新約聖書
「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」
(1テモテ1:15)

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「聖書と福音」高原剛一郎

No.632 2012年5月6日

「イエス・キリストに見る神の愛」

おはようございます。高原剛一郎です!

 さて、今年2012年は世界的に選挙の年です。大きな国のトップを決める選挙が集中する年なんですね。3月には、ロシアのプーチンという人物が4年ぶりに大統領に返り咲きました。実はこの人は、KGB(カーゲーベー)というソ連時代の秘密警察出身の方です。何かと暗いうわさが絶えない人物です。2004年の大統領選挙のときには再選が確実視されていたプーチン氏ですが、そのとき対抗馬と見られていたルイプキンという人が選挙の真っ最中に突然行方不明になってしまうのです。数日後、ルイプキン氏はウクライナのキエフというところで発見されます。なんと、彼はロシアで薬を飲まされ誘拐されていたのです。政府系のメディアはルイプキンの自作自演だと決め付けましたが、反政府系の新聞には秘密警察から電話が入っていました。「もしルイプキンがテレビ討論会でプーチンに不利な情報公開をするなら、またテロ事件を起こしますよと彼に伝えておいて下さい」これは「ロシアン・ダイアリー」という本に出てくる実話です。実はこの本を書いたアンナ・ポリトコフスカヤという方は、プーチン政権の人権弾圧を告発してきた女性ジャーナリストです。彼女自身、毒を盛られて意識不明になったことがありました。それでも勇敢に取材を続けてきた人です。しかし彼女は2006年の10月7日、自宅マンションのエレベーターの中で銃撃され、48歳の生涯を終えたのです。そしてこの10月7日はプーチン大統領の誕生日なのです。彼が大統領の椅子に座った2000年から今までに20人近いジャーナリストが暗殺されています。げに恐るべき人物です。


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 ところで、たった4年間の大統領ポストを確保するために、権力者の味を知った人間は持てる権力・腕力を総動員するんですね。4年間の政治生命を延長するためだったら、他の人の人権を蹂躙することなどなんとも思わないというのは、特別にひどい人間がすることなんでしょうか。いや、人間だったら誰もが持っている性質ではないかとも思うのです。

人間の本質と神のご性質

 たとえば、もし命が金で買えるとします。10万円で1年間寿命が延びるという商品があったとします。しかも売切れしだい店じまいになるとします。いったいどんなことが起こるでしょう。おそらく発売日の何週間も前から徹夜組が並ぶでしょう。でも健康な人たちばっかりです。みなとるものもとりあえず銀行から全額を下ろして並ぶでしょう。しかし、まじめに並んでも手に入らないかもしれないと恐れる人々は金の力で前列の人を買収するでしょう。いや、力の強い人、権力のある人、腕力のある人はその力をふるって弱い人々を追い払うのではありませんか。命を巡って血みどろの戦いを始めるようになるのではありませんか。もし人間の力で命や寿命が何とかなるものになるなら、人間は命を巡っていっそう醜い、むごたらしい、えげつない行動に走るんではないでしょうか。だからこそ命は人の手によらず、神の手の中に握られているのではないかと思うのです。そして人間の肉体に無償で命を与えた神は、人間に永遠の命をただで与えてくださる方なのです。
 聖書の中に、こう書いてあります。

「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」

 この言葉の中に、神様の愛が三つ表れているように思うのです。
 第一に、キリストは罪人のために来られたということです。キリストは、罪人なのに人を愛したのではなく、罪人だからこそ人を愛してくださったのです。どうして神に反逆する罪人を愛したのでしょう。人間が神のかたちに似せて創られたことをご存知であるからです。

神の目には高価で尊いあなた

 何年か前「黄昏に燃えて」という映画を見ました。大恐慌時代を背景にしたアメリカの物語です。落ちぶれた元野球選手とアルコール依存症で人生を台無しにしたピアノ歌手の二人が、あるとき雪の中で倒れている年老いたイヌイットの女性と出くわすのです。二人は彼女をどうすべきか議論します。彼女は酔っぱらってるのかなあ、それともホームレスかなあ。女が言います。「ホームレスよ。ずっと一人で生きてきたのよ」「じゃあその前は」「アラスカの売春婦よ」「でも生まれたときからずっと売春婦じゃないだろう。その前は何だ?」「知らないわよ。ただの小さな子供だったんじゃない」「うーん、小さな子供か。行き倒れでもなく、売春婦でもない何者かだ。よし、連れて行こう」この二人は今の老女の姿を見たのではなく、もともとの本質は何だったかを見たのです。小さな子供。今は落ちぶれ、自分を傷つけ、社会からレッテルを貼られてはいるが、もともとは小さな子供だったのだと。これはキリストが人間を見るときの見方に通ずるものがあります。今は罪人で失敗者で、拗ね者で、傷だらけではあるが、それでも神のかたちに創られたものであることに、何の変わりもないのです。神の目に、あなたはとても高価で尊い者として映っているのです。

罪の世界に来られた救い主イエス

 第二に、キリストはこの世に来られたということです。どうしてそれが愛なのでしょう。私は10年ほど前メキシコに行きました。そしてある貧しい家に招待されたのです。晩御飯を一緒にしましょう、というのです。そこに子供が10人いました。そして10人中8人がおたふく風邪にかかっていたのです。そして私はおたふくかぜを患ったことが一度もないのです。つまり免疫がないのです。大人になってかかるこの病はずいぶんひどいと聞いていましたが、日本から来た伝道者が珍しく、私と会うのをとても楽しみにしていた彼らをがっかりさせたくはありませんでした。私は思い切って家に入ったのです。すると病み上がりの子供たちが飛びついてきて喜んでくれたんですが、正直私は生きた心地がしませんでした。発病することを恐れたからです。外国で重い病気にかかることを心配して会話も気もそぞろでした。しかし、キリストは天からこの世に来られたのです。この世でひどい目にあうということを十分承知のうえで、来られたのは何故でしょう。この世にいる人を愛するためです。この人の中に、あなたも数えられているのです。

イエスの十字架と三日目の復活

 第三に、キリストは罪人を救うためにこの世に来られたのです。あなたを死と死後の裁きから救うために来られたのです。あなたに永遠の命を与えるために来てくださったのです。あなたの死後の裁きを身代わりに引受けるために来られたのです。十字架にかかって命を捨てるため、そして捨てた命を三日後に取り戻すためにこの世に来てくださったのです。
 このキリストをご自分の救い主として信じて受け入れる人は、全ての罪が赦され、神の子とされ、天国に国籍を与えられ、地上においては神がともに歩んでくださる人生を生きる保証が与えられるのです。このことばはまことであり、そのまま受け入れるに値するものです。どうぞあなたもイエスキリストを信じてください。心からおすすめしたいと思います。

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