新約聖書
キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。
(ピリピ3:21)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.651 2012年9月16日

「世界を一新する再臨のキリスト」

おはようございます。高原剛一郎です!

 今から四十年程前、日本航空の旅客機が赤軍派というテロリストに乗っ取られるという事件がありました。世にいう、よど号事件です。日本で最初のハイジャック事件です。犯人たちは、乗客を人質にとって日本を脱出し、あろうことか、北朝鮮に亡命したのです。どうして、父母の国、自分が育った国を捨てて、北朝鮮に亡命したのでしょう。彼らにとって北朝鮮こそは、世界一自由な国と思われたからです。しかし、あの国に着いてからの彼らの生活は悲惨でした。恐るべき洗脳教育と、犯罪を強制され、思っていた理想とは程遠い最悪の現実が待っていたからです。彼らの多くはすでに亡くなっていますが、今も四人の犯人たちが、北朝鮮で暮らしています。

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 この四人が人質にとった乗客の一人に手紙を書きました。その乗客とは、聖路加病院長の日野原重明さんという方です。いったいなんと書いてきたんでしょう。「百歳の誕生おめでとうございます。」という手紙です。と同時に謝罪の言葉が添えられた手紙であったのです。彼らは自由を求めて、亡命しましたが、亡命先で一層の不自由を経験し、かつて自分たちがしでかしたことを謝っているのです。しかし、いまさら出ていくこともできずにいるのです。

 私はそのニュースを読みながら、聖書の語る人類歴史を思わずにはおれませんでした。人は神から離れたところにこそ、自由があると思い込み神から離れ、神なき世界に亡命したようなものです。しかし神から離れた結果、人間は本当の自由を味わうどころか、一層みじめな罪の奴隷に成り下がってしまったのです。

創造主から離れてもたらされた悲惨な結果

 ところで、聖書の語る神とは、この世界をお造りになった作者なる方です。人間が作った神ではありません。人間を造った神、宇宙をお造りになった神、万物を造った第一原因者を、創造主、神と呼んでいるのです。ところが、この世界を見渡すと神が造られたわれにはひどいことが横行しすぎているようにも見えて仕方がないのです。賢い神様がお造りになったのにどうしてこの世界には破壊があり、悲惨があり、虐めがあり、天変地異があるのでしょう。聖書はいいます。それは神を捨てて離れた罪の結果神の作品は本来の輝きを失い、壊れた反応しかできなくなったのだと語るのです。

素晴らしかったものが欠陥商品に

 ところで、不況といわれる日本でも、爆発的に売れている製品があるんですね。スマートフォンです。これは、ポケットサイズのパソコンといっていいでしょう。実に様々な機能を付加することができます。あるスマートフォンなど放射線を測定できる機能までついているんですね。ところで、いろんなことができるスマートフォンには一つ弱点があります。それは、電池がすぐになくなってしまうということです。そこで、電池の寿命を二倍に延ばすソフトが出回るようになりました。
 ところが、最近大変なことが分かったのです。 実は電池のもちを二倍にするこのソフトは偽ソフトでいったんダウンロードしてしまうと、スマートフォンの電話帳情報を抜き取ってしまうものであるということが分かったのです。いったい誰がこんな偽ソフトをばらまいたんでしょう。出会い系サイトを運営するグループです。彼らは人々をいかがわしい不品行に引っ張り込むために、直接メールをする相手を探して、個人情報を盗み出していたというのです。スマートフォンそのものは、とても優れた製品です。しかし、そこに悪質なソフトが入り込んでしまうことによって、本来の素晴らしい製品が情報漏えいの欠陥製品になってしまうのです。

キリストがこの地上に来られた理由

 これは、人間についてもいえることだと思います。神様は人間をこの上もなく素晴らしい最高傑作に作られました。しかし、最初の人間が作者に反逆したために人間の中に罪という非常に悪質な醜悪なものが入り込んで人間を支配するようになってしまったのです。罪がもたらした被害は人間だけではありません。自然界全体にまでその悪影響が及んだのです。この罪によって壊れた人間と世界を修理し、新しくつくり直し、本物の祝福に満ちた人と世界に変えるためにキリストが来てくださったのです。キリストは人間の罪を取り除くために、ご自身の身に人の罪を全部背負ってあの十字架の上で、神からの裁きを引き受けてくださった方です。そして、三日目に復活して後、四十日間にわたって、弟子たちに姿を現し、その後、エルサレムの東にあるオリーブ山から天に帰っていったといいます。しかし、天に行ったきりではありません。また、来られるのです。
 聖書の中に次のような言葉があります。

「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから、主イエスキリストが救い主としておいでになるのを私たちは待ち望んでいます。キリストは万物をご自身に従わせることのできる御力を持って私たちのいやしい体をご自身の栄光の体と同じ姿に変えてくださるのです。」

 ここにはキリストが天国からまた再び到来し、まずキリストを信じる者の体を死なない、疲れない、老いのない、病まない、罪を犯さない、栄光の体に変えてくださるというのです。なぜそのような体になさるのでしょう。天国には天国にふさわしい体が必要であるからです。
 ある方は天国なんて信じられないとおっしゃるでしょう。その理由は、行って見てきた人がないからだというのです。しかし、行って見てきた方が、いたらどうなさいますか。キリストは十字架で死なれた後、三日目に復活して死後の世界を説明なさったのです。天国もある。地獄もあるということを弟子たちに語られました。それをじかに聞いた弟子たちが聖書を書き残したのです。問題はこの弟子たちの証言を真に受けてよいかどうかだと思います。昔の神話や物語として聞き流してもよいのか、それとも事実として額面通りに受け入れるべきであるのかどうかです。わたしは、弟子たちの証言は事実として受け入れるに足るものだと考えています。嘘や方便なんかではなく、文字どおり真実な証言として聞くべきだと考えています。

命をかけても惜しくはない真実をあなたに

 その理由はキリストの復活を伝えた弟子たちが自分の語った証言に命を懸けたからです。彼らはキリストの復活を伝えたがために、迫害され、拷問を受け、辱められ、そして命までも取られていったのです。人間は嘘のために命を懸けることはできません。いや、真実のためにですら、命を懸けることは滅多なことではできません。しかし、弟子たちは大迫害の中で殉教しながら、キリストの復活を述べ伝えたのです。これは信用できる証言です。復活が信用できるなら、復活のキリストが語った天国も、また、事実として信用できる認めることができるメッセージなのです。
 どうぞ、あなたもこのキリストを信じ、永遠の天国に入る備えをなさってください。心から、お勧めしたいと思います。

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