新約聖書
そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。
(ヘブル2:17)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.699 2013年8月18日

「あわれみ深い正義の弁護者」

 おはようございます。高原剛一郎です!
カット

 しばらく前に、拉致問題の啓発ポスターが発表されました。右側に大きな文字で「拉致」とあり、左側には「必ず取り戻す」と書いてあります。そして真ん中には、俳優の津川雅彦さんが目力満点の表情で写っていました。このポスターが作られたのは、北朝鮮が拉致を認めて今年で10年目だからです。節目の年に国民的関心を呼び起こすために作られたんですね。ところで、拉致問題のポスターにどうして津川さんがモデルとして選ばれたんでしょう。実は、津川さんには、生後5か月の娘さんを誘拐されるという経験があったからです。男が家に侵入し、寝ている赤ん坊を盗み出し、自分のアパートに連れ去ったんですね。21時間後に赤ちゃんは解放され、子どもを取り戻すことが出来たのですが、その時の記憶が今も鮮明に残っていると言うんですね。だからこそ北朝鮮によって子供を拉致された方々のことは、とても他人事とは思えず、ボランティアでモデルを引き受けられたんだそうです。本来一緒に過ごしているはずの子供がいないということの痛みは何年たっても消えることがない、そのものです。人の子の親がそうであるとするなら、人間をお造りになった真の神様はそれ以上の熱い思いで神から離れた人間を思って探し求めておられるんですね。そして神から離れた人間を探し、呼びかけ、慈しみ、そして神のもとに連れ戻すために神は救い主を遣わして下さいました。この神からの捜索救助者こそはイエス・キリストなんです。聖書の中にこのキリストについて次のように紹介されています。

「そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。」

イエスがこの地に来られた理由

 ここに、神のひとり子が人間にまでなってくださった理由が二つ書かれてあります。
 第一に、憐れみ深い大祭司となるためです。では「憐み深い」とはどういうことでしょう。心の底から共感共鳴するっていうことです。今から10年ほど前、私はある若者たちの姿にそれを見せてもらったことがあります。ところで、若者の特徴、若さの特徴って何でしょう。本田宗一郎さんによると、「過去を持たないこと」だって言うんです。若さとは、過去のしがらみがない、こだわるべきものがまだ身についていない、だからこだわりのない新鮮な心で物事を見つめることが出来る、これが新製品開発のパワーになるって言うんですね。またある生理学者によると、若さとは「ドーパミンの分泌量が多いこと」だそうです。ドーパミンというのは別名「やる気ホルモン」だそうです。嬉しい、楽しい、わくわくするという、そういう肯定的な気持ちを生み出す神経伝達物質です。これが旺盛だとやってみよう、試してみよう、頑張ってみようって思うんですね。いわば前向きな行動を起こす原動力がドーパミンです。若い時にはこの分泌量が多いって言うんですね。
 またある作家によると、若さとはズバリ「勢い」だっていうんです。彼は131冊もの作品を書いた人なんですが1作目と131冊目を比べた時にどちらが良くできてるかと考えると、自分でも分からなくなるそうです。文章の構成や流れ、観察力、知識やテクニックはもちろん131冊目の方が優れているんです。しかし1冊目には131冊目にはないものがあるっていうんですね。それは若さゆえの勢いです。それはブレーキを踏まずにアクセルしか踏んでいないような本であったそうです。あっちこっちに独善があり、言い切りあり、正面突破の荒業が目につくのです。しかしその荒削りな勢いが、いい味を出してるって言うんですね。経験を積んでいろんなことが見えすぎてしまうと、つい考えすぎて思考が停止してしまうんです。若さとは、それとは違いまさに怖いもの知らずの勢いなんですね。

神のあわれみ深さとは

 10年ほど前、私は今のようにこの夏の間の暑い時、ある避暑地で聖書のセミナーに講師を務めたことがあります。最終日が終わった後、私はある青年のお見舞いに行くことになってました。彼は若くして血液のガンにかかっていたのです。そのことを聞きつけたセミナー参加者の若者たちが、是非一緒に連れて行って欲しいと言うんです。彼らはとっても陽気で、音楽が大好きで、冗談ばっかり言ってる、とってものりのいい人たちだったのですが、はじめのうちは楽しく過ごしたんですけど、正直言って私は途中から疲れだしたんです。思い込みが激しく、感情のアップダウンが大きく、言葉の端々に何とも言えない軽さが鼻について仕方がなかったんですね。しかし、どうしても一緒に行きたいというその彼らの熱意に根負けした私は条件を出しました。「病室でゴスペルを1曲歌ってくれるんだったら連れて行ってもいいよ」と応じたのです。
 さて病室に入ると、げっそり痩せた青年がベッドに横たわっていました。体には数本点滴用のチューブが入っています。本当に見るからにしんどそうです。私は、キリストが彼のことをどんなに深く愛しておられるか、そしてキリストの十字架の意味をお伝えしたのです。

私たちに罪の赦しをもたらすイエスの十字架

 その後で、十字架の上のキリストの苦しみは、私たちの代わりに罪の刑罰を受ける苦しみだったのだ、というゴスペルを歌ってもらったのです。あの青年たちに。いや正確に言うと歌ってもらおうとしたんです。ところがこの若者たちは、一番を歌うのが精一杯です。二番は涙でぐちゃぐちゃになって、ただただ嗚咽するだけなんです。一番肝心な時に歌えなくなってしまった彼らのことを、私は内心冷ややかな気持ちで見ていたのです。ところがベッドの上の青年が、私の袖を引っ張ってこう言ったんです。「今までいろんな人が見舞いに来てくれたけど、僕のために歌えなくなるほど泣いてくれたのはこの人たちが初めてです。僕の永遠を思った時に、こんなにも真剣に泣いてくれている人たちを見て、僕は本当に天国と地獄の存在を確信できるように思います。僕はキリストを信じます。」私はその言葉を聞いたときに本当に自分が恥ずかしくなりました。神さまは歌えなくなった彼らを、キリストの愛の伝達者として用いられたのです。なぜでしょうか。キリストも私たちの将来を心乱れるほどの激動を持ってご覧になっている方であるからです。憐み深いとはこういうことを言うんですね。

罪の赦しを確証させるイエスの復活

 第二に、キリストは忠実な大祭司となるために人となられたと言うのです。
 ところで大祭司というのはどんな役職なんでしょう。神の前に人を弁護してくださる方のことです。ところで無実の人を弁護する場合、弁護士の成すべきことは、無実を立証する動かぬ証拠を裁判官初め皆の前に突き付けることだと思います。では明らかに罪あるものを弁護する場合、弁護士のすることって何でしょう。この世の裁判の席における弁護の中には、黒を白と言いくるめることもあるでしょう。しかし神に対して忠実な大祭司は不正な弁護は許されないのです。神の正義を全うするということが、忠実であるということを意味するからです。神の正義を全うしながら同時に罪あるものを弁護する方法ってあるんでしょうか。一つだけあるんです。罪人の償いをすでに終わってるということを立証することです。罪人の罪の償いはキリストの十字架により既に完成しています。そしてこのキリストのよみがえりがその証拠です。
 どうぞあなたのために憐れみ深く、かつ忠実な大祭司となったキリストを信じ、永遠の命を持ってください。心からお勧めしたいと思います。

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