新約聖書
けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
(ピリピ3:20)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.673 2013年2月17日

「天国に至る道、キリスト」

おはようございます。高原剛一郎です!

 私は先日、『レ・ミゼラブル』という映画を見に行きました。前評判が非常に高く、テレビのコマーシャルではタレントたちが声を上げて「良かった、良かった」と連発したからです。しかし、見てみると正直しんどい映画でした。と言うのは、全編ミュージカルだったんです。セリフというセリフが全部歌なんですね。それに私の知っている原作と違うではありませんか。なんだか損した気分で二時間半スクリーンを眺めていたのですが、ラスト五分で一気に感動してしまったのです。
 最後のシーンは主人公、ジャン・バルジャンが修道院で一人静かに息を引き取る場面です。そこへ、結婚式場から花嫁衣装の娘と花婿が駆けつけるんです。ジャン・バルジャンは幸せの絶頂にある二人の前で、究極の悲しみである死を迎えるのですが、映画では、体から抜けた彼の魂が隣の部屋に向かって歩いて行くんです。その扉の向こうに待っていたのは、おびただしい数の天国の住民たちなのです。彼らは見渡す限り砦となって、大きな旗を振り、勝利の歌を絶唱しています。そこにいるのは地上で報われなかった人、裏切られた人、踏みつけられた人たちです。彼らは歓喜の表情でいっぱいになりながら大歓声を上げているのです。

カット

 この世の中では努力が報われなかったり、正しいものが踏みにじられたり、悪が勝利者になったり、不公正が横行します。しかし、この世で全てが決まるのではありません。次の世界が確かに存在していて、そこでは正義と公正が完全に実現しているのです。見えている今の世界が、世界の全てではありません。これは物語で言うなら前書きの部分にすぎないのです。本編は人が死んだ次の世界にある、神の支配する天国があるのだ、というメッセージが最後の最後に押し出されて描かれているのを見た時、私は感動せずにはおれませんでした。そんな天国があるなら何としてもそこに行きたいと思います。

天国への道は用意されている

 しかし、そこに至る道はただ一つしかありません。イエス・キリストを救い主として信じる道、それなんです。なぜなら正義が支配する神の国に対して、私自身がそのままではふさわしくないからです。私たちは誰かに対しては被害者なのですが、別の誰かに対しては加害者でもあるのです。ことに神の前に弁解の余地のない罪人なのです。この罪人である私を赦し、天国の国籍を与えるためにキリストはこの世界に来てくださったのです。聖書はこう言っています。

「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。」 

 ここにキリストのしてくださる二つのことが書いてあるんですね。第一に、私たちに天国の国籍を与えてくださったという証言です。
 第二次世界大戦の末期、ハンガリーで迫害されているユダヤ人たちをナチスの手から救出するために、一人のスウェーデン人の外交官が活躍しました。ラウル・ワレンバーグという人です。彼は高校を首席で卒業する秀才でしたが、兵役をすますとアメリカのミシガン大学に留学します。その後、「世界中を見て来てほしい」と言うおじいさんの願いに答え、パレスチナに渡り、そこで貿易商をするのですが、彼がそこで見たのは、ナチスの迫害を逃れてヨーロッパを脱出してきたユダヤ人たちの姿でした。この出会いが彼の人生を決定付けてしまうのです。理不尽な殺戮を黙って見ていることはできない。何か行動を起こさなければならない。と腹を決めたワレンバーグは、ナチスが支配するヨーロッパに戻るのです。そしてスウェーデンの外交官の資格をもらってハンガリーに行きます。
 当時、ハンガリーは親ナチスの首相が権力をふるい、国内のユダヤ人を強制収容所に送り込んでいたからです。ワレンバーグはスウェーデン名義の保護証書を大量に印刷しました。そして、それをハンガリーのユダヤ人に配りまくったのです。死の収容所に向けてユダヤ人を満載した列車が動き出そうとするその時、彼は外交官特権でその列車をストップさせます。そして「この車両の中にスウェーデン保護証書を持つものがいるんだ!」と言い張り、死の列車からユダヤ人たちを引き抜いて、そしてたくさんのユダヤ人を救い出したのです。ところで彼は最後どうなったのでしょう。1945年1月、今度はナチスを追い払ってソ連軍がハンガリーにやってきたのです。彼はユダヤ人の保護のためにソ連軍と交渉することになりました。そのためソ連の司令部に呼び出されてそれに答えて入って行くのです。そして、これ以降彼の姿を見たものは誰もいないのです。

十字架の死と復活がもたらす救い

 現在のイスラエルはこのワレンバーグ氏に名誉国民の称号を与えました。なぜなら彼はユダヤ人たちを救出するために、自分の命を犠牲にしたからです。そのことを永久に忘れることがないようにするため、彼をイスラエル初の名誉市民としたのです。ワレンバーグは、命をかけてスウェーデンの国籍を提供したように、キリストは、ご自分の命で贖い取った天国の国籍を、あなたに今提供している方なのです。この国籍は受け取るすべての人に与えられるものです。ただあなたが受け取るだけで天国が与えられるために、キリストはあの十字架にかかって命を捨ててくださいました。そして三日目に死を突き破って復活されたのです。今も生きておられる救い主、それがイエス・キリストなのです。

イエス・キリストの再臨

 第二に、キリストは天からまたおいでになる方なのです。罪の刑罰から私たちを救い出してくださるだけではなく、滅びに向かっているこの世界そのものから私たちを救い出し、天国に迎えるために歴史の終わりに再び来られるのです。これをキリストの「再臨(さいりん)」と言うのです。再び臨むと書いて再臨って言うんです。この再臨はいつあるんでしょう。その日は誰も知りません。しかし、いつ来られても不思議ではないのです。今日来られてもおかしくないのです。キリストが来られたならば、クリスチャンたちは一瞬にして空中に引き上げられます。世界中のクリスチャンが忽然と姿を消すというのです。それは私が考え出した荒唐無稽なお話ではありません。永遠のベストセラー聖書の中にはっきりと書いてある神の約束なのです。人類はその瞬間に向かって刻一刻と近づいているのです。

機会を生かして祝福を選択する

 スマイリー・ブラントンという精神科医はこう言いました。「幸せになりたければ『あの時ああしてたらよかった』と言う代わりに、『この次はこうしよう』と言うことだ。」過ぎてしまったことをいつまでもくよくよしていても仕方がありませんね。今、目の前にある、やがてやって来る未来に目を向けて、そして自分の目の前にあるチャンスをつかむということが人生を祝福に至らせることなのだと言うのです。
 どうぞ、この今、目の前にあるこの救い主、イエス・キリストを心の中に迎え入れてください。心からお勧めしたいと思います。

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