新約聖書
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.664 2012年12月16日

「クリスマス~全能の神からのプレゼント」

おはようございます。高原剛一郎です!

 宝塚歌劇団の舞台裏には「ブス25箇条」という恐るべき張り紙が貼られているそうです。ブスとは何か。「笑顔がない」「お礼を言わない」「おいしいと言わない」「目が輝いてない」「精気がない」「いつも口がへの字にまがっている」「自信がない」「希望や信念がない」「自分がブスであることを知らない」「声が小さくいじけている」「自分が正しいと信じこんでいる」「愚痴をこぼす」「他人をうらむ」「責任転嫁がうまい」「いつも周囲が悪いと思っている」「他人に嫉妬する」「他人に尽くさない」「他人を信じない」。まあ並びに並んだブス25箇条の抜粋ですが、読んで分かるのは、顔の問題ではなく心と態度の問題だということです。なので筆頭に来るのは「笑顔がない」です。劇場に足を運ぶお客 さんはみんな笑顔になりたくてやって来るのに、出演者自身がブスっとしてたらダンスがどんなにきれいでも台無しです。笑顔こそが成長の第一歩なんだって言ってるんですね。

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 ところで努力して笑顔を作るということも大切なことですが、自然と笑顔になれたもっといいと思います。そのためには笑顔の理由を心の内側に持つことだと思うのです。笑顔になれる理由とは何でしょう。あなたは愛されているという事実を知ることなのです。この世をお造りになった神様は、あなたを心の底から本気で熱烈に愛しておられるのです。なぜなら聖書にこう書いてあるからです。

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

 このみことばの中にクリスマスメッセージのエッセンスが込められています。人となった神、イエス・キリストの到来目的が書いてあるからです。キリストは一体何のためにこの世に来られたのでしょう。信じる人が一人として滅びることなく永遠の命を持つために来られたのです。この滅びという言葉は、失われているという意味なんですね。それは神の元から離れているという意味なんです。
 先日私はとっても大事なものを亡くしました。運転免許証です。年齢証明のために財布から取り出そうとしたとき紛失していることに気付いたのです。何時間も探して探して探しまくったんですがないんです。ところで、ないっていうのは私の手元にないのであって、この地球上のどこかには今も存在しているんです。しかし持ち主の私の手にはないんですね。これを失われているというのです。あなたは今この世界に存在しておられます。しかしあなたをお造りになった真の神様の元からは離れているのです。したがって神の前には失われた存在なのです。自分の存在のルーツから離れ、神などいないかのような人生観で生きることを失われていると言います。そしてこの状態のことを聖書は罪と語るのです。

あなたを愛し、捜し求めておられる神

 ところで、誕生日に自分の部屋にバラの花束がいけてあるのを見たとします。もしそのバラの花束あなたご自身が買ったものであるなら美しいなあとは思いますが、それほど嬉しいなあとは思わないでしょう。しかしその花束が誰かからのプレゼントであるなら、同じ花束でも嬉しく感じるのではありませんか。自分を愛してくれる人の存在を知ることは人を元気にしますね。誰かの好意によって生かされてると分かると、その誰かに感謝したくなるのではありませんか。あなたを愛して生かしておられる神がおられるのです。
 私は、先日沖縄に行きましたが、格安航空会社を使ったので五千円で行けました。今までの三分の一の価格で旅行が出来てとっても嬉しく思いました。しかしこれが五千円ではなく、タダ乗りできたらもっと嬉しかったでしょう。ところで私たちは誰もが地球にタダ乗りしているのではありませんか。地球は太陽の周りを1年かけて飛び回っています。そして、それがために私たちは生きるに必要な適切な自然環境を受けているのです。あなたは生かされています。タダで沢山のものを受けています。あなたを喜んで生かしてくださっている方がおられます。それがあなたの造り主である神なのです。その方がイエス・キリストを遣わしてあなたを取り戻そうとしてくださっているんですね。
 私が小学生の頃、近所に三つ年上のハルちゃんというガキ大将がいました。彼は遊びのボスです。何をして遊ぶかはみんな彼が決めるんです。ある時かくれんぼをして遊ぶことになりました。ところが事件は起こりました。私のかくれ方が良かったのか、なかなか見つからなかったのですが、そのうちハルちゃんが言ったんです。「次の遊びにしよう。」かくれんぼとは見つけてもらう遊びです。まだ見つかってないのに、それをほったらかされて、次の遊びに去って行ったとき、見つけてくれる鬼を亡くした私は実にみじめでした。今更出ていくタイミングをなくし、自分という存在はいなくてもいいやつなんだと言われたような気がして、とても悲しかったことを思い出すのです。しかし、神は神の元から隠れ、失われているあなたのことを決してお忘れになってはいません。あなたを今もこの瞬間も探し求めておられる方なのです。

イエスこそ真の救い主

 第二に、人が滅びから救われるために必要な唯一のことは、この方、イエス・キリストを救い主として信じるっていうことです。私は、先日実話に基づく「アルゴ」という映画を見て大変感動しました。今から33年前、イランにあったアメリカ大使館は、イランの学生デモ隊に襲撃され、その職員たちは444日間にわたって人質になるのです。ところが6人だけが秘密の出口を通して外に出ることが出来、カナダ大使の公邸にかくまわれていたのです。このカナダ大使の家からアメリカにまで脱出させるためにCIAのエージェントが派遣されるのです。脱出プランはありもしないハリウッド映画のロケのメンバーとして出ていくというものなんですが、まあこの計画の中では大きな問題が一つありました。救出される人質たちがこのCIAのエージェントを信じられないんです。「任せてくれ」と言うエージェントに対して、「もし失敗したらどうなるんだ」と言ってなかなかうんと言わないんです。この計画の成否は救出のプロを信じてついて行くのか、何もしないでそのまま滅びるかのどっちかなんです。
 キリストは永遠の地獄からあなたを救うために来られた救い主です。この方の救いには間違いがありません。この方をぜひ信じていただきたいのです。信じるというのはこの方とつながるということなんですね。つながらなければこの方の救いが私たちのものにならないんです。

神からのプレゼントを拒まないで!

 第三に、このイエス・キリストは神があなたにお与えになったプレゼントなんです。戦後、吉田茂のブレーンに白洲次郎という快男児がいました。「我々は戦争には負けたが、奴隷になったのではない」と言って占領軍に対して、理にかなわないことについては一歩も引かない気骨の人でありました。あるとき彼は昭和天皇からマッカーサにクリスマスプレゼントを届けたのです。ところがマッカーサは言いました。「その辺に置いといてくれ。」その時白洲は激高したんですね。「仮にも天皇陛下のプレゼントをその辺に置いとけとは何事か!」と怒鳴り散らすや否や、彼はそのプレゼントを持ち帰ろうとしてマッカーサを慌てさせたという話が残っています。
 しかし、今日私が紹介しているプレゼントは天皇陛下のプレゼントではありません。神のプレゼントなのです。この宇宙の造り主からのプレゼントなのです。この偉大なプレゼントをどうかその辺に置いておかないでください。どうぞあなたの心の中に受け取っていただきたいのです。心からお勧めしたいと思います。

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