「永遠の祝福をあなたに」
先日、ある方の御見舞いに行きました。彼は、心臓麻痺を起こし、心臓が停止してしまいました。 心臓が止まって脳に血液が流れなくなると、人間の脳は4~5分で回復不可能な障害を受けるといわれています。彼の場合は6分間停止してしまいました。命を落としても不思議ではない長さです。医者は脳に障害が残る可能性が高いと言っていました。ところが意識を取り戻し、後遺症も全くなく回復しつつあります。本当にうれしく、驚くべきことですが、考えてみれば私たちはいつもこのすごいことを経験しているのです。今、この瞬間にも…。
お風呂さんに、電気風呂というのがありますね。私はあれが苦手です。ピリッと来るのが気持ち悪いんです。でも心臓を動かしているのも電流なのです。電気風呂のようにピリッとは感じませんね。ほんのわずかな電流です。それも時間差で電流が送られてるので、うまく血を取り込んだり、送りだしたりすることができるのです。お母さんのお腹の中で最初の鼓動を打ったとき以来、動き続けています。地球の赤道1周が4万kmほどですが、その半分の2万kmもあるからだ中の血管の先の先まで血液を送り出すポンプです。心臓全体で260gほどですが、1回の鼓動で、260gの重りを35cmも持ち上げる仕事をするというのです。心臓を動かしたエネルギーは熱としても出ていきますが、無駄にはなりません。体を温めるのに使われます。こんなに精巧で、効率のよい機械を人間はまだ造ることはできません。たった一つの器官でもすごいですが、私たちの体全体を設計し、造られた方こそ、聖書が紹介している創造主なのです。
聖書に次のようにあります。
「私が見いだした次の事だけに目を留めよ。神は人を正しい者に造られたが、人は多くの理屈を捜し求めたのだ。」
創造主によって造られた人間のすばらしさ
第一に、神は私たちをすばらしいものとして造られたということです。
染めものをする職人の記事を読みました。京都で代々続く染物職人ですが、その人にはモットーがあります。それは「化学染料をやめて、植物だけで豊かな伝統の色を染めよう」というものです。どうしてそう思ったかと言うと、正倉院に1200年、時代を経ても色褪せない天然の染料で染められた織物があることを知っているからです。「100年たっても色褪せない写真」という宣伝文句のあるプリントもありますが、100年どころではありません。その10倍以上です。聖書が語る創造主は、このすばらしい天地万物を造られた方です。
この世界を造られた創造主について、ちょっと考えてみてください。「自然の染料ってすごいなあ、すばらしいなあ」と考える代わりに、「自然の染料を造ることのできる方はすごい方だなあ、すばしい方だなあ」と考えるのです。その染物職人はこのように言っています。「自然のものは都合のいいように曲げようと思っても曲がらない。尊重して接しないと、とんだしっぺ返しを受ける。謙虚に接しなければならない。」と。
自然同様、人間の肉体も素晴らしく造られていますが、その究極のすごさは目に見えないところにあります。それは人間に与えられた「霊」です。人間だけが霊的な存在であり、造られた神と交わり、神と共に歩むように造られたのです。それも、この霊は永遠に朽ち果てないものだとあります。1000年を超える保存性の高い染料を造ることができる方は、時間を超え、永遠に存在する「霊」を造ることができるのです。
創造主から離れてしまった人間
次に、人間は良いものとして造られましたが、悪くなってしまった、ということです。人間の様子を見るならば、「人間は神の失敗作品か」と思ってしまうことがよくあるでしょう。ボーイング787型の設計ミスが見つかったと新聞記事にありました。人間の場合は、神が設計ミスを犯したのではありません。この自然界では、設計ミスではないかというものより最初から完璧にできているものばかりなのです。人間の場合は、設計図が書きかえられたり、操作ミスでトラブルを生じてきたのです。人間は、神から与えられた自由意思を使って神から離れて行きました。神から離れている状態のことを聖書は「罪の状態」にある、と言います。そして、肉体の死だけでなく、霊的にも永遠の死を迎えなけらばならなくなりました。でも私たちの心は、知っているのです。良いものとして造られた時の残像のようなものを感じるのです。
私たちは自分の体では空を飛ぶことはできません。飛べる人はだれもいないのですから、どうして飛べないのだろう、て悩んだりすることはありません。飛べない理由を探ろうという気にもなれませんね。「飛べるようにはできていないから!」とあっさり片づけるでしょう。しかし、人間は死について考えてきました。みんな、例外なく死ぬのに…。自然なこととして受け止められないのです。「死ぬようになっているのだから」と片づけられないのです。そして、死後の世界を予想したり、物語を作ったり、永遠について考えます。そうです、私たちの内なる霊は知っているのです。永遠の世界があることを。「死」は人間にとって普通ではないことを。そして、この死の解決を意識、無意識に関わらず求めているのです。実はその解決は聖書に明確に示されています。
イエス・キリストが来られた理由
第三に、神は人間に「永遠のいのち」を与える方法としてイエス・キリストをこの地上に送ったということです。
医療技術は日進月歩です。冒頭でお話した一命を取り留めた彼は、その後、体に機械を埋め込みました。最近、公共施設や駅などでよく見かけるAEDという機械に似ています。日本語にして言うと自動体外式除細動器(じどうたいがいしきじょさいどうき)といいます。外部から電気ショックを与えて心臓の働きを戻そうとする機械です。彼が体内に埋め込んだのはその超小型版ですね。彼の心臓の動きを記憶しており、いつもチェックし、調子が悪くなったと判断したときには電気的なショックを内側から与えるのです。その技術には驚くばかりですが、70年前にはできなかったことです。
人間が永遠のいのちを得るための方法は、大昔から聖書の中に示され、今から2000年前にその方法がしっかりと確立されました。それは十字架にかけられた救い主イエスを信頼するということです。
罪の赦しと私たちを助ける聖霊
神が人間に永遠のいのちを与えようとしたとき、一番厄介だったのは「罪の問題」でした。神から離れ、不義と汚れでいっぱいになった人間が「永遠のいのち」を持つことはできないのです。そこで神は、人間の悪い部分を交換するのではなく、罪の体を総入れ替えすることにしました。イエスは十字架にかかり、私たちの罪の代わりに裁かれてくださいました。そして、三日目によみがえって新しいいのちの存在を示してくださったのです。その新しいいのちを、信じる私たちにも与えてくださるのです。また、神さまの霊と呼ばれている「聖霊」をプレゼントとして、私たちに内蔵してくださいます。私たちを内側から支え、助け、導いてくださるのです。手術をしなくてもいいのです。信じることによって与えられるものです。
ぜひ、みなさんもイエス・キリストを信じて、この方にある永遠のいのちをご自分のものにしてください。