旧約聖書
地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。
(イザヤ45:22)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.659 2012年11月11日

「依存的人生からの解放」

おはようございます。高原剛一郎です!

 さて、現代人の健康を損ねる最大の要因はストレスだといわれていますね。ストレスというのは心と体に負荷がかかった状態のことです。人間関係や、仕事の忙しさ、健康の変化などもストレスの原因になるといわれています。

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 ところで先日アメリカミシガン大学のデビッド・ラインハルト教授のグループが性格とストレスの関係を調査したところ意外な結果が出たのでした。ナルシストの男性ほどストレス度が高いっていうんですね。実は、ストレスというのは、唾液に含まれるコルチゾールというホルモンの量で測ることができるんです。この実験の結果性格診断テストで、強い自己愛を持っている人はリラックスしているときでも、コルチゾール濃度が上がりっぱなしだということがわかったんです。ここでいうナルシストというのは一言で言うと自分自身にうっとりしている人です。自信家でうぬぼれや自己愛が強大で根拠のない自信にあふれている人です。自分に自信を持っている人はきっと生きていて楽しいだろうな、と思いきや。実は、内心においてはストレス度が高いというのはなぜでしょう。巨大な自意識を持っている人は自分の優位性が失われそうだと感じると、保身のために攻撃的になるからです。攻撃的な態度をとり続けていると、心臓の血管がストレスに反応しやすくなります。そしてこれは、高血圧の原因になるんですね。過剰なナルシストは自分で自分の寿命を縮めているんだというんですね。どうやら人は自分自身を美化して見つめていては不健康になるようです。では、人は誰を見上げればよいのでしょう。

 聖書にこう書いてあります。

 「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。」

 この言葉は、地の果てのすべての人間を造られた真の神さまの言葉です。聖書ははっきりと語ります。あなたを造られた作者がおられる。あなたは万物の創造主によって造られた最高傑作なのだ。あなたの命のルーツである方は、この神をおいて他にはいないのだと語るのです。この神を仰ぐことがあなたを救うのです。いったい、何から救うんでしょう。依存的人生から、自律的人生へと救ってくださるんです。依存的人生とは、他人に自分の幸、不幸を全面依存している人生です。他人によって人生の在り方を決定づけられているそんなありようのことをいうんですね。

故意に恐怖に近づこうとする厄介な病気

 ところで、世の中にはいろんなことに強力な不安をよびおこされる恐怖症というものがあります。高所恐怖症、閉所恐怖症、蜘蛛恐怖症、先端恐怖症、実にいろんなものが恐怖症の対象になりえるんですね。しかしわたしは、先日拮抗恐怖症というのを書物で知りました。これは実に天邪鬼な恐怖症なのです。つまり怖いものはたくさんあるけど、わざわざその怖いもののところにいってしまうという病気なんです。高いところが危険だと分かるとわざわざ登って行く。天候が悪くて、登山には向かない日だと分かると怖いけれども登らずにはおれなくなる。ホントは飛び降りるのは怖くて仕方がないのに、日本一の高さだと言われたら、バンジージャンプをしてしまう。オートバイを乗るときでも、わざと危険なコーナリングをしたり、事故すれすれの運転をせずにおれなくなる。それはどれもこれも、一歩間違えば、命を落としかねない程の危険行為なのです。しかし、それを止めることができない病気です。

周りの人々に依存してしまった人生

 ある男性がこの拮抗恐怖症にかかっていました。彼のあだ名はMrスタントマンです。プロのスタントマン顔負けの危険行為を次から次へとやってのけるからです。彼は、友人たちが集まると自分が今までこなしてきた数々の武勇伝を話し出します。みんなはそれを楽しみにしながら、笑いながら、ワクワクしながら、興奮しながら聞いているのでしたが、ところがある日のこと、その場に一人の臨床心理士の人がいたのです。彼女は言いまいた。「わたしは、あなたが大切な命を危険にさらしている話を聞いていて、とても笑うことはできません。」彼は不機嫌になって言いました。「別にいいでしょう。私が言いたくて言ってるんだ。人の勝手でしょう。」しかし、彼女はこたました。「ちょっと試してほしいことがあるんですが、目を閉じて、お父さん、お母さん、お祖父さん、お祖母さん、叔父さん、叔母さん、家族みんなが、一堂に集まっているところを思い浮かべてください。そして、その人たちに今話していた話をしてみてください。さあ、みんなの反応はどうですか。」しばらくたって、彼は言いました。「うーん、親父がちょっと興味を持っただけで、あとは全員無視しているな。俺が何を言ったってみんな無視しているよ。」「あなたは、幼いころから、無視されて育ってきたのではありませんか。」彼は言いました。「そうだ。俺は、家族にずっと無視されてきた。だからみんなの注目を浴びるためにいろんな怖いことをやってきたんだ。ああ、怖かった。あのバンジージャンプ、あの登山、あの単車。俺はなんて怖いことを次から次へとやってきたんだろ。」と、今になって急に怯えだしたというのです。
 実は彼は自分のやりたいことをやっていたのではないのです。人に見てもらうため、そしてその話を聞いた人たちから、すごいと言ってもらうため、自分という存在に一目置いてもらうためにやりたくないことを嫌々やっていたというのです。彼の人生を決めているのは、彼自身ではなく、驚いてくれる人の反応です。人が驚いてくれるかどうかで彼は今まで生きてきたというのです。これは、依存的な人生です。
 ここまで極端でなくても、他人に支配されている人はたくさんいると思うのです。「妻が俺を不愉快にした。」という人は妻がこの人の人生の御主人です。「子供が私を不安にする。落ち込ませる。」というのは子供にしがみついて、子どもを主なる神にしている人です。子ども次第で一日の気分が舞い上がったり、落ち込んだり振り回されるのです。

裏切らない創造主のみを仰いでいく人生

 ときどき、あの人が私を傷つけたからもう集会なんかに行かない。という方がいますが、それもそのあの人に傷つけられることをご本人が容認した結果なのです。どうして他人の反応によって、振り回されなければならないのでしょう。自分の人生の主を神ではなく、人間に仰いでいるからではありませんか。神未満のものを神として崇拝しているからではありませんか。そのことが人生を失わせている根本原因となってるのではないでしょうか。あなたがどんなに信頼しても、あなたを裏切らない方は、あなたの造り主である神だけです。そしてこの方は神から離れて神未満のものを偶像として仰ぐ私たちを救いだしてくださる方なのです。神様から離れた人生のありようを聖書は罪と語っています。この罪は人間を依存的人生に貶めていくのです。そして最後は永遠の命の源から切れた結果、永遠の死に至らしめるのです。しかし、神様はこの罪の結果から私たちを救うために身代りに罪を背負った救い主となってくださいました。この十字架に架かったキリストこそは私たちが仰ぐべき救い主なのです。
 どうぞあなたもこのキリストを信じ、罪の許しと永遠の命を受け取ってください。心からお勧めしたいと思います。

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