大事なのは、あなたの造り主、そしてこの造り主が送って下さった救い主イエス・キリストなのです。この方を自分の人生の中に迎え入れる時に、私たちはこの方の助けとアドバイスのうちに、一人ではとても歩みきれなかった、実りある人生を生ききることができるのだ、と聖書は勧めています。ぜひみなさん、このイエス・キリストを救い主として、信じ受け入れて下さい。心からお勧めしたいと思います。

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