新約聖書
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値することばです。
(1テモテ1:15)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.701 2013年9月1日

「罪からの救い主キリスト」

 えー、みなさん、こんにちわ!

 今日は、聖書の代表的なことばの中から、お話ししています。

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値することばです。」

 罪人を救うためにこの世に来られた、とありますが、罪から私たちを救うために来てくださったのだ、というふうに言うんですね。

人間が抱え込んだ数々の痛み

カット
 私は今から数年前に、東京に出張しましたときにね、出張先で帯状疱疹(たいじょうほうしん)という病気になったんです。この病気はですね、非常に変わってましてね、右半身か左半身か、どちらかにしか出ないんです。まんべんなく出ません。右半身に出てるときは、左はまっさら。左半身に出てるときは、右半身は健康なんですね。これはですね、水疱瘡(みずぼうそう)の菌が、体の中、奥の方に眠ってるんですが、それがウワァっと出てくる。そういう病気なんですが、水疱瘡との決定的な違いがあるんです。水疱瘡はね、痒いんですね。かゆいんですあれは。しかし、帯状疱疹というのはね、痛い!これね、めちゃくちゃ痛いです、これは。もうね、堪らなくなりましてね、東京の荻窪というところにある、ペイン・クリニックという病院に入ったんです。で、そこに行ってですね、一秒でも早く痛いのを取ってほしい!と思ってね、そこへ飛び込んだ。出産の痛みですらケロッと消失させてしまうような注射、打ってほしい!と思ったんですけどね、打つ前に、問診表に答えなければならないんです。

問診表250問

 その問診表ってね、5枚あるんです。250問。もう、はよ打って、はよ打ってって言ってるときにね、こう、色々いろいろ聞くんですよ。歳は、とか(それは聞いてもいいんですけど)、色んなこと聞くんですが、その質問内容の中にですね、こんな質問があったんですね。「あなたは自分が、世の中に必要な人だ、と思っていますか」と。「あなたは、謝らなければならない人がいると、感じていますか」「あなたは、罪悪感に苦しんでいますか」もう、1秒でも早く打ってほしいのに、もう長々ながながと、そういう質問が来るので、女医さんに聞いたんですね。何でここまで聞くんですか、っていうふうにね。そしたら、こんなこと言ってました。「心に痛みのある人は、肉体に痛みが生じた時に、1が10にも100にもなる」って言うんです。単純な肉体の痛みが1とするならば、心に、思い煩いや、心配事や、罪悪感や、責められるような思いや、そういうものが心の中に刺さってる人はね、1の痛みが10にも20にもなってしまう。そしてね、ペイン・クリニックで、薬物によって取り除くことができる痛みっていうのは、肉体由来の痛みだけです。心に原因がある痛みや、罪の赦しのことに引っかかってる痛みは、私たちの手に負えません。

魂の癒しは神からもたらされる

 人間には、肉体よりも、もっと深いところから出てくる、痛み。これがね、スピリチュアル・ペインという言葉だそうです。霊的な痛み。魂の痛み。心の痛み。そういったものは、お薬で消すことはできない。この、罪の問題に由来する痛みを消すのはね、ひとつしかない。それはね、赦しなんです。根拠のある、権威あるものの赦し。これだけが、その人の痛みをすっかり抜き取ってくれるんだと、いうふうに言うんですね。

ある女性カウンセラーの話

 ある女性カウンセラーの話なんですが、彼女には、ひとりね、お姉さんがいたんです。ところが、交通事故で、即死されてしまうんですね。それで、お別れの言葉が一切なかった。こちらも、かけることができなかった。そしてですね、その後で、まるでベルトコンベアに乗せられるかのように、もう、粛々と葬儀があってそれが終わって、彼女は実は売れっ子のカウンセラーだったのでね、すぐにお仕事に入ったそうです。毎日まいにち忙しいいそがしい、そういうお仕事の中に入って行くんですけれども、この事故のあと、しばらくした時からね、実は、彼女はね、首が動かなくなるんです。首をチョッとでも回そうと思ったらアィタタタ、痛い、首が回らない。それで、彼女が勤務している、そのカウンセラーのセンターの所長にね、文句言ったそうです。「所長、私は十分、愛する人の喪に服するという期間が与えられなかったので、今、こんなストレスになっていると思います。愛する人を喪失したときに、十分に悲しむという、喪の期間を過ごすということはとても大事なのに、私は仕事に追われて、十分悲しむことができませんでした。だから、今になってこんなふうに痛みが出ています」って。

人として自然な反応

 するとその所長が言ったんですね。「違うと思うよ。そんなことが原因じゃないと思うよ。実は、君はお姉さんが亡くなったことで、ホッとしてるんじゃない?あのお姉さんはとってもいい人だったけれど、君に対しては、とても支配的な人だったね。だから、彼女が亡くなってホッとしてるという面があると思う。そして、ホッとしてるという面があったとしてもね、それは、あなたが冷酷な人なんだということにならないと思う。誰だって、あんな扱いをされ続けてきたら、ああ、このお姉さん、いなくなってちょっとホッとする、というふうに思ったとしてもね、人としては自然な反応だと思うよ」って言ったときに、彼女がカァァーっとなって怒ってね、「なんてひどいことをおっしゃるんですか!」と言ったときに、首が動いてるんです。

人間が必要としている罪の赦し

   なぜ彼女は、首が動かなかったんだろうか。後でですね、自分で色々と分析されてるんですね。兄弟が亡くなったのに、安堵している、ということに気づかないふりをしている自分に対してね、自分の体が罰を加えているんじゃないか、自分自身が自分を罰してるのではないかって言うんですね。しかし、彼女自身が尊敬している所長さんから、それは悪ではないよ、それは罪とは言えないよ、あなたがそう思ったとしても、それは、当然だと思うよ、と、自分を赦しても良いのだ、という宣告を受けたときに、首の硬直がほどけたのです。
 人間って、ほんとに霊的にできてるなあ、と思います。人間って、なんて、罪に縛られてるんだろうか、ということを思いました。そして、人間の本当の解決、罪からの開放というのは、この、権威ある存在からの、罪の赦しを聞くまでは、起こらないのではないのかな、と改めて思いました。

キリストがもたらす罪からの解放

 キリストは、罪人を救うためにこの世に来られたのです。どんな方法で、罪を赦してくださるんでしょう。罪のないご自身を、十字架の上につけ、そしてその十字架の上で、人のすべての罪の刑罰を、身代わりに引き受けることによって、罪の赦しはここで終わった、ということを宣言してくださったんですね。大きなビルの上には、避雷針がついていると思います。雷の一撃が建物を直撃したら、中に住んでる人たちは大きなダメージを受けますよね。でも、避雷針がその雷のエネルギーを一身に引き受けることによって、避雷針の下に身を隠している人たちが、安全になる。それと同じように、キリストの十字架は、神が、私たちのために設けた、罪の裁きを免れるための避雷針である、というふうに言うことができると思います。だれでも、この避雷針のもとに自分自身を隠すならば、その人は安全なんですね。神さまはこの罪の赦しを、キリストによって完成してくださった、と語ります。是非ですね、この、罪の赦しを、キリストにあって受け入れていただきたいな、というふうに思います。ありがとうございました。

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