新約聖書
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)

Default Text

「聖書と福音」高原剛一郎

No.703 2013年9月15日

「神の望み・あなたが神に出会うこと」

 皆さん、こんにちは!
カット

 私は先ほど向日さんの賛美を聴きながら、どんどん自分の中で勇気が湧いてくるような、そんな気がしたんですけども、この前に立って皆さんを見て、いっそうその勇気が湧くような気がいたしました。と言いいますのはね、天気予報によると、今日午後から大雨になるそうです。ちょうどこの講演が終わって皆さんが出る頃にどしゃ降りになる。今日来られた方、みんなびっしゃびしゃになってですね、帰られるんですよね。まあ、そういうことがあったとしてもね、とにかくそこへ行こうという、そういう心意気を持った方々が、こんなにたくさんいらっしゃるのかと思うと、勇気が湧いてくるんです。
 もう一つはね、実は私たちは、いつもラジオのスタジオで収録しているのですが、リスナーの方々のお姿は見えないのです。夜中なのに「おはようございます」と言い、誰もいてないのに「皆さん」と言ってるわけです。でも今日私はこの皆さんがびっしり、この座ってくださっている、この姿光景をまぶたの裏に焼き付けておきたいと思います。マイクの向こう側に、少なくともこの800人以上の方々が聴いてらっしゃるのかと思うと自分の心が鼓舞されてくるのを抑えること出来ません。

聴くことから始まる新しい人生

 先日、あるドクターの書いたエッセイを読んだんです。その方はホスピスの院長さんなさってるんですよね。彼の勤務している病院に90才のおばあちゃんが入院している。この方は末期のがんで骨にまで転移しているのです。顔も険しくなり苦しそうですね。そこで思い切って聞いてみたそうです。「一番辛いことって何ですか。」少しでも何かしてさしあげたい、軽くして差し上げたいと思ってそれを聞いたんですね。そうしましたらね、そのおばあちゃんがね、一言「息子にお嫁さんが来ないことです」って言うんですよ。びっくりしたそうです。何と90才のこのおばあちゃんは息子の老後の心配してるんですね。
 改めて教えられたことはこうだ、人は見ただけでは分からない、耳を傾けなければ分からない、なぜなら人の本質は心であって、心は目で見ることはできないからだと言うのです。「聴くことから始まる新しい人生」というのが今日のテーマです。みなさん私達はその人が、一番人生の中で価値あるものとお考えになっていることは何なのか、それはその人の語られる言葉を聞くまでは分からないのです。

判断材料は多いほどいい

 そしてそれは神様についても言えることだと思うのです。神様を目で見ることはできない、この見えない神がおられるのかおられないのか、もしおられたならば何をお考えになり、私達に何を望んでおられるのか、それらを知るためには神の言葉、聖書に聞かなければならないのです。まあ、聖書のこと、神様のことだけではない、私たちは未知のことを知ろうと思いますとね、判断材料に触れるということが必須のことです。そして判断材料というのはね、多ければ多いほど良いのです。少ししか聞かずに全面的に信じようとしても難しいと思います。でもたっぷり聞いてると、ところどころ腑に落ちる瞬間が来るんですね。そして人間というのは、いったん腑に落ちると、腑に落ちる前の自分に戻ることはできないのです。
 時々ね、教会に誘ってもね、「教会なんかに入ったらクリスチャンにされてしまうから、私入らない!」って。教会に入ったぐらいではクリスチャンになれません。ガレージに入ったからと言って自動車になりますか。聴いて得心しない限り、信じることはできません。信じるためにはまず聞くことなのです。ぜひ皆さん聞いていただきたいと思います。

人間を造られた神を紹介する聖書

   今日はこの聖書のメッセージの中でも、キリストの福音の最高峰と言われているところをご一緒に見たいと思うのです。ヨハネの福音書3章16節です。神があなたに臨んでおられる第一番目のことは、あなた自身が自分の造り主と出会い、この方を信じることなのです。  私は今年の夏、軽井沢に行きましたけど、その時、中国の大学教授の方がわざわざ日本に来られて、私の講演を聞いてくださったのです。そこでね、前々から疑問に思ってたことを少し聞いてみたんですね。まあ、日本も中国も同じ漢字文化圏なんですけど、時々意味がひっくり返るようなものがありますよね。中国語で「手紙」と書きますと、これが手で使う紙、「トイレットペーパー」です。それから日本語でですね「お母さん」、これ中国ではですね「娘」なんですよね。この娘というのは目上の女性全般に使う言葉。今日ここにいらっしゃる全てのお母さんは娘なのです。しかし「妻」のことは中国語でなんと言うかと言いますとですね、「老婆」なんです。なので今日ここにおられるすべての妻は、老婆なのです。しかし、一番驚くべき言葉は何かと言いましたら、中国語の「湯」なんですね。日本で湯と言ったら熱い水でしょ。でも中国語では、これはですね「スープ」のことなんですよね。だから、中国の人が日本に来て銭湯行ったときに、男湯。男で出汁をとったスープ。飲みたい?ですからね、同じ漢字であったとしても意味がまるで違うということがあるんです。
 神という言葉も同じでありまして、私たちが今まで聞いてきた神様というのは、人間が作った神々のことを神と呼んできたのです。人間の宗教心がこしらえた神々のことを神と呼んできた。祟りを恐れたり、罪責感から、人の恐怖心がこしらえたものを神と呼んできた。しかし聖書が語ってる神様は、人が作った神ではなく、人をお造りになった方、あなたの魂の第一原因者のことを聖書は神と呼ぶのです。

見事にプログラムされている私たちの体

 私はですね、最近本当にうっかりが多くなりました。ちょうどね、昨日ね、ICOCAっていうカードあるでしょ。あのICOCAカードを機械にいれて入金したんです。そしてカードを挿したまま家に帰ってしまったんですね。半日ほどして行ったらもうありませんでした。そういうふうにうっかりというのが最近多い。でもね、どんなに私がうっかりする人になったとしても、うっかりして心臓止まったとかね、うっかりして息するの忘れてたといようなことは起こらないと思います。なぜならば、こういう命に関わるような活動というのは、自分の意思とは無関係に動いているからです。みなさん私たちの体っていうのは、自分の意思とは無関係に、半年に一回新品になってるということをご存知ですか。胃の粘膜というのは5日で古い細胞と新しい細胞が入れ替わって新品になってるそうです。心臓は22日間で新品。皮膚は28日間で新品。人間の体っていうのは大体半年周期で新しいものになる。これを新陳代謝と言うそうです。ところがですね、人間の体の臓器の中でね、新しくならない臓器がいくつかある。その代表がね、脳なんです。皆さん、もし脳が半年ごとに新しくなってたらね、半年ごとに別人28号ですよ。覚えても覚えても新陳代謝でどないすんのよ。
 つまりこういうことなのです。私たちの体の中にはね、新しく入れ替わらなければ生きていけない臓器は、新しく入れ替わり、新しく入れ替わったら生きて行けなくなる臓器については、入れ替わることがない。それは自分の意思とは無関係なところで、分別して分別して、器用にそれをやりこなしている。どうしてそんなことが出来るんだろうか。そのようにプログラムされているからです。私達のDNAの中にそのようにプログラムされている。プログラムがあるということは、プログラマーがおられるということではありませんか。私達をお造りになった方、私の命の設計者、あなたの魂のルーツである方がおられる、聖書はそれを神と言うのです。

あなたに届けたい神の福音

 あなたの人生に計画を持ってる創造主を信じ、あなたが滅びないことを望んでる神様が、あなたのために救い主イエス・キリストを遣わしてくださったことを信じ、この死んでよみがえってくださった方と共に歩むということ。これが、神が私たちに無条件で与えてくださっている福音なのです。どうぞ皆さん、このイエス・キリストをご自分の救い主として信じ受け入れてください。心からお勧めしたいと思います。

コーヒーカップ
時計
MILANの消しゴム