新約聖書
もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
(1コリント15:19,20)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.668 2013年1月13日

「死に対する完全解決」

おはようございます。高原剛一郎です!

 私は先日、冒険家三浦雄一郎さんのインタビューを読み、大変感銘を受けました。幼少期の彼は大変病弱で、幼稚園は体力がなくて中退、小学校4年生の時には結核から肋膜炎を患って、1年の半分も療養生活です。中学受験も病気がたたって失敗し小学生浪人になり、とにかく挫折に次ぐ挫折の連続だったそうです。ところが小学2年でスキーを覚えこれが楽しくて楽しくてやめられなくなります。大学はスキー場が近所にあるという理由で、北海道大学を受けます。数日前に札幌入りした彼は、受験前日まで、目の前にあるスキー場の誘惑に抗じきれずにさんざんスキーを滑りまくるんですが、不思議に合格したそうです。やがて32歳でイタリアのスキーキロメーターランセに参加し時速172キロの世界新記録をたたきだすのです。
 ちなみにこの前後に3回転倒したために、世界で最も速い速度で転倒して、無傷で生還したという新記録も樹立しているそうです。34歳で富士山を直滑降し、38歳ではエベレスト8000メートル地点から滑り降り、54歳までに世界7大大陸最高峰全部からスキーで滑り降りることに成功します。その彼が今年の5月80歳でエベレスト登頂を目指しているんですね。次から次へと、いろんな不可能に挑戦する姿は、見ている私たちを勇気づけてくれますが、私が特に感動したのは人生に対する彼の感覚でした。

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 51歳の時、彼は南極最高峰、ビンソンマシフをスキーで滑っていました。そのとき足元の雪が突然崩れだしたのです。雪崩ですね。時速300キロの雪崩に巻き込まれた人間なんて洗濯機の中のゴミみたいなもんだそうです。彼はもう助からない。助かるわけがない。もし、これで助かったらこんな贅沢な人生はない。ああ、贅沢なんだ。贅沢だ。と思いながら、全速力の新幹線のスピードで落下していったのです。しかし、気が付くと、途方もなく大きな雪山の上にポツンと自分が置かれているのでした。これは運でしかない。いや、運で生き延びたんじゃない。生かされてるんだ。神さまがお前もう一回人間やりなさい。とチャンスを下さっているような気がしてならなかったっていうんです。人生を振り返ってみたとき、どうしてあんなに病弱であった自分が今まで生きているんだろう。彼よりも強靭な体を持った名立たる冒険家たちがどんどんどんどん亡くなっていくのに、どうして自分は今の年齢まで生きているんだろう。これは何者かに生かされているのではないか、いや、そうであるの違いないと彼は語るのです。

最大の問題を解決してくださる真の神

 私たちは、エベレストや富士山からスキーで滑り落ちるようなことはしません。しかし、今までの人生の中で、絶体絶命から救われたとか、九死に一生を得たとか、一歩間違えば死んでいたという経験をなさった方は、多いのではないでしょうか。何が起こっても不思議ではない、この世の中で今生きて、そしてこの番組を聞いているのは誰かに生かされているからではないでしょうか。そのあなたを生かしているかたこそは、あなたを造られた方、あなたに命を与え、人生を与えた真の神なのです。そして、神さまはこの人生の中で経験する様々なピンチから、私たちを救って下さるだけではなく、人間にとって正真正銘の大ピンチ、死と死後の裁きから私たちを救うためにキリストを送ってくださった方なのです。

死の問題を取り扱う聖書

  聖書はこう語っています。

「 もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」

 イエス・キリストは死後三日目に復活することによって、死そのものを打ち破ってくださったのだというのです。聖書のメッセージはこのキリストの復活の事実にかかっているのですね。
 ところで、死というものに対して人がとる態度は次の三つぐらいあるんじゃないかなと思います。

厳然と存在する死の現実

 第一に、不吉なことなのでできるだけ考えないようにするということです。先日私は沖縄に行きました。するとあちこちにYナンバーの車が走っているのです。一般に、自動車のナンバープレートというのは、ひらがなと数字の組み合わせになっています。それで、Yナンバーは不思議でした。聞くと、駐留軍人の私有する車はYナンバーなんだそうです。ところで、一般車両のナンバープレートには使われない五十音があるのをご存知でしょうか。それは、「し」です。「し」はありません。「し」は事故死を連想させるためドライバーが喜ばないからです。日本の車のナンバープレートに「し」はありません。しかし、事故死の現実はあるんです。見ないように考えないようにしても消えないものが死なんですね。

死を先延ばしにする努力

 第二に、健康的な生活をして、長生きの記録を更新することです。これはある程度有効ですね。三浦雄一郎さんもトレーニングのおかげで大変若々しい80歳です。76歳の時、スキーのジャンプで失敗し、大たい骨の骨盤を四か所折って救急車で運ばれ、再起不能かと思われました。しかし、骨は全部手術なしでくっついたそうです。日頃のトレーニングの賜物ですね。骨のつき具合が中学生、高校生並みだったんですね。肉体の鍛錬はある程度アンチエイジングに有効なんです。しかし、どんなにトレーニングしても永遠の命には至りません。

創造主から発した死の解決方法

 第三は、神が下さる復活の命を受け取るということです。人は一度、死にます。しかしそれには理由があるんです。死の原因は、神に対して犯した罪の結果なのです。しかし、キリストはその罪の罰をあなたに代わって引き受けるためにあの十字架についてくださったのです。そして三日目に死を克服し、復活してくださったのです。
 私は中学生のころ、校舎が火事で燃え尽きるという事件を経験しました。出火した体育館は何もかも燃え尽きていました。バスケットボールもバレーボールも剣道の用具も柔道の畳も全く形がありません。ただ真っ黒の煤と灰だけが残ったんです。ところが唯一無傷で残っていたものがあったのです。それは、大きな花瓶でした。入学式や卒業式の時舞台の上にあって豪華な花を生ける花瓶です。他のものは何もかも火で焼きつくされているのにどうして花瓶だけは燃えてしまわなかったのでしょう。それは、花瓶が陶器であったからです。一度、火を潜って焼き固められた陶器は、次に火の中をとおっても、びくともしないものなのです。キリストは一度私たちのために神の裁きの火の中を潜ってくださった方です。したがってこのキリストの中に逃げ込むものは二度と裁かれることなく、滅びることなく、完全な罪の許しと永遠の命を受けることができるのです。そしてキリストを信じて亡くなった人は、キリストが再び来られるときに蘇らされて頂けるのです。
 どうぞあなたも死者の中から蘇られたイエスキリストをご自分の救い主として受け取ってください。心からお勧めしたいと思います。

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