新約聖書
「すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、『子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。』と言われた。」
(マタイ9:2)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.643 2012年7月22日

「赦しがもたらす力」

おはようございます。高原剛一郎です!

 先日私は、地域医療のスペシャリストとして全国的に注目されている中村伸一さんという方の番組を見ました。中村さんは、福井県の名田庄地区というへき地で20年間診療所の医師をしている方です。人口3000人の三割が65歳以上という高齢者のこの村では、毎日毎日ひっきりなしにありとあらゆる病人が担ぎこまれます。ふつう診療所では、基本的な病気以外は総合病院を紹介します。そのほうがより専門性の高いお医者さんに診てもらうことができるからです。

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 ところが中村さんは、内科や外科はもちろんのこと、皮膚科、消化器科、整形外科、心療内科、アレルギー科まで自分でこなします。内視鏡やエコーを駆使してガンを見つけ、初期なら切除手術までも行ってしまいます。そして全国に先駆け、病気になっても入院せず自宅で暮らし続けることができるよう医療サポート体制を作り上げ、この結果この村では自宅で最期を迎える人の割合が4割にものぼるんです。これは全国平均の3倍なんですね。

 ところで中村さんは、初めからこの山村で一生を終えるつもりでいたわけではありませんでした。彼は難しい手術をブラックジャックの如くこなす外科医を目指していたのです。彼が出た自治医科大学には、医師になってから一定期間地方の病院に勤務するという義務があります。それで福井県の名田庄村に赴任したのです。診療所で経験をつんで三年、そろそろ都会の大病院に移って外科医への道を歩もうかと思っていたとき、夜遅くに一本の電話がかかってきたそうです。「先生、うちの親戚の女の人が、気分が悪くなって吐きました。こんなに夜遅くで悪いんですけど、往診してもらえませんか」患者さんは61歳の女性でした。京都から長時間車を運転して村まで来た後休む間もなく食事をし、ビールを飲んだといいます。しばらくして気分が悪くなりもどしました。肩もこっていると女性は訴えました。普通に考えたら長時間運転で肩がこって、疲れもあって、酔いも回りそして吐いたというところでしょう。しかし最悪を考えたら、くも膜下出血もありえる。そうであれば命に関わってきますが、その場合は普通激しい頭痛が起こるはずです。中村さんは肩に痛み止めを打ち、アルコールの濃度を下げる点滴を施しました。すると女性は「すっかり楽になった!」と笑顔でお礼を言うのです。あぁ、大したことは無いと思って自宅へ戻ったのです。

絶望の後にきた慰め

 しかし、深夜に再び電話が鳴りました。「先生、あかん!様子がおかしい!」あわてて駆けつけてみると、女性は意識が朦朧としています。救急車で病院に搬送してCTを撮ると、結果はくも膜下出血。そのとき中村さんは体中から血の気が引いていくのを感じたといいます。患者さんの命はどうなるんだろう。また、たとえ一命を取りとめても大きな後遺症が残るかもしれない。しかも原因は自分の誤診にある。訴訟問題になって話がこじれて、患者さんもだめになる、自分もだめになる、両方ともだめになる、私は責任を取って辞めなければならない…。
 そんな絶望的な気持ちで自宅に戻ろうとしたとき、往診を頼んできた親戚の男性が村まで戻るので送りますと申し出たのです。帰りの車の中で中村さんはひたすら自分の誤診を詫びました。どれだけ責められても仕方が無い、全ての責任は自分にあるということです。そのとき、予想だにしなかった言葉をかけられます。「間違いは誰にでもある。お互い様や。」中村さんはただただ驚いたのでした。親戚が死ぬかもしれない状態で、お互い様や、という赦しの言葉に驚き、そこにこれからの自分に対する期待を感じたのです。そしてそういう人たちのいるこの地域の風土に驚き、そして人生を決める決断を下したのです。ここに残って地域診療に貢献しよう…。

人を立たせる力…赦し

   私はその体験談を聞きながら、「赦し」が人に与える力を考えたのです。無条件のゆるしはゆるしを必要としている人に平安を与え、勇気を与え、将来を与え、そして生きる感動を与えるのです。  さて、聖書の中に、不治の病で伏せっている人物に対してキリストが語った言葉が記録されています。イエスはこのようにおっしゃったのです。

「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」

 この短い宣言の中に、3つの重要なポイントが含まれています。

聖書が語る人間の姿

 第一に、人は赦されなければならない罪人であるということです。誤った診断をした中村さんは重い責任を感じました。間違った判断を罪と考えたからです。この考え方は聖書に近い考えです。というのは聖書で語られている罪とは、的をはずした考え、誤った考えに基づいて生きることを指すからです。そして人が犯す最も基本的な誤解は、神などいない、自分の創造主など存在しないと考えて、自分の人生は自分のものであるかのように生きることなのです。もし借金が山のようにあるのに借金など無いかのように生活していたら、その人の将来に待ち受けているのは破綻です。妻という伴侶があるのに無いかのように振舞って他の女性と結婚したら、重婚罪です。有るものを無いもののように考えて生きるのは的を外した生き方ですね。そして最も基本的な過ちは、神なんかいないと考えて生きることなのです。人は創造主を無視してあたかも自らが自らの人生の王様であるかのように振舞って生きるのです。そしてこれがあらゆる破壊と悲惨の原因なのだと聖書は語るのです。 

創造主からの励ましのことば

 第二に「しっかりしなさい」という呼びかけです。この原文の意味は、「勇気を持ちなさい」「勇気を出しなさい」「大胆でありなさい」という意味なのです。実は、罪こそは人間から勇気を失わせる原因なのです。心にやましいものがある人は、勇敢に生きていくことはできません。その人の心自身がその人を罰するので勇敢であろうとしても内側から崩れていってしまうのです。しかし、完全なる罪の赦しは人に望みを与えます。あなたの過去のいかなる罪も、どんなにひどい咎も、どんなに恥ずかしいことも、神は赦すことがおできになるのです。この罪の赦しのために、神は救い主イエス・キリストをこの世に送ってくださったのです。

神に見守られている人間

 第三に「子よ」という呼びかけです。ここには人間をわが子のように見つめる親の視点があります。また子供に対して宣言をもって命じられる、権威ある親の態度があります。実に私たちの創り主である神様は人をわが子のように愛してくださる方なのです。同時に罪を赦す権威をお持ちの方なのです。キリストは人間をむしばんでいく罪を取り除くために、あの十字架の上で私たちの罪を背負って、身代わりに罪の裁きを受けてくださった、救い主なのです。だからこそ、罪の赦しを宣告することができる方なのです。この方は死後三日目によみがえり、ご自身が救い主であることを立証なさいました。
 どうぞ、あなたに完全なる罪の赦しを与えるキリストを信じてください。心からお勧めしたいと思います。

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