新約聖書
しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。
(ヨハネ20:31)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.689 2013年6月9日

「契約を守り抜く創造主」

 おはようございます。高原剛一郎です!
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 さて、東京の青山とい所に本田の本社ビルがあります。ここのビルは創業者の本田宗一郎さんのアイデアで設計されたようですが、とっても変わっています。というのは、全フロアにベランダがついているのです。マンションにベランダがついているのはわかりますね。ところが、大企業のオフィスビルで洗濯を干すことはまずないことです。どうして、ベランダがついているのでしょう。大地震が来た時、歩行者にガラスの破片が上から落ちてこないようにするためです。万一、高層階のガラスが粉々に砕けても、下にいる人は安全なんだそうです。さすが世界に冠たる企業、発想が違いますね。有能な経営者は、万一に備えているのです。
 ならば、もし、この宇宙に神という絶対者がおられ、そして、この宇宙の最高経営者がおられるとするなら、そのお方は、人間のしでかす様々な失敗や問題に対して、なおさら備えをしてくださっていると考えられないでしょうか。聖書は人類を救済するために神が完全な準備をしてくださっていると語るのです。それは、イエスキリストという救い主の中にあります。ヨハネの福音書の終わりの方にこう書かれてあります。

「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」

 ここに聖書が書かれた目的が3つ書いてあります。

第一原因者である創造主

 第一に、神を信じるためです。聖書が語る神とは、いわゆる日本の神社仏閣の神々、神話の世界の物語の神ではありません。この世界の第一原因者、あなたの作り主、この世界の作者のことを神というのです、それは人類共通の神です。というのは、すべての人類の初めとなった2人の男女を想像された造物主であるからです。ですから、聖書の神は日本人の先祖の神です。日本列島を今の形に仕上げた神です。日本を愛する宇宙の創造主なんですね。
 先日、とある教会に行った折、皆さんと一緒にハイキングに出かけました。新緑の山には見事に花が咲き乱れ、見たことのない小鳥たちが囀っています。みんなでお弁当をひらげて讃美歌を歌っていますと、遠くの方から見ていた一人の女の子が近付いてくるんです。私の傍まで来てこう言ったんですね。「なんて綺麗なんでしょう。誰かにありがとう。」その一言は私にとって、とっても印象に残りました。「誰かにありがとう。」彼女はこの美しい花園を見て、こんなにもウキウキワクワクする世界があるという事を誰かにお礼を言いたくなったんですね。その誰かが、だれかわからないので、「誰かにありがとう」と言ったんですね。この美しい大自然をお造りになった、誰かを私は今日ご紹介したいのです。神です。この世界をお造りになった、第一原因者なる創造主がおられるんですね。

聖書に啓示されたイエスの働き

 第二に、イエスが神の子キリストであると信じるためなのです。この人となった方は神の一人子でした、神の子が神に対して私たちのためにしてくださったことを知り、信じるために聖書は書かれたというのです。いったい神の子イエスは何をしてくださったんでしょう。罪の許しと永遠の命を与えるために、あの十字架に架かって、死にながら祈ってくださったのです。父よ、彼らを許してくださいと、あなたを庇う祈りを十字架という極限の苦しみの中で、願って下さったのです。
 何千人もの子どもたちの臨終を看取った精神科ドクターにキューブラー・ロスという人がいました。彼女は3歳から癌に苦しんで、6年間も闘病生活を続けてきた9歳の男の子のことを本に書いています。その子は、最後に入院してきた時、すでに病気を受け入れ、死という現実を受け入れていたそうです。退院するその日、その少年は一緒に家まで来てほしいと懇願したんです。ドクター・ロスは車で彼の家まで行きました。すると少年は父親に向かって「僕の自転車に補助輪を付けて持ってきて」と頼んだのです。その自転車は3年間もガレージの壁に止めてあったのです。
 実は、彼には夢があったのですね。退院したら自転車に乗って近所を一周するという事です。ペダルを踏むのもやっとこさなのですが、彼はよろめきながら長い時間をかけて近所を1周して戻ってきました。少年は、父親に「弟が学校から帰ってきたら僕の部屋に呼んで」と頼みました。そして、少年はやってきた弟にこう言ったそうです。「君の誕生日のプレゼントとしてこの自転車をあげるよ。」なんでそんなことを言ったのでしょう。彼は自分が弟の誕生日まで、生きれないと知っていたからです。自分が生きているうちに自分の力を使い果たして、この自転車に乗ることで勇敢な兄の姿を弟に知っておいて欲しかったのです。そして、この自分の事をいつまでも覚えていてほしいと願ったようです。父親はこの少年の言うことを全部そのとおりにしてあげました。それが、息子のたっての願いであったからです。余命幾ばくもない我が子が渾身の力で何かを頼みこむとき、その願いを遮ることは親にはとてもできないのです。だから、その子の願いをみんな聞いてやったのです。
 ところで、神の子キリストは渾身の力を込めて神の前にあなたのことを願って下さった方です。父よどうぞ彼を許してくださいと、とりなし願って下さったのです。あなたの罪の償のすべてをキリストが果たす代わりにあなたを許してくださいと神に祈ってくださったのです。この方が、あなたの救い主なのです。

人間と契約を結ばれる神

 第三に、この方は信じる者に永遠の命を与えると約束した契約の神なのです。
 クリスチャン作家の三浦綾子さんは自分の書いた作品の登場人物の中で理想の男性が一人いるそうです。それは塩狩峠という小説に出てくる主人公、永野信夫の親友吉川修という男です。この二人が今の中学生ぐらいの時、女子トイレに幽霊が出るという噂が学校に出すんです。よーし、正体を確かめてやろうとクラス中の男子がその晩8時に桜の木の下に集合することになったのです。ところがその晩、大嵐になったんですね。永野少年はいったん外へ出ようとしましたが、お母さんが、「こんな嵐だからやめておきなさい」と止めるのです。これ幸いと家に戻った時、お父さんが聞くんです。「みんなとどんな約束をしたのかね。」「今晩8時に桜の木の下で集合です。」「そう約束したのに、君は止めるのかね。」そして、じーっと自分のことを見るんです。「約束したけど、嵐の中を行かなければならないほどの約束ではないんです。」するとお父さんは「守らなくてもいい約束って世の中にあるのかい。」永野少年は不承不承1キロ以上離れた学校まで、ずぶ濡れになって行ってみると案の定誰もいませんと思いきや、「誰だ」という声がします。ふと見ると吉川君なんですね。永野少年は「よくこんな雨の中来たなぁ」というと、「だって、約束だからな。」その約束という一言葉がずしりと重いものになったと書いてあります。

約束に忠実な方

 三浦さんはこのエピソードがとても好きだというんです。相手が誰だから来るというのではなく、約束だから来る。相手を見るのではなく約束に忠実になって守り抜く、そこにキリストの姿を二重写しに見ているからです。あなたがどんな人であっても、過去がどんなに醜くても、神は約束のゆえにあなたを許し、清め、受け入れてくださるのです。どうぞ、このキリストを信じ受け入れてください。心からお勧めします。

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