新約聖書
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
(ローマ6:23)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.671 2013年2月3日

「エネルギー不滅の法則と永遠の命」

おはようございます。高原剛一郎です!

 先日私は、養蜂場を経営なさる方のお話をうかがいました。この方のお話によると、蜂蜜というのは腐らない唯一の食物だって言うんです。昔、エジプトのピラミッドを発掘したアメリカの考古学者に、セオドア・デービスという人がいました。彼は発掘中に約3300年前の蜂蜜の入ったビンを発見するんです。持ち帰って調べてみると、まったく変質していなかったって言うんですね。それだけではありません。蜂蜜は下痢と便秘の両方に効くって言うんです。普通は、下痢のときに便秘薬を飲んだり、便秘のときに下痢止めを飲んだら、えらいことになります。しかし蜂蜜は、その両方に効くって言うんです。というのは、下痢や便秘の原因となる腸内環境を整えるからだって言うんですね。さらに、食べて即エネルギーに変わる究極の疲労回復物質だって言うんですね。そして聖書は、神の言葉はこの蜂蜜のようなものなのだ、と語っているのです。聖書の言葉はいつまでも変わらず有効で、人を内側から整え、生きる力を与えるエネルギー源になるんだ、って言うんですね。

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 この聖書は、次のように語っています。

「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」

 今日も三つのポイントでお話ししましょう。

人間が抱えている罪の問題とは

 第一に、死の原因は罪である、と言うんです。人はなぜ死ぬんでしょう。罪の結果である、って言うんです。では罪とはいったい何でしょう。神との関係を切ることなのです。
 私は先日、世界一寒い村のビデオを見ました。それは、ロシアの北東部にあるサハ共和国オイミャコン村です。冬になると氷点下60度にまで下がるんですね。ここの生活は想像を絶するものがあります。まずトイレですが、まったく臭わないのです。というのは、排泄物は一瞬で凍りついてしまうために、空気中に臭いがただようヒマがないんですね。洗濯物はどうするんでしょう。外に干した瞬間にカチンコチンになるんです。衣類の水分はすべて氷になって、表面に霜の状態となって浮き出してきます。それでその霜を払い落とすと水分0で、乾いてしまうんですね。釣った魚はすぐに食べられます。マイナス50度だと、生きた魚も、10秒でそのまま石のように凍ってしまうのです。ガチガチに固まった魚をそのままスライスすると、新鮮なたんぱく質とビタミンを摂ることができるようです。
 さらに、交通事故がほとんどないって言うんですね。車が滑らないからです。普通、雪国ではスリップ事故が絶えません。車が滑るのは路面の氷が融けた水のせいなんです。しかし、マイナス30度を下回ると、氷はまったく融けなくなるんです。したがって滑らないんですね。不思議なことに、風邪やインフルエンザにかかる人もいません。あまりの寒さで、風邪のウイルスが生きていくことができないんです。ウイルスですら生存できない世界ですから、人間がここで生活していくってのは、もう、大変なことですね。

人間を生かす相互関係

 しかしこの村は過疎にならず、寿命も長く、さらに孤独死がないと言うのです。なぜでしょうか。あまりにも厳しい環境なので、互いにいつも気遣いあっているからだと言うのです。この村の人々は、互いにつながりあってるんですね。たといマイナス60度の世界でも、人間はつながる相手がいるなら、互いに助け合って生きていくことができるんです。もしこんな世界で隣人とまったくつながりを断たれたら、どうなるでしょう。一瞬にして死がやってくるのではないでしょうか。大切な存在と健全な関係を保っているなら、極寒の地でも住めば都となるのです。

創造主と関係を断ち切った人間

 しかし、温暖な環境の中で生活していても、誰とも健全な関係を結べないなら、その人は生きづらく、孤独で、行き詰ってしまうのではありませんか。そして、人間にとってもっとも大切な存在との断絶は、もっとも致命的なダメージをもたらすのではないでしょうか。もっとも大切な存在とは、あなたを造られた神です。あなたを人として創造し、使命と、目的と、それを果たすための能力を与えてくださった方です。人との関係を横のつながりとするなら、神との関係は縦のつながりと言うことができると思います。人間はこの縦の関係を断ち切って、自らを神のように考えて、自由気ままに生きています。このあり方を、聖書は罪と語るのです。そしてこの罪の究極の結末が、死と、死後に受ける裁きなのです。

死後の世界は実在するか

 ある方は、死後の世界とか、霊とか、魂というふうに言いますと、ナンセンスだ、バカバカしいと言われるでしょう。しかし、発明王エジソンはこのように言っているんです。

「私は死後の命の継続を信じています。そしてこの信仰は、単なる希望的観測ではありません。理性による、論理的結論です。この自然界においては、ロバート・マイケルのエネルギー不滅の法則が発見されて以来、いかなる状況の下にあっても、在るものが完全に無になることはないとわかっているからです。」

 少しわかりやすく解説しましょう。例えば木を燃やしたとき、それは灰になって、しまいに無くなってしまいますが、これはエネルギーの観点で見るなら消滅したのではなく、別のエネルギーに姿を変えたことに過ぎないのです。木が燃えてメラメラと炎が上がるとき、熱エネルギーと、光エネルギーと、パチパチと鳴る音エネルギーが発生します。灰だって、酸化した物質の姿なんですね。すべて、存在するものは、完全消滅するということがないのです。別の姿に置き換わるだけなんですね。これがエネルギー不滅の法則なんです。それで、エジソンは言うんです。とするならば、人が霊魂と名づけているこの驚くべきエネルギーだけが0になってしまう、などとどうして言うことができるだろうか、と。

神さまが用意してくださったプレゼント

 エジソンによるまでもなく、聖書は人のいのちの永遠について語っているのです。人の肉体も、魂も、永久に別の場所、別の姿で残り続けるのです。問題は、それがどこであるかということなのです。聖書は死後の世界について断言しています。永遠の天国と、永遠の地獄があるということを語っているのです。そして、どんな罪を持った人であっても、罪ゆるされて永遠のいのちを得ることができるために、キリストをこの世に遣わして下さったのだと言うのです。キリストはあなたのすべての罪を負って十字架にかかり、ご自分の命で、あなたの罪の償いをしてくださいました。そして、三日目に死を突き破って復活なさったのです。このキリストの中に、罪のゆるしも、永遠のいのちも、天国の国籍も、神の子の立場も、すべてが含まれているのです。そしてこれは、一方的なプレゼントなのです。

受け取らなければ自分のものにならない

 ところで、聖書によると、神はカラスをも養う方だと書いてあります。しかし、餌を巣に投げ込んだり、口の中に投げ込むことはなさらないのです。餌を用意するのは神ですが、それを受け取り、飲み込むのは、カラス本人のすることなんです。救いのプレゼントも、同じです。救いを準備するのは神ですが、受け取るのはあなたご自身なのです。どうぞあなたもこのキリストを、自分の救い主として受け取ってください。心からお勧めしたいと思います。

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