「確信して生きる人生」
今日は「確信して生きる人生」というタイトルでお話したいと思います。突然ですが、みなさん、ゾウとサメ、どちらが人類にとって危険な生き物だと思いますか。パオーンの象とシャーっクのサメです。深く考えずに答えると、まあどっちもどっちやけど、サメかな、という人が若干多いでしょうか。いやいや象は陸上動物だし、これも結構危険だよね、という人もいるでしょう。象はダンボの優しいイメージ、サメは映画ジョーズの危険なイメージもありますよね。
シカゴ大学経済学部のスティーブン・レヴィット教授は、この例話からリスク回避の考え方をその本の中で示しています。リスクを回避するにはデータが大事だっていうんですね。1995年からの継続した調査によるとサメに襲われて死んだ人は、年平均で6人、対して、象に襲われて死んだ人は、年平均200人だっていうんです。どっこいどっこいどころではなく、断然、象が危険な生き物というわけなんです。
私たちはこのように、データを収集し、分析し、確率を知ることによって、ローリスク、ハイリターン、すなわち成功を目指していると言えるでしょう。まあ、難しいことはわからなくても、私たちはみな少なからず確率を意識して生きています。
主婦の方は降水確率、大事ですよね。せっかく洗濯して、干して、また濡れたら、あの残念な気持ちは数値化できません。受験生なら自分の偏差値から合格率を、病人なら、手術の成功率を、科学者、スポーツマン、などなどみな確率を意識して、必要な対策を練り、対応していると言えるのではないでしょうか。
確率による確立、確信による確立
先日、アメリカの有名女優が乳がんリスク低減のために37歳の若さで乳腺摘出手術を受けたと報道されていました。彼女は乳がん発生のリスクが高い遺伝子を遺伝的に受け継いでいることが検査でわかったそうです。彼女のお母さんも46歳で乳がんになり、10年間の闘病生活の果て、56歳で亡くなったということもあり、彼女は摘出手術を決断したようです。この手術により87%の乳がん発生率が5%未満になったと言われていました。リスクの確率を下げ、成功する確率をあげることによって人生に確信を得て行くということは、人間にとって必要で、尊いことだと思います。でも、同時に、確率によって確信を得ていく人生は、どこまでいっても不安を払しょくできず、100%の確信にならないという問題もあると思います。不安はいつまでもつきまとってしまうんですよね。
聖書は、確率による確信の道とは別の確信の道を教えています。それは絶対的確信の道です。その確信を得ることができるために聖書が語っているどうしても知らなければならない情報を3つのポイントでお話しましょう。
まず、今日の聖書の箇所です。
「では、これらのことからどういえるでしょう。神が私たちの味方であるならだれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのためにご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方がどうして御子といっしょに全てのものを私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」
自存の神、依存の人
まず、1つめのポイントは、あなたを創った神がおられる、ということです。
聖書が語る神は、私たち日本人が考える神々ではありません。拝まれる必要も祀られる必要も、仕えられる必要もない「自存」の神です。自らで自らを存在せしめると書いて自存です。私たち人間は、依存の人です。依り頼む存在ですね。自存の神に依存する存在、それが人間、生かされている存在だというんです。
いやいや、俺は、神になんて依り頼んでない、俺は自分で生きているという人があるいはいるでしょう。しかし、少し考えてみて欲しいんです。俺は水なんて頼まない、空気になんて頼まない、重力なんて必要ない、と言ったところで、水があなたを、空気があなたを、光があなたを、重力があなたの命を保ち、支えている事実にはかわりありません。同じように、神になんて依存しない、見えない神に頼る、そんな奴は弱い奴だ、と多くの日本の方は言うのですが、その神にあなたは創られ、支えられ、生かされているというんです。空気、水、光、目に見えないこのようなものに依存して生きている私たちは、究極的には、この目に見えないものを創り、私たちを生かしてくださっている神に生かされている存在なのです。アメリカの空気、イスラムの太陽、中国の重力ということが愚かであるように、アメリカの神、イスラムの神、日本の神と考えるのは適切ではありません。私たち人間をお造りになった唯一の神がおられるのです。自存できる唯一の方に依存することは恥ずかしいこと、弱いことではありません。当然のことです。そしてその人こそ、確信を持って生きる人生を歩めるというのです。
どんなときでもあなたの側に立つ神
2つめに、神はあなたの味方である、ということです。
児童養護施設で育った女の子の手記を読みました。彼女は、3歳で生みの親に捨てられ、児童養護施設で5歳まで過ごし、その後、子ども求めたけれどもいなかった親切な40代の夫婦に引き取られて育ったのでした。そのお母さんが彼女にいつもかけていた言葉で、彼女が嫌な言葉があったそうです。それは、「お父さんとお母さんは、どんなことがあってもあなたの味方だからね」という言葉だそうです。
彼女は16歳になったとき、家を飛び出すのですが、その時、両親にこんなふうに手紙を書いたそうです。「お父さんとお母さんは偽善者です。幼稚園の読み聞かせのボランティアをしているのも、他の人のために一生懸命働いているのも、私を引き取ったのも、みんな周りの人から「良い人」と思われたいからでしょ!私はお父さんとお母さんの自己満足のための道具になるのはいや。今日からは一人で生きていきます。」この手紙を読んだお父さんとお母さんは大変悲しむんです。本当に彼女のことを思っているのに、彼女の味方なのに、それが伝わらない悲しさです。
みなさん、神はあなたの味方です。聖書は偽善の書ではありません。どんなにあなたのことを思っているか、神の思いが凝縮されている書物なんです。しかし、この女の子のゆがんだ心がご両親の愛を跳ね返してしまったように、私たち人間のゆがんだ心、これを聖書は罪と言っていますが、この罪のゆえにこの神の思いに気づけないでいるのが私たち人間なんです。
神の変わらない無限の愛
最後に3つめのポイントです。神はあなたを愛しておられる、ということです。この女の子は、ある男性と出会い、結婚することになりました。25歳になっていた彼女は、さすがに11年間も自分を養育してくれたこのご両親に報告しないわけにはいかないと思い、連絡を取ります。結婚式にはでなくていいからね、そんな風に言われたご両親は、婚約者の男性に頼み込んで手紙を託します。そして結婚式で手紙を読んでもらうんです。結婚式で読まれた手紙はこうでした。
「愛するはるちゃんへ。今日という素晴らしい日を喜んでいます。その場所に出席したかったけど、それはゆるされなかったので、手紙を託しました。あなたが16歳で家を出る前、私に聞いたことがありましたね。お母さんはどうしてジュエリーデザイナーを辞めたの?宝石、好きだったんでしょ?仕事、好きだったんでしょ。どうして辞めちゃったの?もったいなくなかったの?って。はるちゃん、私はジュエリーデザイナーの仕事を辞めて後悔したことは一度もありません。だって私を輝かせる唯一のジュエリーは、はるちゃん、あなただからです。あなたが輝いて生きることそれがお母さんにとってどんなに幸せなことか、お母さんはどんな宝石を身につけるより、あなたが幸せであることが幸せです。11年間、はるちゃんと一緒に生きることができたこと、感謝しています。今日、あなたは輝いていることでしょうね。はるちゃん、結婚、おめでとう!幸せになってね!」
この女の子は、やっと気付きました。自分を本当に愛してくれていたこのご両親の愛に。
みなさん、あなたをお造りになった方は、あなたを愛する愛のあまり、最も大切なひとり子を捨てました。しかも惜しまずに与えたと書いています。犠牲とすら思わずに与えたのです。この神をぜひお知りください。この神に信頼して歩む人生こそ、確信して生きる人生です。決してあなたを見捨てないだけでなく、味方であり、味方であるだけでなく、最大の犠牲を払っても惜しくないほど愛しており、あきらめずに今日もあなたを探しているお方です。この聖書が語る神、救い主イエス・キリストを信じてください。心からお勧めします。