新約聖書
イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
(ヨハネ4:13-14)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.656 2012年10月21日

「キリストが与える水」

おはようございます。高原剛一郎です!

 今から、100年ほど前、地中海に面するアフリカ大陸は、フランスの植民地でした。そしてその大部分はサハラ砂漠でした。ここは、世界最大の砂漠です。アフリカ大陸の三分の一がサハラ砂漠なんですね。ちなみにサハラとは、砂漠という意味です。当時の飛行機は性能が悪くて、フランスの飛行機はよくサハラ砂漠に不時着したようです。そしてそこでたくさんのパイロットが命を落としたんです。現地の遊牧民たちに何と殺されたというんですね。その遊牧民たちはヨーロッパの文明をけがれたものとして軽蔑していたのです。そこでフランス政府は現地のリーダーをフランスに招いて先進的な文明を見学させることにしました。宮殿を見せ、近代的工場を紹介し、夜はナイトクラブまで案内したんです。ところが現地の族長たちは全く感動しませんでした。

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 しかし、ただ一つ彼らが言葉を失うほどに感動したものがフランスにあったんです。それは滝です。国立公園に流れ落ちる滝を見たとき、彼らはただただ呆然として、何時間もその場所を離れようとしませんでした。水のない砂漠で生きる彼らにとって真っ白の水飛沫を上げて、流れ落ちる真水のうねりは本当に奇跡に見えたんですね。案内人のフランス人が「そろそろ帰りましょう。」と促した時、族長は言ったそうです。「見届けてから行きます。」「何を見届けるんですか。」と言うと、「滝の水が尽き果てるのをです。」なんと族長はこの滝が間もなく枯れてしまうに違いないと思って見ていたんですね。これは、中東アフリカ地方の水に対する感覚です。日本の年間降水量は世界平均の2倍ですから、私たちにはこのような水に対する渇望がなかなかぴんと来ないかもしれません。しかし、聖書が書かれたイスラエルもこの中東の真ん中にある国なんですね。
 今日は水にちなんだイエス・キリストの言葉を紹介いたしましょう。あるときキリストはこう言われました。

「この水を飲むものはだれでもまた渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して乾くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」

ここで、イエス・キリストは私たちに提供する賜物を水になぞらえて語っておられるのです。いったいどんな水をキリストは与えようというのでしょう。三つのポイントで紹介いたします。

人間の罪を清める水

 第一に、いかなる罪の汚れをも洗い流す赦しとしての水を与えてくださるのです。水の使い道で代表的なものは洗濯やお風呂や水洗トイレに使う水なんですね。日本人が使う水は、毎日300リットルから400リットルだそうですが、そのうちの150リットルは風呂と洗濯とトイレに使っているそうです。水とは汚いもの、汚れたものを拭い去ってくれるものなんですね。  私は先日、徳島県の鳴門山上病院の研究レポートを読み、感心いたしました。実はこの病院では、全国に先駆けて、化粧療法を取り入れたことで知られています。長い施設での生活ですっかり認知症が進んだお年寄りに小ぎれいな化粧を施すんですね。この病院ではその前後でどんな変化が起こるのかということを調べたんです。すると90%の方の表情がとても明るくなりました。35%の方々は身だしなみに気を使うようになりました。28%の方々は自力でトイレに行こうと努力し、おむつがとれたのです。そして25%の方々は精神的に安定しはじめたというのです。顔についたシミやしわがきれいに隠され、鏡に映る自分が元気でいたころの自分に戻る姿を見た方々は一様に前向きになっていったというんですね。服の汚れや体のシミがすっかり消え去り、新しくなることが心をこれほどにも元気にするんです。ましてや心の中の汚れや過去の失敗、人生における過ち、神と人に対する罪が全く跡形もなく拭い去られたなら、どんなに人を元気にするのではないでしょうか。キリストは私たちの罪を完全に拭い去るために十字架にかかってくださったのです。そしてキリストの身代わりの死と復活が、私たちの罪を完ぺきに清めるのです。

永遠のいのちという水

 第二に、キリストはご自分を信頼するものに永遠の命という水を与えてくださるのです。人間の体は60%が水なんですね。生まれたての赤ちゃんは80%です。人は老いるに従って、水分が抜けていくんですね。ところで体のどこに水があるんでしょう。血液は、この60%のうち、わずか15%だそうです。残りの55%は細胞一つ一つに蓄えられている水分なんです。たとえば脳は80%が水なんです。また、人が見るために使っている眼球の網膜は92%が水でできています。つまり人は水に映像を映して物を見ているというのです。水こそが人間の命を保つための材料なんです。しかしわたしたちが飲んでいる水は飲んでも飲んでもまた乾きます。また、飲み続けていてもいつか人は死んでしまうのです。しかし、キリストが与える水は永遠に尽きることのない命なのです。死から蘇られたキリストは今瀕死の状態にある人にもただちに永遠の命を与えることがおできになるのです。この永遠の命とは、天国に入ることのできる命です。天国を喜び、神を喜び神さまの子とされる命です。そしてキリストが再び来られるときに私たちの体を新しくよみがえさせる命なのです。

信仰者に与えられる聖霊とは

 第三に、キリストがお与えになる命とは聖霊のことです。聖霊とは神の霊の事なんですね。誰でもキリストを信じる人には神が神の霊を授けてくださるというのです。
 私は先日、筑波大学の山海教授のグループが開発したHALというスーツ型ロボットの映像を見て、大変感動いたしました。このロボットは人間が文字どうり着用するロボットなのです。あえて言うなら、機動戦士ガンダムに登場するモビルスーツみたいなもんです。服のようにこのロボットを着こむんですね。すると人体とロボットパワーが合体して、通常では持ち上げることができないものを軽々と持ち上げたり、重い荷物を背負ったまま、軽々と運動することができるんです。いったいどうやって動かすのでしょう。なんと本人の脳でロボットを動かすんです。実は人間の脳は、筋肉や骨を動かそうとするとき、神経に微弱電流を送っています。そのわずかな電流を皮膚の上から取り出してロボットに伝えるんですね。ロボットは筋肉の動きに合わせてそれをサポートするように動きます。つまり、本人の意のままに動くロボットなんです。したがって、本人が全く動く意思を持たないとスーツロボットも全く作動しないんです。ロボットだけでは何にも出来ないんです。この人とロボットが一つの体のように合体し、協力しあって作動するのがスーツ型ロボットHALなんです。
 これは神が下さる聖霊とよく似ていると思うのです。聖霊はその人の内側に住んで、その人と協力しながら、自分の力だけではできない生き方を可能にしてくださるのです。キリストの与える水は、罪を清め、永遠の命を与え、聖霊による力ある人生に人を歩ませる生ける水なんです。
 どうぞあなたもこのキリストを救い主として信じ、命の水を受け取ってください。心からお勧めしたいと思います。

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