「買い戻しの神」
私は先日、筑波宇宙センター「JAXA」を見学しました。ここには日本が打ち上げたロケットや、人工衛星、国際宇宙ステーションの日本実験棟実物大模型などがあります。そして、職員の方がとても分かりやすく宇宙の不思議さを教えてくれるのです。特に興味深かったのは無重力の状態についてです。無重力の実験棟「きぼう」では、一人で野球が出来ると言うのです。つまり、ゆっくりとボールを投げた後で、素早く先回りして自分の投げたボールをバットで打ち返すことが出来たりするんです。また魔法のじゅうたんを本当に経験することが出来るんですね。つまり空間に置いたじゅうたんに座って、ゆっくり引っ張ってもらうと、空飛ぶじゅうたんに乗って進んで行くことが出来るって言うんです。私たちは日頃、重力のある世界で生活しているので、重力についてはほとんど意識したことがありません。そもそも重力というのは、宇宙が始まった時から存在する力なのですが、その存在に気付くのはニュートンが初めてだったんです。ニュートン以前にも重力はずっと働いていたのですが、人類の歴史の中でこの力に気付く人はそれまでいなかったのはなぜでしょう。それはあまりにも途切れなく常に存在していたので、かえって気が付かなかったのですね。しかし、無重力を経験した後で地球に戻ってきた宇宙飛行士たちは、この重力の存在と、そのありがたさに感動するんです。
聖書が語る創造主なる神の存在
私はこのことは神さまについても言えるのではないかなと思います。どうして人は神の存在になかなか気付けないのでしょうか。それは神がいないからなのではなく、あまりにも普遍的に、途切れなく、いつもいつも私たちを支え、生かし、そして取り巻いておられるからなのです。重力の存在を認めなくても重力の恩恵を受けることが出来ているように、神の存在を認めなくても、神は全ての人に日を昇らせ、雨を与え、命を支えていてくださるのです。この人間の作者にして、命の支え主のことを聖書は「創造主なる神」と呼ぶのです。この神の言葉、聖書の中から今日は「贖い」ということについてお話ししたいと思います。聖書はこう語っています。
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスの贖いによって、価なしに義と認められるのです。」
忘れ去られた存在価値
昔、アメリカである人が日用品をガレージに並べて安く売ってました。たまたまのぞいていたボブさんという人は、陳列されていた商品には興味がわかなかったのですが、ガレージの奥にある埃のかぶったバイクに目がとまったのです。それは動かなくなった大型バイク、ハーレーダビッドソンでした。修理するには古すぎるのでゴミの回収業者に三千円で引き取ってもらうことになっていたのです。ボブさんは三千円を払って、それを押して帰りました。そして分解修理に取り掛かり、交換部品を取り寄せるためにハーレーの工場に電話したんです。製造ナンバーを告げると、担当者が突然どういうわけか戸惑い、そして「後でこちらから掛け直すので、しばらく待っていてほしい」と言うのです。ボブさんはなかなかかかって来ない電話を前に、ひょっとしたら犯罪に巻き込まれてしまったのではないかと心配になってきます。
ようやく掛けてきたのはハーレー本社の重役でした。彼は言いました。「サドルシートをめくって何か文字が書いてないか確かめてほしい」と。ボブさんが見ると「ザ・キング」と書いてあるのです。すると重役は突然声をひそめてこう言ったんですね。「あなたの持っているハーレーを三千万円で売ってくれませんか。」彼は驚愕しながら、「少し考えさせて欲しい」と電話をいったん切ります。すると今度は別のところからまた電話が入ります。何とそのバイクを六千万円で売ってほしいというのです。ボブさんは聞きました。「スクラップ同然のこのおんぼろバイクに、どうしてそんな高値を付けるのですか」と。すると答えがありました。「あなたの持っているそのハーレーは、ロックスター、エルビス・プレスリーの愛車なんです。」実にこのポンコツこそは、プレスリーのファンが長年にわたって探し続けて来たお宝バイクだったと言うのです。そんなお宝がどうしてスクラップ寸前にまで落ちぶれてしまっていたのでしょう。持ち主の手を離れ、転売に転売を重ねていくうちに、誰のものだかすっかり忘れ去られ、次第に乱暴に扱われてゴミ同然の姿に成り果てていたのです。しかし、どんなに鉄くずのようになっていたとしても、ファンにとっては世界に一台きりの宝物です。なぜならそのバイクには偉大なるロックシンガーのサインが入っているからです。
人間が貶められた原因
最近、人間が物の様にひどい扱いをされる事件が横行しているように思うのです。親が子どもを殺し、子どもが親を殺し、人が人を裏切り、友が友を傷つけ、また本人が本人を見くびり、おとしめ、自分自身を粗末に扱ったりするのです。いったいどうして人格ある人間をぞんざいに扱うようになってしまったのでしょう。それは人、一人ひとりにこの宇宙の主権者、創造主なる神のサインが入っているということを忘れてしまっているからではありませんか。どんなに小さい人にも、どんなに弱い人にも、また何もできなくってしまった人にも、神は人格という神の似姿を埋め込んで私たち人間を造られたのです。神に似せて、神の形にかたどって作られているということこそが人間の尊厳の土台なのです。ところがこの神を否定してしまったということが、人間の否定につながってしまっているんですね。
代価をもって買い取られたあなたの命
持ち主の手から離れたハーレーの最後に行きつく先は、スクラップ化されゴミ処理されるということです。それと同じように、自分の造り主から離れた人間は、自ら尊厳を手放し、そして神の恵みの届かない死後の裁き、スクラップ廃棄ごみ処理場に落ちていくのです。しかしプレスリーの愛車であることを知ったファンたちは、三千万、六千万と莫大な代価で買い取ろうとしたように、神は私たちを永遠の地獄から買い取ってくださる方なのです。しかもその買い取り額は三千円万円でも六千万円でもありません。イエス・キリストの命によって神は私たちを買い取ってくださったのです。キリストは私たちの罪の償いを果たすために、あの十字架の上でご自分の命を投げ捨ててくださったのです。このように代価を払って買い戻すことを「贖い」と言うのです。神はあなたを、神の一人子、イエス・キリストの命で贖い取ってくださいました。どうぞこの造り主にして救い主、贖い主のもとにキリストによって立ち返ってください。心からお勧めしたいと思います。